山口の甲子園初戦クロニクル|負けから始まったミラクル、初勝利から始まった新時代

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初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
山口の甲子園初戦クロニクル|負けから始まったミラクル、初勝利から始まった新時代

高校野球の歴史には、あとから振り返って初めて、「あの日が始まりだった」と分かる試合がある。

そのときには、まだ誰も知らない。

その学校が何年後に強豪と呼ばれるのか。

その監督が、どんな名勝負を残すのか。

その一勝が、どこまで続いていくのか。

山口県の甲子園初戦史を眺めていると、そんな二つの「始まり」が見えてくる。

一つは1976年。

後に「ミラクル宇部商」と呼ばれるチームを作り、1985年夏にはKKコンビのPL学園と決勝を戦う玉国光男監督が、指揮官として初めて立った甲子園である。

宇部商は秋田商を相手に、五回に3点を奪って3-1と逆転した。

ところが八回。

秋田商に3点を奪われ、3-4。

玉国宇部商の甲子園は、劇的な勝利からではなく、終盤の逆転負けから始まった。

もう一つは2018年。

下関国際は、前年夏、同年春と甲子園へ出場しながら、まだ全国で一つも勝っていなかった。

三季連続で迎えた第100回大会。

花巻東に二度リードされ、二度追いついた。

延長十回、2点を勝ち越す。

エース鶴田克樹が127球を投げ切った。

下関国際4-2花巻東。

創部54年目の甲子園初勝利だった。

一方は、負けから始まった。
一方は、初勝利から始まった。

そして数年、数十年の時間を経て、宇部商も下関国際も、山口県代表として夏の甲子園決勝へたどり着く。

山口高校野球の半世紀を一本の線で結ぶなら、その両端には、こんな二つの初戦が置かれている。

この記事の30秒要約

勝った初戦は、2018年の下関国際4-2花巻東。下関国際は五回に先制され、七回に追いつき、八回に再び勝ち越されても九回にもう一度同点。延長十回に川上、吉村の適時打で2点を奪った。鶴田は10回127球、8安打2失点、9奪三振で完投。創部54年目の甲子園初勝利から、その夏は8強へ進んだ。

負けた初戦は、1976年の宇部商3-4秋田商。前年に監督就任した玉国光男にとって、指揮官として初めての甲子園だった。宇部商は五回に3点を奪って逆転したが、八回に秋田商が3点を返して再逆転。玉国監督の甲子園は敗戦から始まり、7年後の1983年、帝京戦で劇的な逆転サヨナラ勝ちを挙げる。1985年には夏の甲子園準優勝を果たした。

山口代表の「勝った初戦」|2018年・下関国際4-2花巻東

二度リードされ、二度追いついた。
延長10回、下関国際は13本すべて単打という泥臭い攻撃で勝ち越し、創部54年目の甲子園初勝利をつかんだ。

下関国際対花巻東|延長10回のイニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 安打
下関国際 0 0 0 0 0 0 1 0 1 2 4 13
花巻東 0 0 0 0 1 0 0 1 0 0 2 8
投手

