佐賀の甲子園初戦クロニクル|新谷博「あと一人」の完全投球と、一度だけ甲子園に現れた伊万里農林

九州

初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
佐賀の甲子園初戦クロニクル|新谷博「あと一人」の完全投球と、一度だけ甲子園に現れた伊万里農林

佐賀の高校野球を語るとき、僕らの世代なら、どうしても1994年の佐賀商が浮かぶ。

決勝、樟南戦。九回二死満塁から西原正勝の満塁本塁打。
佐賀県勢初の全国制覇。

けれど、その佐賀商には、全国優勝の十二年前にも、甲子園をざわつかせた投手がいた。

新谷博。

1982年夏。
初戦の木造戦で、新谷は九回二死まで、一人の走者も出さなかった。

あと一人。

夏の甲子園で、いまだ誰も成し遂げていない完全試合まで、あと一人だった。

そして今回、負けた初戦に選んだのは、派手な名勝負ではない。

2009年の伊万里農林である。

春夏通じて初出場。
伊万里市の学校としても初めての夏の甲子園。
そして、その甲子園切符をつかんだ県大会決勝の相手が、佐賀商だった。

1982年の佐賀商と、2009年の伊万里農林。
二つの初戦を並べると、佐賀の高校野球に流れた二十七年が、不思議な一本の線になって見えてくる。

この記事の30秒要約

勝った初戦は、1982年の佐賀商7-0木造。エース新谷博は9回2死まで完全投球を続け、27人目の打者に死球を与えて完全試合こそ逃したものの、次打者を打ち取りノーヒットノーランを達成した。佐賀商はその後3回戦で津久見と延長14回の死闘を演じ、2-3で敗れた。

負けた初戦は、2009年の伊万里農林2-6横浜隼人。佐賀大会決勝では延長10回、1-3の二死から3連打で佐賀商を4x-3と逆転し、春夏通じて初の甲子園へ。エース兼主将の吉永圭太は開会式で選手宣誓も務めた。初戦は同じ初出場の横浜隼人に敗れたが、「伊万里農林」という校名が甲子園に刻まれた忘れがたい夏になった。

佐賀代表の「勝った初戦」|1982年・佐賀商7-0木造

木造の打者26人を、すべてアウトにした。
九回二死。27人目に死球。完全試合はそこで消えた。けれど安打は最後まで許さず、新谷博は夏の甲子園史に残るノーヒットノーランを完成させた。

佐賀商対木造|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 安打
木造 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
佐賀商 3 0 0 1 3 0 0 0 x 7 9
投手

木造:大沢
佐賀商:新谷

本塁打

木造:なし
佐賀商:田中

最初から最後まで、木造に「H」が灯らなかった

1982年、第64回大会1回戦。
佐賀商の相手は青森代表・木造だった。

佐賀商は初回に3点。
四回に1点、五回にも3点。

田中には本塁打も出た。

攻撃だけを見ても7-0の快勝である。
けれど、この試合を甲子園史に残したのは、やはり新谷だった。

一回、三者凡退。
二回も三者凡退。
三回も。

四回。五回。六回。

いつまでたっても木造に走者が出ない。

七回。八回。

そして九回も、最初の二人を打ち取った。

あと一人。27人目の打者

26人を、26人ともアウトにした。

九回二死。

ここで新谷が27人目の打者に投じた球が、体に当たった。

死球。

その瞬間、夏の甲子園史上初となるはずだった完全試合が消えた。

それでも新谷は崩れない。

次打者を二ゴロ。
ゲームセット。

木造、27打数0安打。
佐賀商7-0。

完全試合ではなかった。
けれど、ノーヒットノーランだった。

佐賀商7-0木造|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
木造 27 0 0 0 0 0 8 1 0 0 2 1
佐賀商 28 9 7 5 0 1 1 2 5 0 0 4

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|いちばん驚いていなかったのが、新谷本人だった

後年、新谷博はこの木造戦を振り返っている。

完全試合やノーヒットノーランという記録そのものは知っていた。けれど、それがどれほど大変な記録なのか、当時はよく分かっていなかったという。本人の感覚では、普通の完封とそれほど変わらなかった。

