今の高校野球ファンにとって、山梨はもう「小県だから甲子園では苦しい」という県ではないと思う。
東海大甲府は夏の甲子園で何度も上位へ進み、山梨学院は2023年春、ついに春夏を通じて山梨県勢初の甲子園優勝を成し遂げた。
けれど、僕らの記憶を少し巻き戻すと、山梨の甲子園には別の顔が見えてくる。
県立高校が、全国の名門を相手に必死で食らいつく夏。
そして、ときどき甲子園そのものをざわつかせる夏である。
今回選んだ二つの初戦には、どちらにも「奇跡」という言葉がついて回る。
ただし、立場は正反対だ。
1983年。
吉田は、あの「奇跡の箕島」を敗戦寸前まで追い詰めながら、九回二死から同点本塁打を浴び、延長13回に逆転サヨナラで敗れた。
その八年後。
1991年の春、「ミラクル市川」と呼ばれた市川が、夏の初戦でもまたサヨナラ勝ちを見せる。
奇跡を起こされた山梨と、奇跡を起こした山梨。
この二試合を並べると、山梨の高校野球が全国の舞台で存在感を増していった時間まで見えてくる気がする。
勝った初戦は、1991年の市川6-5瓊浦。春のセンバツで2試合連続逆転サヨナラ勝ちを演じ「ミラクル市川」と呼ばれた市川は、夏の甲子園でも初戦で5-0のリードを追いつかれながら、九回裏に6-5のサヨナラ勝ち。次戦は我孫子を2-0で破り、春4強・夏8強まで進んだ。
負けた初戦は、1983年の吉田3-4箕島。2年生左腕・三浦憲が吉井理人を擁する優勝候補・箕島を苦しめ、2-1の九回裏にはスクイズも外して二死走者なし。ところが硯昌巳に2打席連続となる同点本塁打を浴びた。延長13回表に再び3-2と勝ち越したが、その裏に逆転サヨナラ。遊撃には後の西武・田辺徳雄がいた。
山梨代表の「勝った初戦」|1991年・市川6x-5瓊浦
夏は5-0から追いつかれた。それでも最後に勝っていた。偶然にしては、何度も起こりすぎる。
市川対瓊浦|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 瓊浦 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 5 | 9 |
| 市川 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 6 | 8 |
|
投手
瓊浦:浦 → 田中 |
本塁打
瓊浦:牧山 |
その春、甲子園は「ミラクル市川」を知った
1991年春。
市川はセンバツ初出場だった。
初戦で浪速を3-1で破る。
そして2回戦の宇都宮学園戦。
九回にひっくり返して3-2の逆転サヨナラ。
準々決勝の桐生第一戦でも、延長11回に3-2の逆転サヨナラ。
二試合連続の逆転サヨナラ勝ち。
その頃から全国の高校野球ファンが、この県立校を「ミラクル市川」と呼ぶようになった。
準決勝では広陵に1-4で敗れた。
それでも初出場でベスト4。
エースは樋渡卓哉。
一度なら偶然と言える。
二度続けば、何かがある。
そして夏。
市川は初めて、夏の甲子園へやって来た。
三回を終えて5-0。今度は楽に勝つのかと思った
夏の初戦は2回戦。相手は長崎の瓊浦だった。
市川は二回に1点。
三回には一挙4点。
5-0。
春のような胃の痛くなる試合ではなく、今度は余裕を持って勝つのかな――。
テレビの前では、そう思った人も多かったのではないか。
ところが、ミラクルと呼ばれるチームの試合は、なぜか簡単には終わらない。
瓊浦、五回から追う。八回、ついに5-5
瓊浦は五回に2点。
六回に1点。
そして八回には、牧山の本塁打もあって2点。
5-5。
今度の市川は、追いかける側ではない。
5点差を追いつかれる側だった。
春に何度も土壇場から試合をひっくり返した学校が、夏には逆に相手の粘りを受ける。
野球は、こういうところが面白い。
そして九回裏。また最後に市川が一点を取った
九回表、瓊浦は無得点。
5-5のまま、市川の九回裏になった。
そして市川は、また最後に一点を取った。
6x-5。
春にサヨナラ。
またサヨナラ。
そして夏の初戦もサヨナラ。
「ミラクル市川」の呼び名は、夏になっても消えなかった。
市川6x-5瓊浦|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 瓊浦 | 29 | 9 | 5 | 1 | 1 | 1 | 9 | 5 | 5 | 1 | 3 | 7 |