下関国際:鶴田
花巻東:伊藤 → 西舘

本塁打

下関国際:なし
花巻東:なし

三度目の甲子園、まだ一勝もなかった

2018年夏の下関国際は、甲子園そのものが初めてだったわけではない。

2017年夏に初出場。

2018年春の選抜にも出場した。

そして、2018年夏。

三季連続、通算三度目の甲子園だった。

けれども全国では、まだ一勝もしていない。

甲子園へ出ることと、甲子園で勝つことは違う。

その壁を、下関国際はすでに二度見ていた。

そして三度目の初戦で当たった相手が、岩手の強豪・花巻東だった。

鶴田と伊藤、静かに始まった投手戦

下関国際のマウンドには、鶴田克樹。

体格の大きな右腕で、投げても打ってもチームの中心だった。

花巻東は伊藤翼。

両投手が立ち上がりからテンポよく投げた。

一回、0-0。

二回も0-0。

四回を終えても、スコアボードにはゼロが並んだ。

試合が動いたのは五回裏だった。

花巻東が先制、それでも試合を離さない

五回裏、花巻東が一点を先制した。

下関国際にとっては、甲子園初勝利を目指す試合で先に点を取られる展開だった。

それでも鶴田は崩れない。

六回を無失点で切り抜ける。

七回表、下関国際打線が動いた。

二死から三連打。

西山勇輝が適時打を放ち、1-1。

一度、試合を振り出しへ戻した。

八回、また花巻東が前へ出る

ところが八回裏。

花巻東が再び一点を奪った。

2-1。

下関国際は、また追う立場になった。

残された攻撃は九回表だけ。

前年夏も、同年春も、甲子園では勝てなかった。

三度目の甲子園も、また一勝に届かないまま終わるところまで来ていた。

九回、西山がもう一度追いついた

九回表。

下関国際は一死から三連打を放った。

打ったのは、また西山だった。

七回に同点打。

そして九回にも同点打。

2-2。

二度リードされ、二度追いついた。

鶴田は九回裏を抑える。

下関国際の甲子園初勝利は、延長戦へ持ち越された。

延長十回、三連打から勝ち越し

十回表。

一死から浜松、甲山、川上と三人が続いた。

川上の左前適時打で、3-2。

この試合で初めて、下関国際が前へ出た。

さらに吉村も適時打。

4-2。

下関国際は十三安打を放った。

だが、二塁打も三塁打も本塁打もない。

十三本すべてが単打だった。

派手な一発で決めたのではない。一本ずつ、走者をつなぎ、一点ずつ勝利へ近づいた。

鶴田、127球目

十回裏。

マウンドには、まだ鶴田がいた。

この日、最速は146キロ。

けれども最後は、速球ではなかった。

127球目のスライダー。

最後の打者を一塁ゴロに打ち取った。

10回、8安打、2失点、9奪三振。

下関国際4-2花巻東。

創部54年目。三度目の甲子園で、ようやく校歌を全国の舞台で歌った。

下関国際4-2花巻東|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
下関国際 39 13 4 0 0 0 7 1 2 2 2 8
花巻東 35 8 1 1 0 0 9 1 3 1 1 7

※詳細記録は大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|一勝とは、たった一試合のことではない

僕は高校野球を長く見てきて、「初勝利」という言葉を何度も聞いた。けれども、本当に大事なのは、その一勝が何を連れてくるかだと思う。

下関国際の最初の一勝は、華やかな長打攻勢ではなかった。十三本の安打はすべて単打。二度リードされ、二度追いつき、最後まで鶴田が投げた。強者らしく勝ったというより、勝つまで試合から離れなかった。

