福島の甲子園初戦クロニクル|福島商1-0の原点と、聖光学院0-20から始まった強豪史

東北

初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
福島の甲子園初戦クロニクル|1-0で始まった夏と、0-20から始まった強豪史

高校野球の歴史は、勝利から始まるとは限らない。

大敗から始まる歴史もある。

福島県の「勝った初戦」と「負けた初戦」を一つずつ選んでいたら、まるで野球の神様が用意したような二つのスコアが並んだ。

1977年、福島商1-0九州産。

2001年、聖光学院0-20明豊。

一方は、わずか1点を守り切ってつかんだ学校史上初の夏の甲子園勝利。

もう一方は、1点も奪えず20点を失った夏初出場の敗戦。

スコアだけ見れば、これほど対照的な二試合もない。

でも、ずっと後まで時間を進めてみると、この二つには共通点がある。

どちらも、その学校の歴史の「始まり」になった。

福島商の1977年には、三浦広之というスターがいた。

188センチの長身右腕。

「みちのくの玉三郎」と呼ばれた。

福島大会から甲子園初戦まで、53イニング連続無失点。

一方、2001年の聖光学院は、まだ現在の「福島の絶対王者」ではなかった。

夏の甲子園初出場。

そして明豊に0-20。

26安打を浴びた。

ところが、その0-20を「なかったこと」にしなかった。

そこから全国で勝つための野球をつくり直し、のちに福島大会13連覇。2022年には夏の甲子園ベスト4。

今回の福島編は、

「1-0で始まった歴史」と、「0-20から始め直した歴史」

を並べてみたい。

この記事の30秒要約

勝った初戦は1977年の福島商1-0九州産。エース三浦広之が3安打完封し、福島商に夏の甲子園初勝利をもたらした。福島大会では6試合44イニング無失点。甲子園初戦の9回を加え、53イニング連続無失点となった。その後の熊本工戦では延長11回、押し出し死球で3-4xのサヨナラ負け。鮮烈な夏だった。

負けた初戦は2001年の聖光学院0-20明豊。夏の甲子園初出場だった聖光学院は26安打を浴び完敗。しかし、この敗戦を契機に斎藤智也監督は「全国で勝つ」野球を築き、2004年に甲子園初勝利、2007~2019年には福島大会13連覇。2022年には福島県勢51年ぶりの夏ベスト4まで進んだ。

福島代表の「勝った初戦」|1977年・福島商1-0九州産

エース三浦広之が3安打完封。三回に奪った1点を守り切った。
福島大会から続いていた無失点記録は、この試合で53イニングへ。福島商にとって、これが夏の甲子園初勝利だった。

福島商対九州産|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 安打
九州産 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3
福島商 0 0 1 0 0 0 0 0 x 1 3
投手

九州産:梅津
福島商:三浦

本塁打

九州産:なし
福島商:なし

「みちのくの玉三郎」三浦広之

1977年夏。福島商には、一人の右腕がいた。

三浦広之。

188センチの長身。端正な顔立ちから、甲子園では「みちのくの玉三郎」と呼ばれた。

昭和の高校野球には、ときどきこういうスターが突然現れた。

でも、人気だけの投手ではない。

福島大会は決勝まで6試合、44イニング無失点。

そして甲子園初戦も9回をゼロ。

53イニング連続無失点。

両校3安打。三回の1点だけ

九州産との初戦は、まさに三浦の夏を象徴するような試合だった。

福島商3安打。九州産3安打。

三回裏、福島商が1点を取った。

それだけ。

普通なら追加点がほしい。一点差は怖い。

でも、あの夏の三浦には1点で足りた。

福島商1-0九州産。

これが福島商にとって、夏の甲子園初勝利だった。

福島商1-0九州産|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
九州産 28 3 0 0 0 0 8 1 1 1 3 3
福島商 27 3 1 0 0 0 6 2 0 1 1 4
村瀬メモ|53イニング無失点。そして最後の一球は、押し出し死球だった

三浦の1977年を、福島商1-0九州産だけで終わらせるのは惜しい。

次の熊本工戦。福島商は初回に3点を先制した。ところが熊本工が追いつき、3-3のまま延長へ入る。

延長11回裏。一死満塁。

三浦が投じた球は打者に当たった。

押し出し死球。サヨナラ。

53イニングも点を許さなかった投手の夏が、最後は「押し出し死球」という一球で終わった。

高校野球というのは、ときどき残酷なくらい出来すぎた終わり方をする。

でも、だから記憶に残る。

勝った1-0も、負けた3-4xも、三浦広之の1977年だった。

福島代表の「負けた初戦」|2001年・聖光学院0-20明豊

現在の聖光学院からは想像しにくい、夏の甲子園初出場。
明豊に26安打を浴び、0-20。しかし、この大敗が「全国で勝つための野球」を作る原点になった。

明豊対聖光学院|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 安打
明豊 0 2 3 1 2 2 0 5 5 20 26
聖光学院 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4
投手

明豊:波多 → 嶋田
聖光学院:村上 → 橋本 → 阿部

本塁打

明豊:なし
聖光学院:なし

今では信じにくい。「聖光学院、夏初出場」

今の高校野球ファンに「福島の夏」と聞けば、まず聖光学院を思い浮かべる人が多いだろう。

毎年のように甲子園へ来る。守備が鍛えられている。バント、走塁、小技。そして簡単には崩れない。

そんなチームの「最初の夏」が、0-20。

まずは甲子園へ行った。そしてそこで、全国との差を徹底的に見せつけられた。

26安打、20得点。聖光は4安打

一回だけは0-0だった。

でも二回2点、三回3点、四回1点、五回2点、六回2点、八回5点、九回5点。

気がつけば、20-0。

明豊26安打。聖光学院4安打。

明豊には本塁打がない。つまり一発の大量得点ではなく、安打と犠打を重ねて、じわじわ、そして容赦なく点差が広がっていった。

明豊20-0聖光学院|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
明豊 45 26 19 2 2 0 4 6 6 0 0 10
聖光学院 31 4 0 1 0 0 5 4 0 0 2 8
村瀬メモ|0-20を、消したい過去にしなかった