| 市川 | 32 | 8 | 6 | 1 | 1 | 0 | 9 | 5 | 3 | 3 | 0 | 8 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。
僕は「ミラクル市川」という呼び名が好きだ。
あの春を思い出すには、これ以上分かりやすい言葉もない。
でも同時に、少しだけ気の毒な呼び名でもあると思う。
奇跡と言われると、何か説明のつかない力で勝ったようにも聞こえるからだ。
市川は春に4強まで進んだ。
夏も瓊浦にサヨナラ勝ちしたあと、我孫子を2-0で破った。樋渡は完封。そして準々決勝まで進んでいる。
春4強、夏8強。
一年にこれだけ勝って、それでも全部を「奇跡」で片づけるのは、さすがに選手たちに失礼だろう。
土壇場で一本を出す。守るべきところで守る。最後まで自分たちの野球を崩さない。
それを何度もやったから、外から見た僕らには「ミラクル」に見えたのだと思う。
その次は2-0。市川は「普通に強い」ことまで見せた
初戦のサヨナラ勝ちのあと、市川が3回戦で対戦したのは我孫子だった。
結果は2-0。
樋渡が完封した。
サヨナラも、大逆転もない。
ただ、きっちり勝った。
僕はむしろ、この2-0が「ミラクル市川」の正体をよく表している気がする。
準々決勝では鹿児島実に3-7で敗れた。
それでも春4強、夏8強。
山梨の公立校が、一年に二度、全国の最後の方まで残った。
僕には、そちらの方がよほど「奇跡」に思える。
山梨代表の「負けた初戦」|1983年・吉田3-4x箕島(延長13回)
九回、スクイズを外して二死走者なし。あと一人。ところが硯昌巳が同点本塁打。延長13回、吉田はもう一度勝ち越した。それでも勝てなかった。
箕島対吉田|延長13回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 計 | 安打 |
| 吉田 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 7 |
| 箕島 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2x | 4 | 10 |
|
投手
吉田:三浦 |
本塁打
吉田:なし |
相手は「奇跡の箕島」。吉田は、負けないだけで十分と思われていた
1983年夏、第65回大会。
吉田は夏の甲子園、二度目の出場だった。
初戦の相手が箕島と決まった。
尾藤公監督。
春夏通算4度の全国優勝。
1979年の星稜との延長18回をはじめ、甲子園で何度も信じがたい逆転劇を起こしてきた学校。
そしてこの年のエースは吉井理人だった。
のちに近鉄、ヤクルト、そしてメジャーリーグでも投げる右腕である。
対する吉田のエースは2年生左腕・三浦憲。
遊撃には同じく2年生の田辺徳雄。
後年の田辺は、西武黄金時代の内野を支える選手になる。
けれど、この日の彼はまだ、全国のほとんどが知らない山梨の高校二年生だった。
三回に1点、五回に1点。吉田が2-0
試合前の名前だけを並べれば、箕島が圧倒的に見える。
ところが先に点を取ったのは吉田だった。
三回に1点。
五回にも1点。
2-0。
三浦が箕島打線を抑える。
六回まで、あの箕島がゼロ。
七回、硯昌巳が本塁打を放って2-1。
それでも吉田が一点リードしたまま、九回裏を迎えた。
スクイズを外した。二死走者なし。あと一人
九回裏。
箕島は一死三塁の好機をつくる。
打席には硯。
前の打席で本塁打を放っている打者である。
そこで尾藤監督はスクイズを仕掛けた。
吉田バッテリーは読んでいた。
ウエスト。
三塁走者は挟まれてアウト。
二死走者なし。
あと一人だった。
いや、当時その場にいた人の感覚では、あと一球にまで近づいていた。
その直後、硯がバックスクリーンへ打った
スクイズに失敗した打者は、心理的に落ち込むものだという。
ところが硯は、その直後の球をとらえた。
打球は中堅、バックスクリーンへ。
2-2。
硯は、七回に続く2打席連続本塁打だった。
スクイズ失敗。
二死走者なし。
そして同点本塁打。
野球漫画の編集者なら、「さすがに出来すぎだ」と止めるかもしれない。
けれど、相手は箕島だった。
十三回表。吉田は、もう一度勝ち越した
試合は延長へ入った。