そして、この一勝から8強へ進んだ。四年後には大阪桐蔭、近江を破り、夏の決勝まで行った。

2018年8月9日に手にしたものは、スコアブックの一勝だけではなかったのだろう。全国の人が「下関国際は強い」と見る未来へ続く、最初の足跡だった。

創志学園戦、今度は九回に3点

花巻東戦で初勝利を挙げた下関国際は、二回戦で創志学園と対戦した。

相手の二年生エースは、西純矢。

初戦で16奪三振、無四球完封。

大会屈指の好投手だった。

下関国際は普通に打ち合うのではなく、球数を投げさせる作戦を選んだ。

八回まで、わずか一安打。

それでも西には149球を投げさせていた。

九回表、2-4。

ここから下関国際は無死満塁。

暴投で一点。

品川の適時打で同点。

佐本の犠飛で勝ち越した。

5-4。花巻東戦に続き、また終盤に試合をひっくり返した。

初勝利から、一気に8強へ

三回戦も勝ち、下関国際は準々決勝へ進んだ。

相手は日大三。

鶴田は強力打線を七回二死まで無安打に抑えた。

下関国際が2-0とリード。

しかし八回、日大三が集中打で3点を奪った。

下関国際2-3日大三。

4強には届かなかった。

それでも、三度目の甲子園で手にした一勝は、一勝だけでは終わらなかった。

初勝利から三勝。一気に全国8強。下関国際という学校の見え方が、この夏を境に変わり始めた。

山口代表の「負けた初戦」|1976年・宇部商3-4秋田商

後に「ミラクル宇部商」を作る玉国光男監督にとって、指揮官として最初の甲子園。
宇部商は五回に3点を奪って逆転したが、八回に秋田商に3点を奪われ、3-4で敗れた。

秋田商対宇部商|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 安打
秋田商 0 1 0 0 0 0 0 3 0 4 8
宇部商 0 0 0 0 3 0 0 0 0 3 5
投手

秋田商:山岡
宇部商:藤井

本塁打

秋田商:なし
宇部商:柿田

選手として甲子園を知っていた玉国光男

玉国光男にとって、甲子園そのものが初めてだったわけではない。

1966年春。

宇部商が初めて甲子園へ出場した選抜大会で、玉国は主将だった。

チームは4強へ進んだ。

準決勝では中京商と延長十五回の死闘を戦い、4-5で敗れた。

それから九年後の1975年。

玉国は母校・宇部商の監督に就任した。

そして1976年夏、今度は指揮官として甲子園へ戻ってきた。

二回、秋田商が先制

初戦の相手は秋田商。

宇部商の先発は藤井。

秋田商は山岡。

二回表、秋田商が一点を先制した。

その後は藤井が追加点を許さない。

宇部商も山岡をなかなか崩せないまま、試合は五回へ進んだ。

五回、宇部商が一気に3点

五回裏。

宇部商打線がつながった。

この回、3点。

宇部商3-1秋田商。

試合をひっくり返した。

宇部商には柿田の本塁打も記録されている。

六回、七回と両校無得点。

あと二イニング。玉国監督の甲子園初勝利が近づいていた。

八回、秋田商の3点

しかし八回表。

秋田商打線が藤井を捉えた。

一挙3点。

3-4。

五回に作った二点のリードが、一つのイニングで消えた。

宇部商は八回裏に追いつけない。

九回も得点できなかった。

秋田商4-3宇部商。

後に逆転劇を何度も演じる「ミラクル宇部商」の指揮官は、自分の甲子園初陣で、逆転される側として夏を終えた。

秋田商4-3宇部商|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
秋田商 30 8 3 0 1 0 3 4 4 2 0 7
宇部商 27 5 3 0 0 1 6 5 2 2 1 4

※詳細記録は大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|ミラクルは、最初からミラクルではなかった

僕らは後から歴史を見るから、玉国光男という名前に「ミラクル宇部商」を重ねてしまう。九回の逆転、土壇場の本塁打、1985年の準優勝。そんな場面ばかりが先に浮かぶ。

けれども、玉国監督の甲子園は、ミラクル勝利から始まったのではない。3-1のリードを八回にひっくり返される、3-4の敗戦から始まった。

甲子園初勝利まで、それから七年かかった。

そして1983年、その一勝が今度は九回の逆転サヨナラ本塁打だった。

「ミラクル」とは、生まれつき持っているものではないのだろう。負けた試合を忘れず、最後のアウトまでひっくり返す方法を探し続けた学校に、いつか後から付けられる名前なのかもしれない。