だから九回二死になっても、27人目の打者を迎えても、特別に緊張したわけではなかった。

これが面白い。

テレビの前では、きっと大人たちの方が「あと一人だ」と身を乗り出していたはずだ。夏の甲子園で誰もやったことのない完全試合が、あとアウト一つまで来ている。

なのに、マウンドの高校生本人だけが、その歴史的な大きさを知らず、いつものように投げていた。

僕は、この話を知ってから新谷の「あと一人」がますます好きになった。
大記録というものは、ときどき、それを狙いすぎない若者の無心の中から現れる。

完全試合を逃した投手は、その後も投げ続けた

佐賀商は、その木造戦だけで終わらなかった。

2回戦では東農大二を5-1で破った。

そして3回戦。
相手は大分の津久見。

佐賀商は二回に1点、三回にも1点を取り、2-0と先行した。

津久見は五回に1点。
八回にもう1点。

2-2。

九回でも決まらない。
十回でも。十一回でも。

十二回。十三回。

そして十四回表、津久見が1点。
佐賀商はその裏に返せず、2-3。

新谷は、完全試合寸前の九回だけではない。
最後の夏、延長14回まで投げた。

僕には、この津久見戦まで含めて新谷の甲子園に思える。

佐賀代表の「負けた初戦」|2009年・伊万里農林2-6横浜隼人

春夏通じて初出場。伊万里市勢としても初めての夏。
エースで主将の吉永圭太は開会式で選手宣誓。初戦の相手も同じ初出場の横浜隼人だった。

横浜隼人対伊万里農林|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 安打
横浜隼人 0 0 0 0 3 3 0 0 0 6 10
伊万里農林 0 0 0 0 0 2 0 0 0 2 8
投手

横浜隼人:今岡
伊万里農林:吉永 → 梅崎

本塁打

横浜隼人:なし
伊万里農林:なし

甲子園へ来るまでに、もう一つのドラマがあった

伊万里農林の2009年夏は、甲子園の初戦だけを見ていては足りない。

まず、どうやって甲子園へ来たのかを書いておきたい。

佐賀大会決勝。
相手は佐賀商だった。

そう。
この記事の前半で、新谷博が投げていた、あの佐賀商である。

伊万里農林のエースは吉永圭太。

七回まで佐賀商を無失点に抑え、試合は1-1で延長に入った。

十回表、1-3。二死。そこから三連打

延長10回表。
佐賀商が2点を取った。

1-3。

伊万里農林にとって、春夏初の甲子園は、あとアウト三つで消えるところだった。

その裏、二塁打と四球で走者を出す。
送りバントで二、三塁。

しかし、二死。

あと一人。

そこからだった。

七番から三連打。

最後は9番、2年生の清田悠也。
サヨナラ打。

4x-3。

名門・佐賀商を、あと一人からひっくり返した。
伊万里農林は、学校史上初めて甲子園へ行くことになった。

エースで主将。そして選手宣誓

その伊万里農林を引っ張った吉永は、この大会で唯一の「エース兼主将」だったと伝えられている。

そして組み合わせ抽選会で、もう一つの役目を引き当てた。

選手宣誓である。

春夏通じて初めて甲子園へ来た学校の主将が、全国49代表の先頭に立って誓いの言葉を述べる。

それだけで、もう伊万里農林の夏には物語がある。

初出場同士。最初の好機は伊万里農林だった

初戦の相手、横浜隼人も春夏通じて初出場だった。

つまり、どちらか一校だけが、学校史上初めての甲子園勝利を持ち帰る試合だった。

初回。
伊万里農林はいきなり3安打を集め、満塁の好機をつくった。

だが、あと一本が出なかった。

そのゼロが、あとで重くなる。

横浜隼人は五回に3点。
六回にも3点。

0-6。

伊万里農林も六回裏に2点を返した。

けれど、そこまでだった。

2-6。
初めての甲子園は、一試合で終わった。

横浜隼人6-2伊万里農林|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
横浜隼人 35 10 6 3 0 0 2 2 1 1 1 5
伊万里農林 34 8 2 1 0 0 9 1 1 0 1 8

