1979年8月14日。
夏の甲子園に初めてやって来た静岡県立富士高校は、高知高校と戦っていた。
九回を終えて、3-3。
十回。
十一回。
十二回。
十三回。
十四回。
それでも決まらない。
十五回裏。
高知に1点が入った。
3-4。
サヨナラ負け。
そして9年後。
1988年8月14日。
今度は浜松商が、池田と戦っていた。
こちらも九回で決まらない。
延長十四回。
今度は静岡代表のスコア欄に、最後の「1」が入った。
3-2。
同じ8月14日。
片方は十五回の涙。
片方は十四回の歓喜。
静岡の甲子園初戦史には、不思議な二つの夏が残っている。
勝った初戦は、1988年の浜松商3-2池田。池田が2回に2点を先制し、浜松商が5回に追いつくと、そのまま延長戦へ。両軍合わせて27安打を放ちながら得点できず、延長14回裏に浜松商がサヨナラ勝ちした。浜松商は続く拓大紅陵も4-3で破って8強入り。この池田戦は、名将・蔦文也監督にとって最後の甲子園の試合となった。
負けた初戦は、1979年の富士3-4高知。甲子園初出場の県立富士は、古豪・高知を相手に6回に逆転し、8回に3-1。しかし9回に追いつかれ、延長15回にサヨナラ負けした。それでも富士市では県大会優勝時に歓迎パレードが行われるほどの熱狂を生み、甲子園での健闘は今も学校史と街の記憶に残っている。さらに、この試合を15回まで投げた川村靖投手は、その後高校野球の指導者となり、2010年から神奈川の名門県立校・湘南高校を率いている。
静岡代表の「勝った初戦」|1988年・浜松商3-2池田
2-2のまま九回を終え、延長14回。3時間を超える死闘の最後に笑ったのは浜松商だった。
浜松商対池田|延長14回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 計 |
| 池田 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
| 浜松商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 3 |
|
投手
池田:桜間 |
本塁打
池田:なし |
1988年8月14日――「池田」という二文字は、まだ怖かった
1988年。
昭和最後の夏である。
池田の最盛期は、少し前だった。
1982年夏の全国制覇。1983年春も優勝。
畠山、水野、江上。
山あいの県立高校が豪快に打ちまくる「やまびこ打線」は、高校野球の常識まで変えたように見えた。
あの頃ほどの圧倒的なチームではなかったのかもしれない。
それでも、僕らの世代にとって「池田」という校名には独特の圧があった。
しかもベンチには、まだ蔦文也がいる。その池田と、静岡の古豪・浜松商が初戦でぶつかった。
池田が2点。浜商が2点。そして、九つのゼロ
二回表、池田が2点を先制した。
0-2。
浜松商が追いついたのは五回裏。
2-2。
そこからスコアボードの景色が変わらなくなる。
六回、ゼロ。七回、ゼロ。八回、ゼロ。九回もゼロ。
延長十回、十一回、十二回、十三回。ずっと、2-2だった。
桜間16奪三振、それでも浜商は攻め続けた
数字を見ると、この試合の異様さがよく分かる。
池田、13安打。浜松商、14安打。
両校合わせて27安打。
それなのに、十三回を終えて2-2なのである。
池田の左腕・桜間は、浜松商打線から実に16三振を奪った。
浜松商は何度も走者を出す。しかし返せない。
残塁は16。
それでも攻める。桜間も踏ん張る。試合は、どちらが先に折れるかという勝負になっていった。
十四回裏――ようやく動いたスコアボード
延長十四回裏。
浜松商が走者を二塁へ進め、一死二塁。
加藤佳の一打が試合を終わらせた。
3-2。サヨナラ。
長かった。だがその長さの中で、浜松商という古豪のしぶとさが、最後まで消えなかった。
今の高校野球ファンに、この感覚をどう説明すればいいのだろう。
1988年には、池田の黄金時代はもう少しずつ遠くなり始めていた。
それでも「池田」という二文字は怖かった。
蔦文也がベンチにいる。
徳島の山あいからやって来た県立高校が、一時代を本当に変えてしまった。
だから僕には、浜松商が池田と十四回まで戦って勝ったという事実だけで、何とも言えない重みがある。
しかも浜商だって新しい学校ではない。こちらも古豪である。
昭和最後の夏。
新しい王者同士が派手に打ち合ったのではない。甲子園の歴史を背負った二校が、2-2のまま延々と譲らなかった。
