初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
南北海道の甲子園初戦クロニクル|札幌商、49年ぶりのサヨナラと駒大苫小牧を濡らした雨
北海道から甲子園へ向かう道は、二本ある。
南北海道。
北北海道。
同じ大地に暮らし、同じ長い冬を越えながら、夏になると二つの代表旗を掲げて津軽海峡を渡る。
僕が少年だった昭和の甲子園では、北海道勢の一勝は今よりずっと遠く見えた。
北海が春の決勝へ進んだ歴史はあった。
北北海道では旭川龍谷が、北国の粘りを何度も甲子園へ持ち込んだ。
それでも、南北海道代表が夏の甲子園で校歌を歌うことは、決して当たり前ではなかった。
1980年。
札幌商は佐賀代表の龍谷と初戦で対戦した。
三回に3点を先制しながら、終盤に追いつかれた。
4-4で迎えた九回裏。
最後は左中間を破る一打。
エース金山が一塁から甲子園の土を蹴り、サヨナラのホームを踏んだ。
札幌商5x-4龍谷。
札幌商にとって、実に49年ぶりとなる夏の甲子園勝利だった。
そして23年後。
2003年の駒大苫小牧は、倉敷工を相手に二回だけで7点を奪った。
三回にも1点。
8-0。
甲子園初勝利は、もう手の届くところにあるように見えた。
だが、雨が降った。
四回裏二死。
試合は降雨ノーゲームになった。
8点は消えた。
安打も、打点も、投球も、すべて公式記録から消えた。
翌日の再試合。
今度は倉敷工が5-2で勝った。
公式記録に残ったのは、消えた8-0ではなく、残された2-5だけだった。
一方は、最後の一打で49年を動かした。
もう一方は、つかみかけた勝利を雨に消された。
だが南北海道の白球史は、そこで終わらない。
駒大苫小牧は翌2004年、北海道勢として初めて夏の全国制覇を成し遂げた。
消された一勝は、翌夏、深紅の大優勝旗へ姿を変えた。
南北海道代表の初戦は、海峡を越えた先で始まる
北海道の高校野球には、独特の距離がある。
地方大会を勝ち抜くまでの距離。
甲子園へ向かう移動の距離。
そして、本州の強豪校と対峙するときに感じてきた、歴史の距離である。
かつて北海道勢は、「雪国だから」「練習期間が短いから」と、勝てない理由を先に語られることが少なくなかった。
グラウンドが雪に閉ざされる冬。
ボールを握れない日々。
春になっても、本州の学校より実戦経験は少ない。
だから甲子園で一つ勝つだけでも、大きな壁を越えたように語られた。
1972年、苫小牧工が宮古水産を5-0で破った。
それ以降、南北海道勢は夏の勝利から遠ざかった。
1980年の札幌商による龍谷戦の勝利は、南北海道勢として8年ぶり。
札幌商という一校の歴史に限れば、49年ぶりだった。
それから時代は進み、駒大苫小牧が北海道高校野球の景色を一変させる。
だが、その栄光の前年には、甲子園の雨にすべてを消された初戦があった。
南北海道の初戦史は、勝利だけを並べても見えてこない。
勝った試合の中に、長い冬がある。
負けた試合の中に、翌夏の日本一が眠っている。
勝った初戦|1980年、札幌商5x-4龍谷
勝った初戦
- 大会
- 第62回全国高等学校野球選手権大会
- 日付
- 1980年8月11日
- 回戦
- 1回戦
- 球場
- 阪神甲子園球場
- 対戦
- 札幌商(南北海道)5x-4 龍谷(佐賀)
- 投手
- 金山(札幌商)、小野原昌(龍谷)
- 本塁打
- 小野原誠(龍谷)
- 特記事項
- 札幌商にとって夏49年ぶりの甲子園勝利
三回に3点――札幌商が先に夏をつかんだ
1980年8月11日。
札幌商の青いユニホームが、甲子園の土に映えていた。
現在の北海学園札幌。
当時は、札幌商の名で南北海道の代表旗を背負っていた。
初戦の相手は佐賀代表の龍谷。
試合は三回裏に動いた。
札幌商が一挙3点。
長く南北海道勢を覆ってきた重い空気を、まとめて振り払うような先制だった。
四回表、龍谷が2点を返す。
それでも札幌商は、その裏に1点を加えた。
4-2。
二点差。
初戦突破へ向かう道が、少しずつ見え始めていた。
札幌商対龍谷|5x-4のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 龍谷 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 10 |
