島根の甲子園初戦クロニクル|大社旋風の幕開けと、和田毅-石川雅規「未来の名投手戦」

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初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
島根の甲子園初戦クロニクル|神話の国で起きた「大社旋風」と、まだ誰も知らなかった二人の名左腕

島根の高校野球には、ときどき時間の流れがおかしくなるような試合がある。

2024年の大社。

32年ぶりに夏の甲子園へ戻ってきた県立の古豪が、初戦でセンバツ準優勝の報徳学園を倒した。

そこから創成館。早稲田実。

強豪を一つ倒すたび、甲子園のスタンドまで大社の味方になっていった。

「大社旋風」。

「ミラクル大社」。

2024年夏を見ていた人なら、この言葉だけで、紫に染まったアルプスの景色を思い出すかもしれない。

一方、27年前の1997年。

浜田と秋田商の初戦にも、後から見ると信じられない名前が並んでいる。

浜田の2年生エース、和田毅。

秋田商の3年生エース、石川雅規。

二人はその後、プロ野球で20年以上投げ続ける。

でも、この日にはまだそんな未来は見えていない。

ただの高校生。

しかも試合は、浜田が3-1と2点リードしたまま9回裏へ入る。

勝利まで、あとアウト三つ。

そこから、悪送球。また悪送球。敬遠。そして最後は、石川への押し出し四球。

浜田3-4x秋田商。

勝った初戦には、古豪が復活していく始まりがある。
負けた初戦には、二人の名投手の長い野球人生の原点がある。

島根編、これは新旧二つの「始まり」を並べる記事にしたい。

この記事の30秒要約

勝った初戦は2024年の大社3-1報徳学園。32年ぶり出場の県立大社は、2年連続センバツ準優勝の報徳学園を相手に初回2点、7回に1点を加えた。エース左腕・馬庭優太は四隅を丁寧に突き、7安打1失点完投。大社にとって夏63年ぶりの白星で、ここから創成館、早実も破り93年ぶりのベスト8へ進む「大社旋風」が始まった。

負けた初戦は1997年の浜田3-4x秋田商。浜田の2年生・和田毅と秋田商の3年生・石川雅規が投げ合い、浜田は3-1で9回裏へ。しかし連打の後、送りバント処理で和田が一塁悪送球。右翼からの返球も乱れて同点となり、満塁策の後、打席の石川に押し出し四球を与えて逆転サヨナラ負け。これで島根県勢は9年連続初戦敗退。しかし翌1998年、和田は浜田をベスト8へ導いた。

島根代表の「勝った初戦」|2024年・大社3-1報徳学園

32年ぶりの甲子園。相手はセンバツ準優勝の報徳学園。
それでも初回から2点を奪い、馬庭優太が9回1失点完投。古豪・大社の63年ぶりの夏勝利は、2024年の「大社旋風」の始まりになった。

大社対報徳学園|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 安打
大社 2 0 0 0 0 0 1 0 0 3 10
報徳学園 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 7
投手