池田が13安打。浜商が14安打。浜商は16三振を喫し、16人を残塁させた。
普通なら、どこかで気持ちが切れてもおかしくない。
でも切れなかった。
十四回の最後まで、浜商は浜商だった。
僕にはそこに、古豪という言葉の本当の意味が見える気がする。
蔦文也、最後の甲子園
この試合は、後から振り返ればもう一つの意味を持つことになった。
池田を率いた蔦文也監督にとって、これが最後の甲子園での試合となったのである。
1974年春、わずか11人の「さわやかイレブン」で準優勝。
1979年夏も準優勝。1982年夏、優勝。1983年春、優勝。さらに1986年春にも優勝。
高校野球の風景を変えた名将の甲子園最後のスコアが、浜松商3-2池田、延長14回だった。
浜商の夏は、まだ終わらなかった
大仕事をやってのけた浜松商だったが、池田を倒して満足はしなかった。
次の相手は拓大紅陵。この年の千葉を代表する強豪を、今度は4-3で破った。
ベスト8。
準々決勝は沖縄水産。
浜松商は1-0とリードして九回裏を迎えながら、最後は1-2のサヨナラ負けだった。勝つときも最後まで分からない。負けるときも最後まで分からない。それが1988年の浜松商だった。
静岡代表の「負けた初戦」|1979年・富士3-4高知
一度は3-1とリードしながら9回に追いつかれ、15回にサヨナラ負け。それでも、その夏は学校だけではなく街の記憶になった。
高知対富士|延長15回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 計 |
| 富士 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
| 高知 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 4 |
|
投手
富士:川村 |
本塁打
富士:なし |
甲子園へ行ったのは、野球部だけではなかった
1979年夏。富士高校が静岡大会を勝ち抜いた。
夏の甲子園、初出場。
富士市の当時の広報には、その熱狂ぶりが今も残っている。
県大会優勝の夜、富士本町では歓迎パレード。沿道は「黒山の人だかり」になったという。
甲子園への出発の日にも、多くの人が選手たちを見送った。あの夏、甲子園へ行ったのは野球部だけではなかったのだと思う。街全体が、初めて甲子園へ向かったのである。
古豪・高知を相手に、3-1
相手は高知。すでに全国優勝経験もある名門である。
三回裏、高知が1点を先制。
だが富士は六回表に2点を奪った。
2-1。逆転。
富士市の当時の広報写真にも、「三雲選手逆転打」の説明が残っている。
そして八回、さらに1点。
3-1。甲子園初出場の県立高校が、高知をあと六つのアウトまで追い詰めていた。
九回裏――高知が追いついた
九回裏、高知が2点を返した。
3-3。
富士の甲子園初勝利は、目前でいったん遠ざかった。
しかし、そこで崩れなかった。
十回、十一回、十二回、十三回、十四回。初出場校が、古豪を相手にどこまでも食い下がった。
十五回裏――一歩だけ、高知が先だった
延長十五回裏。
高知に1点が入った。
3-4。サヨナラ。
スコアだけなら、それで終わる。
だが数字をもう少し見ると、富士の粘りがさらによく分かる。
高知は16安打。富士は7安打。
富士には5失策も記録されている。
それでも十五回まで、3-3だった。川村を中心に、何度も何度も踏みとどまったのである。
富士高校は、この試合に勝って帰ってきたわけではない。
甲子園初勝利も挙げられなかった。
でも、僕はこういう夏こそ忘れにくい。
県大会を勝った夜、街には人があふれた。
甲子園へ向かう選手たちを、市民が見送った。
そして甲子園では、高知を相手に十五回まで戦った。
三回に先制されても、六回にひっくり返した。八回に追加点を取った。九回に追いつかれても、そこからさらに五イニングを守った。
勝てなかった。
でも、あの夏はなくならなかった。
高校野球には、勝利数だけでは測れない甲子園がある。
初めて甲子園へ行った街。
初めて甲子園へ行った学校。
そこで十五回まで戦った選手たち。
1979年の富士高校は、僕にとってまさにそういうチームである。
そして、この高知戦を延長15回まで投げ抜いた富士の川村靖投手には、もう一つの物語が続いている。
富士高を卒業した川村は横浜国立大学へ進学し、その後、高校野球の指導者の道へ入った。
神奈川県立上矢部高校、藤沢西高校で監督を務め、藤沢西では2008年夏の南神奈川大会でベスト4まで進出。