| 札幌商 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 5 | 8 |
|
投手
龍谷:小野原昌 |
本塁打
龍谷:小野原誠 |
龍谷の反撃――小野原誠の本塁打で一点差
試合は、そのまま札幌商のものにはならなかった。
六回表。
龍谷の小野原誠が本塁打を放った。
4-3。
一点差。
七回表には、龍谷がさらに1点を加えた。
4-4。
三回に3点を先制した札幌商の優位は消えた。
安打数では龍谷が上回っていた。
龍谷10安打。
札幌商8安打。
龍谷は五回以降も走者を出し、札幌商のエース金山へ圧力をかけた。
だが、追いつかれても金山は崩れなかった。
八回をゼロ。
九回表もゼロ。
4-4のまま、札幌商は最後の攻撃へ入った。
九回裏――エース金山が一塁から走った
九回裏。
一死後、エース金山が死球で出塁した。
次打者の打球は、左中間を破った。
金山は一塁を回った。
二塁を蹴った。
三塁コーチの腕が回る。
甲子園の土を蹴り、ホームへ向かう。
龍谷の中継。
本塁への返球。
金山が滑り込む。
セーフ。
札幌商5x-4龍谷。
九回裏のサヨナラ勝ちだった。
三回に先制し、終盤に追いつかれ、それでも最後にもう一度勝ち越す。
南北海道の一勝は、平坦な道を歩いてきたのではない。
一度つかんだ流れを失い、そこからもう一度つかみ直した。
だからこそ、札幌商の49年ぶりの勝利は、単なる久々の白星ではない。
長い時間を最後の一走で駆け抜けたような勝利だった。
札幌商は、龍谷より2本少ない8安打だった。
龍谷は10安打を放ちながら10残塁。札幌商は8安打で5点を奪い、残塁は5だった。
数字だけを見れば、龍谷にも十分な勝機があった。だが札幌商は、三回と四回の好機を得点へ変え、最後は九回の走者を一気に本塁まで還した。
打った数ではなく、還した数。初戦の怖さと勝負強さが、そのまま数字に表れている。
札幌商対龍谷|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 龍谷 | 35 | 10 | 4 | 1 | 0 | 1 | 3 | 3 | 3 | 0 | 1 | 10 |
| 札幌商 | 31 | 8 | 5 | 2 | 1 | 0 | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。
1980年、南と北がそろって二度校歌を歌った
札幌商の夏は、龍谷戦だけで終わらなかった。
2回戦では福島代表の双葉と対戦した。
札幌商7-5双葉。
この試合も、簡単な勝利ではなかった。
札幌商は一時リードを許しながら、終盤に逆転した。
エース金山のスクイズ。
二塁走者まで一気に本塁へ還る、鮮やかな2ランスクイズ。
札幌商は学校史上初めて、夏の甲子園で二勝を挙げた。
同じ1980年。
北北海道代表の旭川大も勝ち進んだ。
初戦では日向学院と延長13回を戦い、4x-3。
2回戦では南宇和を3-2で破った。
札幌商と旭川大。
南と北の代表が、そろって二勝。
史上初となる南北北海道代表のアベック16強だった。
北の大地から送り出された二校が、同じ夏に二度ずつ甲子園で校歌を歌った。
今なら、それほど特別なことには聞こえないかもしれない。
だが1980年当時、その景色は新しかった。
北海道勢は勝てる。
南も北も、甲子園で二つ先へ進める。
札幌商のサヨナラ勝ちは、その可能性を開いた最初の扉だった。
3回戦。
札幌商は早稲田実業と対戦した。
相手のマウンドには、1年生の荒木大輔。
札幌商は0-2で敗れた。
それでも、夏49年ぶりの一勝から始まった札幌商の旅は、南北海道の球史に確かな線を残した。
負けた初戦|2003年、駒大苫小牧2-5倉敷工
負けた初戦
- 大会
- 第85回全国高等学校野球選手権大会
- 回戦
- 1回戦
- 第1試合
- 駒大苫小牧が8-0とリードした4回裏二死で降雨ノーゲーム
- 再試合
- 倉敷工 5-2 駒大苫小牧
- 球場
- 阪神甲子園球場
- 投手
- 陶山(倉敷工)、白石→鈴木(駒大苫小牧)
- 本塁打
- 両校なし
- 特記事項
- 前年の悔しさを経て、駒大苫小牧は翌2004年に北海道勢初の夏優勝
二回に7点――甲子園初勝利は、もう目の前に見えた
2003年8月8日。