甲子園初勝利まで七年

1976年の秋田商戦で敗れたあとも、玉国監督は宇部商を率いた。

1982年夏にも甲子園へ戻ったが、高岡商に敗れた。

そして1983年夏。

宇部商は帝京と対戦した。

一点を追う九回裏。

無死一塁。

打席は浜口大作。

前の打席ですでに本塁打を放っていた。

玉国監督は送りバントを命じなかった。

強攻。

浜口の打球はスタンドへ入った。

6-5。

逆転サヨナラ2ラン。「玉国宇部商」の甲子園初勝利だった。

1985年、KKのPL学園と決勝へ

そして1985年。

宇部商は夏の甲子園で一気に決勝まで進んだ。

初戦は銚子商に8-3。

鳥取西、東農大二、鹿児島商工を破り、準決勝では東海大甲府との乱戦を7-6で制した。

決勝の相手はPL学園。

桑田真澄、清原和博の高校最後の夏だった。

宇部商は3-4で敗れた。

全国制覇には一点届かなかった。

1976年の初陣から九年。八回に逆転されて終わった監督が、今度は全国の最後の一試合まで残っていた。

2022年、山口の決勝史がつながった

宇部商がPL学園と決勝を戦ってから、37年。

2022年夏、山口県代表が再び甲子園の決勝へ進んだ。

学校は下関国際だった。

準々決勝では春夏連覇を目指していた大阪桐蔭を破った。

準決勝では、その春の選抜準優勝校・近江も破った。

そして決勝。

仙台育英に1-8で敗れ、準優勝。

それでも、山口県勢としては1985年宇部商以来37年ぶりの夏準優勝だった。

その快進撃を、玉国光男も見ていた。

2022年の下関国際で五番を打った水安勇は、玉国が指導する宇部ボーイズの出身だった。

玉国が下関国際へ送り出した選手でもある。

宇部商から下関国際へ。学校は違っても、山口の高校野球は人を通じてつながっていた。

まとめ|山口の強さは、最初の一試合だけでは分からない

1976年、宇部商は秋田商に敗れた。

3-1から3-4。

玉国光男監督の甲子園初陣は、終盤の逆転負けだった。

それから七年。

帝京戦で逆転サヨナラ勝ち。

さらに二年後、1985年には全国準優勝。

2018年、下関国際は花巻東と戦った。

三度目の甲子園。

二度リードされ、二度追いついた。

延長十回、初めて前へ出た。

4-2。

その一勝から、8強へ進んだ。

そして四年後、2022年。

下関国際も夏の決勝へ進んだ。

1985年の宇部商以来、37年ぶりだった。

僕は、この二つの初戦を並べてみると、高校野球の面白さがよく分かる気がする。

強豪校は、最初から強豪校なのではない。

名将も、最初から名将と呼ばれているわけではない。

負けた一試合の先に、何年もの歴史が続く。

最初の一勝の先に、全国の決勝まで続く道が伸びることもある。

玉国宇部商は、逆転負けから始まった。
下関国際は、三度目の甲子園でようやく一勝をつかんだ。

そして、どちらもやがて山口の代表として甲子園の最後の日まで残った。

一試合の勝敗だけを見れば、1976年と2018年はまったく違う。
けれども、その試合が学校の歴史に何を残したかまで見れば、二つはどこか似ている。

あの日はまだ始まりだった。

山口の甲子園史には、そんな初戦がある。

山口の甲子園初戦史|よくある質問

Q1.下関国際の甲子園初勝利はいつ?
A.2018年夏の花巻東戦。延長10回の末、4-2で勝った。2017年夏、2018年春に続く三季連続、通算三度目の甲子園での初勝利だった。
Q2.下関国際対花巻東で鶴田は何球投げた?
A.延長10回を127球で完投した。8安打2失点、9奪三振。最後はスライダーで打者を一塁ゴロに打ち取った。
Q3.2018年の下関国際は最終的にどこまで進んだ?
A.初勝利から3勝して8強へ進んだ。準々決勝では日大三に2-3で逆転負け。鶴田は七回二死まで日大三打線を無安打に抑えていた。
Q4.1976年は玉国光男監督にとって最初の甲子園だった?
A.監督としては最初の甲子園だった。玉国は1975年に宇部商監督へ就任している。ただし選手時代には1966年春の選抜に宇部商主将として出場し、4強まで進んでいた。
Q5.玉国監督の甲子園初勝利はいつ?
A.1983年夏の帝京戦。宇部商は一点を追う九回裏、浜口大作の逆転サヨナラ2ランで6-5と勝った。「玉国宇部商」の甲子園初勝利とされている。
Q6.宇部商と下関国際は、ともに夏の甲子園準優勝?
A.宇部商は1985年夏にPL学園に3-4で敗れて準優勝。下関国際は2022年夏に仙台育英に1-8で敗れて準優勝した。山口県勢の夏の決勝進出は37年ぶりだった。