強豪校には、強豪校になる前の歴史がある。

今の聖光学院を見ていると、2001年の0-20はまるで別の学校の話に見える。

でも、僕はむしろ逆だと思う。

あの0-20があったから、今の聖光学院につながった。

全国へ行くだけでは足りない。全国で勝たなければならない。

何が足りないのか。どうすれば、強い相手から一点を取り、一点を守れるのか。

斎藤監督はそこから、走塁、バント、小技、守備、状況判断を徹底していった。

負け試合を消したい記憶にするか。次の勝利の材料にするか。

2001年の聖光学院は、後者を選んだ。

それが、この学校を変えた。

3年後、聖光学院は甲子園で勝った

2004年、聖光学院は再び夏の甲子園へ戻った。

今度は初戦を突破し、甲子園初勝利。さらにもう一つ勝った。

0-20から、わずか3年。

そして2007年から2019年、13年連続で夏の福島大会を制した。

2001年に0-20で負けた学校が、福島では「負ける方がニュース」になるほどの存在へ変わった。

2022年、ついにベスト8の壁を越えた

2022年。聖光学院は日大三、横浜、敦賀気比を破り、準々決勝で九州学院に10-5。

学校史上初の夏ベスト4。福島県勢としても1971年の磐城以来51年ぶりの夏4強だった。

2001年から21年。

0-20の向こう側に、ここまでの景色が待っていた。

1977年と2001年|一勝から始まる歴史、大敗から始まる歴史

福島商は1点しか取れなかった。でも勝った。

聖光学院は20点を取られた。そして1点も取れなかった。

結果だけを見れば、片方は成功で、片方は失敗に見える。

でも高校野球の歴史は、一試合で終わらない。

勝利が原点になることもある。
敗戦が原点になることもある。

だから、このシリーズでは「負けた初戦」を外したくない。

負け試合の方に、その学校の未来が隠れていることがあるからだ。

村瀬メモ|1-0も原点。0-20も原点。

もし1977年のスコアだけを見たら、福島商は「投手が頑張って1-0で勝った試合」に見える。

もし2001年だけを見たら、聖光学院は「初出場で20点差をつけられた学校」に見える。

でも、時間を先へ進めると、意味が変わる。

三浦の1-0は、福島商にとって夏の甲子園初勝利になった。

聖光学院の0-20は、全国で勝つための野球をつくる出発点になった。

スコアは結果を教えてくれる。
でも、その試合が後に何を生むかまでは教えてくれない。

そこを後からたどるのが、高校野球史の面白さだと思う。

1-0も原点。
0-20も原点。

まとめ|福島の夏には、二つの「始まり」がある

1977年、福島商。三浦広之。1-0。学校史上初の夏1勝。53イニング連続無失点。

2001年、聖光学院。0-20。夏の甲子園初出場。

そこから3年で甲子園初勝利。13年連続福島大会優勝。そして2022年、夏4強。

高校野球は、最初の一試合では分からない。

勝ったから続くとは限らない。負けたから終わるとも限らない。

福島商の1-0。聖光学院の0-20。

二つとも、福島高校野球の歴史から外せない「最初の一歩」だった。

福島の甲子園初戦史|よくある質問

Q1.1977年の福島商・三浦広之はどんな投手だった?
A.188センチの長身右腕で、「みちのくの玉三郎」と呼ばれました。1977年夏の福島大会では6試合44イニング無失点。甲子園初戦の九州産戦も3安打完封し、無失点記録を53イニングまで伸ばしました。
Q2.福島商1-0九州産は何が歴史的だった?
A.福島商にとって夏の甲子園初勝利でした。両校3安打の投手戦で、福島商が三回に奪った1点を三浦広之が守り切りました。
Q3.2001年の聖光学院は本当に0-20で負けた?
A.はい。夏の甲子園初出場で明豊と対戦し、0-20で敗れました。明豊は26安打20得点、聖光学院は4安打無得点でした。
Q4.聖光学院の福島大会連覇記録は何年?
A.2007年から2019年まで13年連続で夏の福島大会を制しました。
Q5.聖光学院が夏の甲子園で初めてベスト4に入ったのはいつ?
A.2022年です。福島県勢としても1971年の磐城以来51年ぶりの夏4強でした。

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使用した主な情報ソース

日刊スポーツ|福島商・三浦広之の1977年
https://www.nikkansports.com/baseball/column/tohoku-koshien100/news/1475419.html

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2001年第83回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y2001.php

Number Web|聖光学院の小技・機動力の原点
https://number.bunshun.jp/articles/-/863672

日刊スポーツ|聖光学院13連覇
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201907280000729.html

スポニチ|聖光学院、福島県勢51年ぶりベスト4
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/08/18/kiji/20220818s00001002540000c.html

本記事は、公開されている大会記録、報道記事、高校野球関連資料および朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの記録画面を照合し、筆者の記憶と考察を加えて再構成した。試合の評価や歴史的位置づけには筆者独自の解釈を含む。選手名、学校名、記録は当時の表記を基本とした。
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