甲子園の空には、台風の影が近づいていた。
それでも試合は始まった。
南北海道代表・駒大苫小牧。
岡山代表・倉敷工。
一回は0-0。
二回、駒大苫小牧打線が爆発した。
打者13人。
一挙7点。
三回にも1点を加えた。
8-0。
倉敷工を大きく引き離した。
駒大苫小牧にとって、夏の甲子園初勝利が見えていた。
あと六つ。
あと三つ。
アウトを積み重ねれば、学校の歴史に最初の一勝が刻まれる。
だが、甲子園の空が暗くなった。
雨脚が強まった。
白球が見えにくくなり、土が水を吸い、選手の足元が沈んでいった。
降雨ノーゲームとなった最初の試合|駒大苫小牧が8-0とリード
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 計 | 公式記録 |
| 倉敷工 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 無効 |
| 駒大苫小牧 | 0 | 7 | 1 | 0* | 8 | 無効 |
※4回裏二死で降雨中断。その後、ノーゲームが宣告され、得点・安打・投球を含む全記録が無効となった。上表は公式記録ではなく、中断時点の試合経過を示したもの。
|
試合状況
駒大苫小牧が8-0とリード |
試合の扱い
降雨ノーゲーム |
駒大苫小牧が二回に奪った7点も、三回の1点も、すべて「なかったこと」になった。スコアボードには確かに8-0と刻まれていた。だが、球史に残る正式な試合結果にはならなかった。
雨が止んだあと、勝利だけが戻ってこなかった
四回裏二死。
審判団は試合を止めた。
選手たちはベンチへ戻った。
阪神園芸の整備を待つ。
雨が弱くなることを願う。
だが、空は応えなかった。
降雨ノーゲーム。
試合不成立。
翌日、最初からやり直す。
8-0という得点差は、持ち越されない。
二回の猛攻も、先発投手の好投も、公式記録には残らない。
駒大苫小牧にとっては、勝利の途中で時計を巻き戻されたようなものだった。
あと少しで歴史になるはずだった一日が、雨の中へ沈んだ。
選手たちは宿舎へ戻った。
気持ちを切り替えようとした。
だが、高校生が8点のリードを完全に忘れ、翌日をまったく新しい試合として迎えることは簡単ではない。
一方の倉敷工は、一度は大きく崩れた。
だが、ノーゲームによってもう一度だけ命を得た。
再試合は、同じ二校が戦う。
しかし、前日と同じ試合にはならなかった。
倉敷工対駒大苫小牧|再試合のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 倉敷工 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 8 |
| 駒大苫小牧 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 |
|
投手
倉敷工:陶山 |
本塁打
倉敷工:なし |
※再試合のイニング、投手は朝日・日刊スポーツ大会アーカイブ、安打数は補助スコアブックを照合して記載。詳細記録表は全項目を一次資料で確認できていないため掲載していない。
前日とは逆の試合――倉敷工が先に点を重ねた
翌日の再試合。
今度は倉敷工が先に動いた。
二回に1点。
三回に2点。
四回に1点。
倉敷工は三イニング続けて得点した。
駒大苫小牧は三回裏に2点を返した。
3-2。
一点差。
前日の8-0を思えば、まるで別の試合だった。
倉敷工の陶山は、前日の乱調から立て直した。
直球を押し込み、変化球を低めへ集める。
駒大苫小牧は六回無死一、二塁、七回一死満塁の好機をつくった。
だが、あと一本が出ない。
陶山のフォーク、スライダーを捉え切れなかった。
六回表、倉敷工が1点を追加した。
5-2。
駒大苫小牧は八回、九回も得点できなかった。
試合終了。
倉敷工5-2駒大苫小牧。
前日に8点を奪った打線が、再試合では2点に終わった。
公式記録に刻まれたのは、この2-5だった。
この試合は、倉敷工の立場から見れば「一度与えられた再生の機会をものにした勝利」でもある。
前日は8点差。陶山も本来の投球を見せられなかった。だが翌日は、駒大苫小牧の好機を粘り強く断ち切った。
駒大苫小牧の不運だけで語れば、倉敷工の立て直しを見落とす。高校野球の再試合は、片方だけに残酷なのではない。もう片方へ、覚悟を持って生き直す一日を与える。