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使用した主な情報ソース

日刊スポーツ|下関国際が甲子園初勝利 延長10回花巻東破る

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201808090000470.html

下関国際の甲子園初勝利、九回の同点打、延長十回の川上の勝ち越し打などの試合経過確認に使用。

日刊スポーツ|05年部員1人…下関国際・坂原監督の情熱で初勝利

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201808100000073.html

鶴田の127球完投、最速146キロ、13安打がすべて単打だったこと、創部54年目の甲子園初勝利などの確認に使用。

日刊スポーツ|下関国際「食らいつく野球できた」創部54年初白星

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201808090000541.html

2017年夏、2018年春の初戦敗退、三季連続出場、坂原監督就任当初の部員不足など学校史の確認に使用。

日刊スポーツ|下関国際 西への「ウエイト作戦」最後に花開く

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201808150000409.html

2018年創志学園戦、西純矢に球数を投げさせる作戦と九回の逆転劇の確認に使用。

阪神甲子園球場公式|第100回全国高校野球選手権記念大会・準々決勝

https://koshien.hanshin.co.jp/highschool/summer2018/schedule_20180818.html

下関国際2-3日大三の準々決勝スコア確認に使用。

日刊スポーツ|下関国際8回に悪夢 鶴田7回途中ノーノーも3失点

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201808180000542.html

日大三戦で鶴田が七回二死まで無安打、2018年に初勝利から3勝し8強へ進んだことの確認に使用。

高校野球大会アーカイブ|第58回全国高校野球選手権大会

https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1976.php

1976年秋田商4-3宇部商、大会全体の勝ち上がり確認に使用。

やっぱり甲子園|1976年第58回全国高校野球選手権大会

https://hsbb.jp/senshuken/y1976/

秋田商が二回に1点、宇部商が五回に3点、秋田商が八回に3点を奪ったイニングスコアの照合に使用。

山口朝日放送|玉国流教育論「強いチームの作り方」

https://www.yab.co.jp/dokinama_broadcast/45362

玉国光男が1966年春の宇部商初甲子園で主将、1975年に監督就任、1985年夏準優勝などの確認に使用。

日刊スポーツ|ミラクル生んだ宇部商・玉国監督の「罰則」

https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201805310000445.html

1983年帝京戦、浜口大作の逆転サヨナラ2ランが「玉国宇部商」の甲子園初勝利だったこと、「ミラクル宇部商」の背景確認に使用。

やっぱり甲子園|宇部商 甲子園出場成績

https://hsbb.jp/school/424

宇部商の1976年、1982年、1983年、1985年の甲子園成績、1985年夏準優勝までの勝ち上がり確認に使用。

下関国際高校|甲子園結果について(お礼)

https://www.shiboyama.ac.jp/info/

2022年夏の下関国際準優勝が、山口県勢として1985年宇部商以来37年ぶりだったことの学校公式確認に使用。

スポニチ|元宇部商監督・玉国光男さん 下関国際の準優勝称える

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/08/23/kiji/20220823s00001002034000c.html

玉国光男が2022年の下関国際準優勝を評価したこと、水安勇が宇部ボーイズ時代の教え子で下関国際へ送り出した選手だったことの確認に使用。

記事についての注意書き

本記事は、公開されている大会記録、学校公式資料、新聞・放送報道および大会アーカイブの記録画面を照合し、筆者の記憶と考察を加えて再構成した。試合の空気、選手・監督の心情、学校史や県勢史における位置づけには筆者独自の解釈を含む。選手名、学校名、記録は当時の表記を基本とした。

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