十回。十一回。十二回。
両校無得点。
そして十三回表。
吉田は持ち味の機動力を使った。
ダブルスチール。
一点をもぎ取った。
3-2。
九回に一度逃した勝利を、吉田は自分たちでもう一度引き寄せた。
十三回裏。田辺の正面に、打球が転がってきた
しかし十三回裏、箕島は一死満塁とした。
打球は遊撃へ。
田辺の正面だった。
併殺なら試合が終わる。
ところが二塁走者と打球が重なり、田辺は一瞬ためらった。
足が止まった。
ボールを前へこぼした。
3-3。
なお満塁。
次の打球が三遊間を抜けた。
4x-3。
九回に勝利をつかみかけた。
十三回にも、もう一度つかみかけた。
それでも吉田は、箕島に勝てなかった。
箕島4x-3吉田|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 吉田 | 40 | 7 | 2 | 0 | 2 | 0 | 7 | 7 | 3 | 6 | 3 | 8 |
| 箕島 | 45 | 10 | 4 | 1 | 0 | 2 | 3 | 3 | 4 | 0 | 1 | 11 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、盗塁などによって一致しない場合がある。
この試合を調べ直して、僕がいちばん胸に残ったのは、十三回の遊撃手だった。
田辺徳雄。まだ2年生。
九回には、スクイズを外して三塁走者をアウトにするプレーにも絡み、金星はすぐそこまで来ていた。
ところが十三回、併殺なら試合終了という打球を処理できず、同点を許す。次の打球が三遊間を抜け、サヨナラ。
日刊スポーツの後年の取材で、田辺はあの場面を、自分の足が止まったと振り返っている。打撃もこの試合は結果を残せなかった。
そして、その悔しさから「もっと強くならなければ」と練習への意識を変えたという。
高校3年では甲子園へ戻れなかった。
それでも卒業後、西武へ入り、黄金時代の主力となった。
甲子園で勝てなかった試合が、その後の野球人生の入口になった。
こういう話に出会うたび、僕は「負けた初戦」を選ぶ意味をもう一度思う。
敗戦は、その人の物語の終わりとは限らない。
山梨は、いつの間にか「甲子園で勝つ県」になっていった
1983年の吉田は、箕島にあと一歩届かなかった。
しかし、その二年後の1985年には東海大甲府が夏のベスト4へ進む。
その後も東海大甲府は全国の上位へ顔を出し続けた。
1991年には市川が春4強、夏8強。
そして2023年春、山梨学院が報徳学園を破って、山梨県勢として春夏通じて初めて甲子園の頂点に立った。
今から見ると、山梨が全国で勝つことに驚きはない。
でも、その景色が当たり前になる前に、吉田の3-4xがあり、市川の6x-5があった。
そう思って昔のスコアを眺めると、数字の意味が少し変わって見える。
1983年、吉田は箕島の奇跡に泣いた。
1991年、市川は自分たちが「ミラクル」と呼ばれた。
もちろん、両チームに直接のつながりがあるわけではない。学校も違う。選手も違う。八年という時間もある。
それでも県別の歴史として並べると、僕には妙に面白い。
一度は「また箕島が奇跡を起こした」と語られる側にいた山梨が、八年後には「また市川がやった」と全国から見られる側になっている。
高校野球の県史というのは、優勝回数だけでは見えない。
こういう小さな立場の逆転を拾っていくと、その県が全国でどんな存在になっていったのかが見えてくる気がする。
もう「市川」という校名では甲子園に戻ってこない
そして、市川にはもう一つ時間の話がある。
市川高校は、峡南高校、増穂商業高校との統合により、2020年に青洲高校へと受け継がれた。
つまり、甲子園で「市川」と表示されることは、もうない。
けれど、1991年春の二度の逆転サヨナラも、夏の瓊浦戦も、記録から消えるわけではない。
学校の名前が変わっても、甲子園で起きたことは残る。
このシリーズで昔の初戦を拾っていると、ときどきそれを強く感じる。
まとめ|奇跡とは、最後まで諦めなかった側につけられる名前なのかもしれない
1983年の吉田は、箕島を敗戦寸前まで追い詰めた。
九回、スクイズを外した。
二死走者なし。
それでも硯に同点本塁打を打たれた。
十三回にはもう一度勝ち越し、それでも4x-3で敗れた。
1991年の市川は、5-0から瓊浦に追いつかれた。