雨が消せなかったもの|2004年、駒大苫小牧は日本一になった
2003年の敗戦から一年。
駒大苫小牧は再び南北海道代表として甲子園へ戻った。
2004年。
最初の試合は佐世保実戦。
駒大苫小牧7-3佐世保実。
前年、雨に消された甲子園初勝利を、今度は九回まで戦って正式に刻んだ。
そこから駒大苫小牧は、日大三、横浜、北大津、東海大甲府を破った。
決勝の相手は済美。
春の選抜を初出場初優勝で制し、春夏連続の初出場初優勝を狙っていた強打のチームだった。
決勝は壮絶な打撃戦になった。
駒大苫小牧13-10済美。
北海道勢、夏の甲子園初優勝。
深紅の大優勝旗が、初めて津軽海峡を越えた。
2003年の雨が、直接すべてを変えたと断言することはできない。
一つの敗戦だけで、翌年の全国制覇を説明することもできない。
冬の練習。
打撃の鍛錬。
選手の成長。
香田誉士史監督の指導。
無数の積み重ねがあって、北海道初の日本一は生まれた。
それでも、あの雨を知る選手たちの胸に、消された8点が残っていたことは確かだと思う。
甲子園で勝つとは、最後まで試合を終えること。
スコアボードの数字を、公式記録へ変えること。
2004年の駒大苫小牧は、決勝の最後のアウトまで戦い抜いた。
前年に消えた勝利を、一年後、日本一という形で取り戻した。
もう一つの初戦|2004年、駒大苫小牧7-3佐世保実
第86回全国高等学校野球選手権大会・2回戦
駒大苫小牧 7-3 佐世保実
駒大苫小牧にとって、夏の甲子園初勝利。前年の倉敷工戦で雨に消された一勝を正式に刻み、北海道勢初の全国制覇へ向かう連勝が始まった。
2003年と2004年。
同じ学校の初戦なのに、二つの試合は正反対だった。
2003年は、8点を先に奪いながら勝利が消えた。
2004年は、佐世保実に食い下がられながら、最後まで試合を終えた。
7-3。
公式記録に残る一勝。
その一勝が、北海道高校野球の歴史を変える第一歩になった。
初戦の一勝は、いつも同じ重さではない。
前年の雨を知るチームにとって、2004年の一勝は、ただの初戦突破ではなかった。
一年越しに試合終了の瞬間へたどり着いた勝利だった。
札幌商と駒大苫小牧|最後につかんだ勝利、雨に消された勝利
1980年・札幌商
札幌商5x-4龍谷
3点を先制しながら終盤に追いつかれ、4-4で九回裏へ。エース金山が死球で出塁し、左中間への一打で一塁からサヨナラのホームを踏んだ。
札幌商にとって夏49年ぶりの甲子園勝利。その後も双葉を破り、旭川大とともに史上初の南北北海道アベック16強へ進んだ。
2003年・駒大苫小牧
倉敷工5-2駒大苫小牧
最初の試合では二回に7点、三回に1点を奪い8-0とリード。だが4回裏二死で降雨ノーゲームとなり、翌日の再試合で2-5と敗れた。
翌2004年、駒大苫小牧は北海道勢として初めて夏の全国制覇を成し遂げた。
札幌商は、一度追いつかれた。
それでも九回裏、最後の一走で勝利をつかんだ。
駒大苫小牧は、大きくリードしていた。
それでも雨によって、勝利をつかむ前に試合そのものを失った。
勝負は、優勢か劣勢かだけでは決まらない。
最後のアウトが成立するまで、勝利は誰のものでもない。
1980年の札幌商は、最後まで終わらせたから勝った。
2003年の駒大苫小牧は、終わらせる前に雨に止められた。
だが、雨に止められたチームは、そのまま止まらなかった。
翌年、甲子園の最後の試合まで勝ち進んだ。
南北海道の初戦史には、一試合の結果を越えた時間が流れている。
まとめ|南北海道の白球は、最後まで走ることを覚えた
1980年。
札幌商は第62回全国高等学校野球選手権大会へ、南北海道代表として出場した。
初戦の相手は佐賀代表の龍谷。
札幌商は三回に3点を先制。
四回にも1点を加え、4-2とリードした。
龍谷は六回、小野原誠の本塁打で一点差。
七回に追いついた。
4-4で迎えた九回裏。
札幌商はエース金山が死球で出塁。
左中間を破る一打で、一塁から一気に生還した。
札幌商5x-4龍谷。
札幌商にとって夏49年ぶりの甲子園勝利だった。
札幌商は次戦でも双葉を7-5で破った。
北北海道代表の旭川大も日向学院、南宇和に勝利。
南北北海道代表がそろって16強へ進んだ、史上初の夏になった。
2003年。