そして2010年からは、神奈川県立湘南高校の監督を務めている。2025年時点でも湘南野球部を率いていることが確認できる。
湘南といえば、全国屈指の進学校でありながら、1949年夏の甲子園で全国優勝した歴史を持つ名門県立校である。
1979年、初出場の富士高校を背負い、甲子園のマウンドで十五回を投げた青年。
その青年が、何十年もの時を経て、今度は甲子園優勝の歴史を持つ県立高校で、選手たちを聖地へ連れていこうとしていた。
高校野球の物語は、最後の打者がアウトになった瞬間で終わるわけではない。
あの夏の十五回は、川村靖という野球人の長い物語の、まだ最初の方にあったのだ。
川村靖という名前を、僕は今回の記事を調べるまで「1979年の富士の投手」として見ていた。
十五回まで投げた人。
古豪・高知をぎりぎりまで追い詰めた人。
そこで僕の記憶は止まっていた。
でも、人の人生は当然、そこで止まらない。
大学へ行き、教師になり、高校野球の監督になる。
そして何十年も、高校生と一緒に甲子園を目指し続ける。
しかも行き着いた先が、1949年夏の全国王者・湘南である。
富士も湘南も、県立校だ。
どちらも勉強との両立を求められる学校である。
1979年に甲子園初勝利まであとわずかだった青年が、今度は指導者として、別の県立校の球児たちに甲子園への道を伝えている。
僕は、こういう話に出会うと高校野球はやっぱり面白いと思う。
一試合は終わる。
でも、その一試合を生きた人の野球は、終わっていない。
スコアブックに書かれた「高知4-3富士」の先にも、ちゃんと物語は続いていたのである。
二つの8月14日――9年を隔てた、十四回と十五回
今回、この二試合を調べ直していて、僕は少し驚いた。
1979年の富士―高知。8月14日。
1988年の浜松商―池田。こちらも8月14日。
まったく違う大会である。学校も違う。相手も違う。
なのに9年を隔てた同じ日に、静岡代表は二度も途方もなく長い初戦を戦っていた。
富士は延長十五回。最後に「1」を入れたのは高知だった。
浜松商は延長十四回。最後に「1」を入れたのは浜松商だった。
こういう偶然に出会うと、高校野球の記録表は単なる数字の羅列ではないのだと改めて思う。
8月14日。
夏休みの真ん中である。
1979年8月14日。富士高校は十五回の裏で負けた。
1988年8月14日。浜松商は十四回の裏で勝った。
9年前には相手校の欄に最後の「1」が灯り、9年後には静岡代表の欄に「1」が灯った。
どちらも初戦。どちらも県立高校。どちらも古豪を相手にした長い長い試合。
一方は涙で、もう一方は歓喜だった。
でも今、四十年近く、あるいは四十年以上が過ぎてから振り返れば、その違いさえ少し小さく見えてくる。
どちらも「よく戦った夏」だからである。
スコアブックの中では勝ちと負けに分かれている。
記憶の中では、二つとも残っている。
それでいいのだと思う。
そして静岡野球は、常葉菊川へ――森下知幸という一本の線
静岡の高校野球をこの二試合だけで終えると、昭和の古豪物語だけになってしまう。
だから、もう一つだけ書いておきたい。
常葉菊川である。
2007年春。常葉菊川はセンバツで初優勝した。
バントに頼らない。思い切って振る。「フルスイング打線」。
いかにも新しい時代を感じさせる野球だった。
その夏、春夏連覇を狙う常葉菊川の初戦は日大山形。
12-4。
春の勢いそのままに打ちまくり、その夏もベスト4まで進んだ。
その監督は、1978年の浜商主将だった
そして面白いのは、常葉菊川を率いていた森下知幸監督の経歴である。
森下は浜松商出身。
1978年春、浜松商がセンバツで全国優勝したときの主将だった。
そして29年後、監督として常葉菊川をセンバツ優勝へ導いた。
面白いのは、同じ野球をそのままコピーしたわけではないことだ。
浜商という伝統校で全国一を経験した男が、次の時代には「バントをしない」「フルスイング」という新鮮な野球を作った。静岡野球は、古豪が消えて新興校に入れ替わったのではない。人を通してつながりながら、形を変えていたのである。
1978年春の浜松商。
2007年春の常葉菊川。
二つの優勝校をつないでいるのが、森下知幸という一人の野球人だったことを、僕は今回改めて面白いと思った。
浜商では主将として全国一。
常葉菊川では監督として全国一。
しかも後者は、昔ながらの高校野球を再現したわけではない。
思い切り振る。簡単にはバントしない。打って勝つ。
伝統というのは、同じことを繰り返すことではないのかもしれない。