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|27人目と、27年後

これは偶然の数字遊びにすぎない。
けれど、僕はこういう偶然を見つけると、少し立ち止まりたくなる。

1982年。
新谷博の完全試合が消えたのは、27人目の打者だった。

そして、その1982年から27年後の2009年。
伊万里農林は、佐賀大会決勝で佐賀商を破って、初めて甲子園へやって来た。

27人目と、27年後。

もちろん、二つの出来事に何の因果関係もない。
けれど、同じ佐賀の高校野球史の中で眺めると、不思議と一本の線に見える。

一方には、夏の完全試合まであと一人だった名門のエース。
もう一方には、その名門をあと一人から逆転して甲子園へ来た、初出場の農林高校。

勝った学校と、負けた学校。
強豪と、初出場校。

高校野球の歴史というのは、こういう全く違う夏が同じ場所で交差するから面白い。

涙がなかった、と伝えられた初出場校

当時の大会リポートには、敗れた伊万里農林のナインについて「涙はなかった」と記されている。

僕は、この一文が好きだ。

もちろん、負けて悔しくなかったはずはない。

でも彼らは、佐賀大会の延長10回、あと一人から甲子園への扉をこじ開けた。
開会式では主将が選手宣誓をした。
初戦では最初から3安打を集め、全国の舞台で自分たちの野球をした。

初勝利は持ち帰れなかった。
それでも、甲子園へ行ったという事実まで消えるわけではない。

勝てなかった初戦にも、こういう満ち足りた夏がある。

その後|「伊万里農林」という校名が残した一度の夏

1917年創立の農林高校は、のちに再編へ

伊万里農林は1917年、西松浦農学校として始まった。1952年に佐賀県立伊万里農林高等学校となり、農業や林業、食品分野を学ぶ学校として地域に根を張ってきた。

そして2019年、伊万里商業との再編・統合によって佐賀県立伊万里実業高等学校が開校。旧伊万里農林の校地は農林キャンパスとして、新しい学校の中に受け継がれている。

だから2009年夏は、「伊万里農林」という校名で甲子園へ出た、特別な夏として残る。勝利はなかった。けれど、あの名前が甲子園のスコアボードに並んだこと自体が、もう学校史の一頁なのである。