それでも九回裏に一点を取り、6x-5で勝った。
一方は「奇跡の箕島」に泣いた。
一方は「ミラクル市川」と呼ばれた。
でも、どちらの試合にも共通しているものがある。
最後まで、終わったと思わなかったことだ。
奇跡というのは、偶然の別名ではなく、最後まで試合から離れなかったチームに、あとから僕らがつける名前なのかもしれない。
山梨の二つの初戦を見ていると、そんなことを思う。
山梨の甲子園初戦史|よくある質問
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使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1991年・市川対瓊浦
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1991/400/7921/index.php
市川6-5瓊浦のイニングスコア、投手・樋渡、浦、田中、瓊浦・牧山の本塁打など基本記録の確認に使用。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1991年第73回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1991.php
市川6-5瓊浦、市川2-0我孫子、鹿児島実7-3市川など、市川の夏ベスト8までの勝ち上がりを確認。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1991年第63回選抜高校野球大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/spring/y1991.php
市川3-1浪速、市川3-2宇都宮学園、市川3-2桐生第一、広陵4-1市川など、センバツ4強までの勝ち上がりを確認。
Sportiva|甲子園を沸かせた「ミラクル市川」の魂は消えない
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2026/07/01/post_60/
1991年センバツで市川が2試合連続逆転サヨナラ勝ちを演じ「ミラクル市川」と呼ばれたこと、同年夏ベスト8、さらに市川・峡南・増穂商の統合と青洲高校への継承を参照。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1983年・箕島対吉田
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1983/400/7519/index.php
箕島4-3吉田の延長13回イニングスコア、投手・三浦と吉井、箕島・硯の2本塁打など基本記録の確認に使用。
朝日新聞|9回2アウト、スクイズ失敗からの同点アーチ 箕島の奇跡、ふたたび
https://smart.asahi.com/v/special/article/AST5X547ST5XOXIE02VM.php
1983年吉田戦の九回裏、スクイズ失敗後に硯昌巳が同点本塁打を放った場面など、試合の歴史的位置づけを参照。
日刊スポーツ|あと1死…金星逃した吉田 田辺徳雄/山梨2
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201805050000444.html
九回のスクイズ阻止から硯の同点本塁打、十三回表のダブルスチールによる勝ち越し、十三回裏の田辺徳雄の失策とサヨナラ、さらに田辺本人の後年の回想を参照。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1983年第65回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1983.php
箕島4-3吉田を含む1983年大会の勝ち上がり、箕島がその後3回戦まで進んだことなどを確認。
山梨学院高等学校|第95回記念選抜高校野球大会 優勝報告会
https://www.yghs.ed.jp/schoollife-detail.php?scd=230507-3
2023年春、山梨学院が山梨県勢として春夏通じて初の甲子園優勝を果たしたことを確認。