古い学校で学んだ人が、新しい学校で別の野球を作る。
それでも、その根っこにはどこか同じ土地の野球が流れている。
浜松商と常葉菊川。
まるで違うチームに見える二校を、森下知幸という一本の線がつないでいる。
こういう発見も、県別クロニクルを書く楽しさなのだと思う。
まとめ|静岡には、負けても消えない夏がある
1979年8月14日。
富士高校。甲子園初出場。高知。延長十五回。3-4。
1988年8月14日。
浜松商。池田。延長十四回。3-2。
片方は負けた。片方は勝った。
でも、どちらも忘れられない。
そして、その後も人の物語は続いていた。
浜松商で全国一を経験した森下知幸は、常葉菊川で新しい野球を作り、もう一度全国一になった。
富士高校で十五回を投げた川村靖は、指導者となり、湘南高校でまた甲子園を目指した。
古豪があり、初出場校があり、新しい強豪がある。
静岡の高校野球は、一つの校名だけでは語れない。
そして、高校野球の物語も、一試合だけでは語れない。
勝った試合だけが歴史ではない。
甲子園から一勝も持ち帰れなくても、街じゅうが熱狂し、何十年後まで名前を思い出してもらえる夏がある。
さらに、そのマウンドに立った青年が、四十年以上後も高校野球のグラウンドに立っていることがある。
記録を辿っているつもりが、いつの間にか人の人生を辿っている。
だから僕は、高校野球の昔話をやめられないのだと思う。
静岡の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ 高校野球大会アーカイブ|1988年 浜松商―池田
浜松商3-2池田、延長14回のイニングスコア、投手・試合記録の確認に使用。
朝日・日刊スポーツ 高校野球大会アーカイブ|1979年 高知―富士
高知4-3富士、延長15回のイニングスコア、投手・試合記録の確認に使用。
富士市公式サイト|広報ふじ昭和54年「大健闘 富士高ナインを追って」
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/archive/kouhou/kiji/100540825_0279_09.htm
富士高校の甲子園初出場、富士本町での歓迎パレード、高知との延長15回、「川村投手」「三雲選手逆転打」など当時の記録確認に使用。
浜松商応援サイト|第70回選手権記念大会 池田対浜松商
https://hamasho-fan.net/series/70_7.html
1988年8月14日、浜松商対池田の延長14回の試合日時・試合経過の補足確認に使用。
毎日新聞|同じ県立校「実力を発揮して」湘南からエール
https://mainichi.jp/articles/20250220/ddl/k14/050/017000c
川村靖氏が1979年に静岡県立富士高校の投手として甲子園を経験したこと、横浜国立大卒、2025年時点で湘南高校野球部監督を務めていることの確認に使用。
月刊高校野球CHARGE!|湘南・川村靖監督
https://monthly-charge.com/2024%E5%B9%B42%E6%9C%88%E5%8F%B7/16441/
川村靖氏の富士高―横浜国立大、上矢部監督、藤沢西監督、2010年から湘南監督という指導歴、藤沢西で2008年夏南神奈川大会ベスト4、宮台康平を指導した経歴の確認に使用。
湘南高校同窓会・湘友会|湘南高校野球部創部70周年記念祝賀会
https://www.shoyukai.org/?p=12320
湘南高校野球部の1949年夏甲子園優勝などの歴史、および川村靖監督が「静岡県立富士高校の投手として昭和54年夏の大会出場」と紹介されていることの確認に使用。
月刊高校野球CHARGE!|湘南「我等が心意気」
https://monthly-charge.com/charge/21368/
2025年時点で川村靖監督が湘南高校を指導していること、同校の文武両道の取り組みや指導方針の確認に使用。
静岡放送 SBS NEWS|森下知幸監督の歩み
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/946217?display=1
森下知幸氏が1978年センバツ優勝時の浜松商主将だったこと、2007年に常葉菊川をセンバツ優勝へ導いたことの確認に使用。

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