まとめ|あと一人で消えた記録と、あと一人からつかんだ甲子園

1982年、新谷博はあと一人で完全試合を逃した。

それでも、木造に一本の安打も許さなかった。

そして、その夏は延長14回の津久見戦まで続いた。

2009年、伊万里農林は佐賀大会決勝であと一人まで追い詰められた。

そこから三連打で、甲子園をつかんだ。

甲子園では勝てなかった。
けれど、エース兼主将が選手宣誓をし、初出場同士の試合で8安打を放った。

「あと一人」で消えたものがあり、
「あと一人」から生まれたものがある。

勝ちと負けだけを並べれば、佐賀商7-0、伊万里農林2-6。

けれど、その数字の前後まで辿ってみると、同じ佐賀から甲子園へ来た二つの学校に、まったく違う夏の顔が見えてくる。

僕が初戦を選び続けているのは、きっと、その顔を忘れたくないからなのだと思う。

佐賀の甲子園初戦史|よくある質問

Q1.1982年の佐賀商・新谷博は、どこまで完全試合に近づいた?
A.木造戦で9回2死まで一人の走者も許さず、26人連続でアウトにしました。27人目の打者に死球を与えて完全試合は逃しましたが、次打者を二ゴロに打ち取り、7-0のノーヒットノーランを達成しました。夏の甲子園では完全試合達成者がいないため、史上最も完全試合に近づいた投球の一つとして知られています。
Q2.1982年の佐賀商は、その後どこまで勝ち進んだ?
A.2回戦で東農大二を5-1で破り、3回戦で津久見と対戦しました。試合は2-2のまま延長に入り、14回表に津久見が1点を勝ち越し、佐賀商は2-3で敗れました。新谷はこの試合も最後までマウンドを担いました。
Q3.伊万里農林は2009年、どうやって初の甲子園出場を決めた?
A.佐賀大会決勝で佐賀商と対戦し、延長10回に4x-3で逆転サヨナラ勝ちしました。10回表に2点を奪われ1-3とされ、10回裏も2死まで追い込まれましたが、7番打者から3連打。最後は2年生の9番・清田悠也がサヨナラ打を放ちました。
Q4.2009年の選手宣誓を務めたのは誰?
A.伊万里農林の吉永圭太主将です。吉永はエースも務め、この大会では出場校唯一の「エース兼主将」と報じられました。佐賀大会決勝でも10回を投げ、学校を春夏通じて初の甲子園へ導きました。
Q5.伊万里農林は現在どうなっている?
A.伊万里農林は伊万里商業との再編・統合により、2019年に開校した佐賀県立伊万里実業高等学校へ受け継がれました。旧伊万里農林の校地は現在、伊万里実業の農林キャンパスとなっています。

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使用した主な情報ソース

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1982年第64回全国高校野球選手権大会

https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1982.php

佐賀商7-0木造、佐賀商5-1東農大二、津久見3-2佐賀商など1982年大会の試合結果を確認。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1982年・佐賀商対木造

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1982/400/7471/index.php

7-0のイニングスコア、投手・新谷博と大沢、佐賀商・田中の本塁打などを確認。

Full-Count|あと1人で逃した史上初の完全試合 新谷博が振り返る1982年夏

https://full-count.jp/2021/02/12/post1041041/

木造戦で9回2死まで完全投球、27人目への死球、次打者を二ゴロに打ち取ったこと、当時の新谷本人が記録の大きさをあまり意識していなかったという回想を参照。

Sportiva|新谷博が振り返る佐賀商時代と「あわや完全試合」

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2024/02/29/post_57/

佐賀商への進学理由、木造戦の完全投球に対する本人の感覚、卒業後の進路などを補助的に参照。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1982年・津久見対佐賀商

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1982/400/7508/index.php

3回戦が延長14回、津久見3-2佐賀商で決着したこと、新谷が佐賀商の投手として登板したことを確認。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2009年第91回全国高校野球選手権大会

https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y2009.php

横浜隼人6-2伊万里農林を含む2009年全国大会の試合結果を確認。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2009年・横浜隼人対伊万里農林

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2009/400/32732/index.php

横浜隼人6-2伊万里農林のイニングスコア、投手・今岡、吉永、梅崎を確認。

日刊スポーツ|伊万里農林10回2点差大逆転V/佐賀大会

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/sensyuken/2009/chihou/news/p-bb-tp3-20090729-524588.html

2009年佐賀大会決勝で伊万里農林が佐賀商を延長10回4-3で逆転サヨナラ、10回裏2死から3連打、清田悠也のサヨナラ打、吉永圭太の投球、春夏初出場と伊万里市勢初の夏出場などを確認。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2009年佐賀大会決勝・伊万里農林対佐賀商

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2009/443/32647/index.php

佐賀商が10回表に2点を奪い、伊万里農林が10回裏に3点を返して4x-3としたイニングスコア、両校投手を確認。

スポーツナビ|甲子園を駆け抜けた初出場11校の夏

https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200908250004-spnavi?p=2

吉永圭太主将の選手宣誓、同大会唯一のエース兼主将だったこと、横浜隼人も初出場だったこと、初回に伊万里農林が3安打で満塁としたこと、敗戦後のナインの様子を参照。

佐賀県立伊万里実業高等学校|学校沿革

https://www.education.saga.jp/hp/imarijitsugyoukoukou/?content=%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%B2%BF%E9%9D%A9

伊万里農林と伊万里商業の再編統合、2019年の伊万里実業開校、農林キャンパスへの継承を確認。

本記事は、公開されている大会記録、報道記事、学校の公開資料および朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの記録画面を照合し、筆者の記憶と考察を加えて再構成した。試合の評価や歴史的位置づけには筆者独自の解釈を含む。選手名、学校名、記録は当時の表記を基本とした。

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