駒大苫小牧は倉敷工との初戦で、二回に7点、三回に1点を奪った。
8-0。
だが、四回裏二死で降雨中断。
試合はノーゲームになった。
8点のリードは消えた。
翌日の再試合。
倉敷工が二回から四回まで得点を重ねた。
駒大苫小牧は三回に2点を返したが、終盤の好機を生かせなかった。
倉敷工5-2駒大苫小牧。
公式記録には、この敗戦だけが残った。
だが翌2004年。
駒大苫小牧は再び甲子園へ戻った。
佐世保実を破り、学校として夏の甲子園初勝利。
そのまま決勝まで勝ち上がり、済美を13-10で破った。
北海道勢、夏の甲子園初優勝。
深紅の大優勝旗が、初めて津軽海峡を越えた。
札幌商は、追いつかれても最後の一線を越えた。
駒大苫小牧は、雨に消されても翌夏の最後まで走った。
南北海道の高校野球は、負けなかったから強くなったのではない。
追いつかれた記憶も、消された記憶も、敗れた記憶も抱えて強くなった。
甲子園の土は、雪国の球児たちの足跡を簡単には残してくれなかった。
だから彼らは、消されても、もう一度走った。
九回裏、サヨナラのホームへ。
そして翌夏、全国の頂点へ。
あの夏の白球は、今も心を走り続けている。
南北海道の甲子園初戦史に関するFAQ
関連記事・内部リンク
使用した主な情報ソース
-
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ「札幌商―龍谷」
1980年夏1回戦、札幌商5-4龍谷のイニングスコア、投手、小野原誠の本塁打を確認するため参照した。 -
朝日・日刊スポーツ大会アーカイブ「1980年第62回選手権大会」
札幌商が龍谷、双葉を破り、3回戦で早稲田実に敗れた経過と、旭川大が日向学院、南宇和を破った大会結果を確認した。 -
日刊スポーツ「札幌商 夢中で体ごと飛びついた」
札幌商にとって夏49年ぶりの甲子園勝利、学校史上初の夏2勝、旭川大との史上初の南北アベック16強を確認した。 -
朝日・日刊スポーツ大会アーカイブ「1972年第54回選手権大会」
南北海道代表の苫小牧工が宮古水産を5-0で破った記録を確認し、1980年の南北海道勢8年ぶりの白星という位置づけに用いた。 -
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ「倉敷工―駒大苫小牧」
再試合のイニングスコア、倉敷工5-2駒大苫小牧、投手、試合経過を確認するため参照した。 -
朝日・日刊スポーツ大会アーカイブ「2003年第85回選手権大会」
駒大苫小牧の初戦敗退と、その後の倉敷工の大会経過を確認した。 -
駒澤大学附属苫小牧高等学校野球部「野球部の歴史」
2003年の倉敷工戦が4回裏二死、8点リードで降雨ノーゲームとなり、再試合で2-5と敗れた学校史を確認した。 -
岡山県立倉敷工業高等学校「倉敷工 甲子園出場史」
倉敷工側の公式記録として、前日の4回0-8降雨ノーゲームと、再試合5-2の勝利を確認した。 -
4years.「甲子園期間中に初めて知った『スタバ』のメニュー」
2003年大会の雨天状況、駒大苫小牧が8-0とリードしながらノーゲームとなり、翌日に倉敷工が5-2で勝利した経過を確認した。 -
高校野球マイナー情報局「2003年度選手権大会1回戦・倉敷工業5-2駒大苫小牧」
再試合の日付、両校の安打数、二塁打および投手の投球回を確認する補助資料として参照した。 -
日本高等学校野球連盟「選手権大会小史」
2004年、駒大苫小牧が北海道勢として初めて夏の全国優勝を成し遂げ、大優勝旗が津軽海峡を越えた大会史を確認した。
札幌商―龍谷のスコア、投手、本塁打、詳細記録は、朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブおよび提供された記録画面をもとに作成した。駒大苫小牧―倉敷工の最初の試合は、駒大苫小牧野球部公式史、倉敷工公式出場史、朝日新聞系記事に基づき「駒大苫小牧が8-0とリードした4回裏二死で降雨ノーゲーム」と表記した。ノーゲームとなった試合の得点、安打、投球などは公式記録として成立していないため、本文の表は中断時点の試合経過を示す参考表である。再試合の詳細記録は全項目を一次資料で確認できていないため、詳細記録表を設けず、確認できたイニング、投手、安打数のみを掲載した。

コメント