大社:馬庭
報徳学園:今朝丸 → 間木 → 伊藤

本塁打

大社:なし
報徳学園:なし

「32年ぶり」なのに、第1回からずっといる学校

大社高校という学校は、少し不思議な古豪である。

2024年夏の甲子園出場は32年ぶり。全国舞台からは長く遠ざかっていた。

ところが野球部の歴史そのものは古い。

地方大会が始まった第1回から、ずっと出場を続けている全国15校の「皆勤校」の一つ。

1917年には夏4強。1931年にはベスト8。

つまり2024年の大社は、「突然現れた無名校」ではない。

昔からそこにいた学校が、何十年ぶりに全国の真ん中へ戻ってきた。

この違いが、大社旋風には独特の味を与えていたと思う。

地元の子たち。県立校。出雲大社のすぐ近く

しかも2024年の大社は、レギュラー全員が地元出身と紹介された県立校だった。

学校は出雲大社の近く。

島根大会を勝ったあと、選手たちは出雲大社へ参拝した。

石飛文太監督は、出雲大社でいただける「稲佐の砂」を自分の体にかけながら大会を戦った、という話まで残っている。

この辺からもう、話が少し神話っぽい(笑)。

そして後に本当に「ミラクル大社」と呼ばれるのだから、高校野球は面白い。

相手は、2年連続センバツ準優勝の報徳学園

初戦相手は報徳学園。

2024年春のセンバツ準優勝。しかも前年2023年春も準優勝。

二年続けて春の決勝まで行っている。

先発はプロ注目の今朝丸裕喜。

大社は32年ぶり。報徳は優勝候補。

前評判を並べれば、どちらが有利かは聞くまでもない。

ところが一回表。

大社がいきなり今朝丸を攻めた。

3安打を集めて2点。

下条心之介の左前適時打などで、2-0。

試合の空気を、最初から大社側へ引き寄せた。

馬庭優太。速球だけではない左腕

そしてマウンドには、馬庭優太。

最速140キロ台の左腕。

ただ、馬庭の怖さは速さだけではなかった。

四隅へ散らす。内角へ食い込ませる。

直球とカーブ、スライダー、チェンジアップでタイミングをずらす。

ユーザー提供の大会アーカイブにも、報徳打線、とくに地方大会で4割以上を打っていた中軸の左打者たちに内角球が効果的だったと記されている。

プロのスカウトからも、「こういうタイプが甲子園では怖い」という趣旨で評価された。

速い球だけなら練習できる。

でも、緩急をつけ、角度を変え、タイミングを外す左腕は簡単に準備できない。

報徳学園ほどの打線でも、芯で捉えられない。

7回、園山。3点目が大きかった

大社は2-0のまま試合を進める。

今朝丸も2回以降は立ち直った。簡単には追加点をくれない。

そこで7回。二死一、二塁。

8番・園山純正。

左前適時打。

3-0。

この一点が大きかった。

9回、報徳学園は1点を返す。

それでも馬庭は最後まで投げ切った。

大社3-1報徳学園。

7安打1失点完投。

大社にとって、夏の甲子園63年ぶりの勝利。

そして、この一勝が2024年夏の空気を変えた。

大社3-1報徳学園|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
大社 32 10 2 0 0 0 12 2 2 2 2 6
報徳学園 34 7 1 0 0 0 4 2 1 1 1 9

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|「昭和Day」で、32年前の甲子園を借りた

2024年の大社を調べていて、僕がいちばん好きだった小ネタの一つが「昭和Day」である。

大社が前回甲子園へ出たのは1992年。
今の選手は、もちろん生まれていない。
石飛監督自身も、当時は小学生だった。

では、甲子園へ行くチームとは何なのか。
どういう練習をするのか。
何を準備すればいいのか。

石飛監督は、92年甲子園を知るOBを外部コーチとして呼んだ。
そして週2回、昔ながらの厳しい練習を行う「昭和Day」を取り入れたという。

今の時代に、ただ根性論へ戻ったわけではない。

「自分たちは甲子園を知らない。なら、知っている人から学ぼう」

その発想が面白い。

100年以上続く古豪が、過去を博物館にしまわず、現役の高校生へ貸し出した。

63年ぶりの一勝には、そんな世代の橋渡しもあった。

創成館、早実。勝つたびに「何年ぶり」が増えていく

報徳学園を破った大社は、止まらなかった。

2回戦、創成館。

延長タイブレーク、5-4。

大社にとって107年ぶりの夏2勝。

3回戦、早稲田実。

また延長。最後は馬庭自身がサヨナラ打。

3-2。

93年ぶりベスト8。

勝つたびに、32年ぶり、63年ぶり、107年ぶり、93年ぶり、と意味の分からないほど大きな数字が出てくる(笑)。

それだけ長い歴史を持つ学校が、それだけ長く待った夏だった。

そして甲子園が、大社のホームみたいになった

勝ち進むにつれ、大社のアルプスは膨らんでいった。

準々決勝の神村学園戦では、アルプス席のチケット2800枚が完売。

在校生約450人を含む大応援団。一塁側は紫に染まった。

早実戦後、石飛監督は、島根の田舎から来た地元の子たち、公立校が、こんな強豪と試合をしている――そんな自分たちを球場全体が応援しているように感じた、という趣旨で語っている。

この感覚は、2024年の大社を見ていた人なら分かると思う。

大社の攻撃になると、甲子園そのものが少しざわつく。

何か起こるんじゃないか。またスクイズが決まるんじゃないか。また馬庭が抑えるんじゃないか。

そういう空気ができていった。

村瀬メモ|「ミラクル大社」は、奇跡だけでできていない

「大社旋風」「ミラクル大社」。

響きはいい。神話の国・出雲という土地にもよく似合う。

でも、調べれば調べるほど、全部を奇跡で片づけるのは違う気がしてくる。

地元で育った選手。
92年のOBを招いた昭和Day。
繰り返したバント練習。
エース馬庭の鍛錬。
石飛監督の対話。
100年以上の野球部の歴史。

その上で、甲子園の大声援と、少しだけ神様が背中を押した。

たぶん、そのくらいの順番なんだと思う。

奇跡に見えるチームほど、見えないところで普通のことを何千回も繰り返している。

だからこそ、起きた時に「ミラクル」と呼びたくなる。

島根代表の「負けた初戦」|1997年・浜田3-4x秋田商

浜田2年・和田毅。秋田商3年・石川雅規。
後にプロ野球を代表する二人の左腕が、まだ高校生だった夏。3-1の浜田リードで9回裏へ。ところが最後は、和田が石川へ押し出し四球。忘れられない逆転サヨナラになった。

秋田商対浜田|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 安打
浜田 1 0 0 0 1 0 0 1 0 3 6
秋田商 0 0 0 1 0 0 0 0 3 4 7
投手

浜田:和田
秋田商:石川

本塁打

浜田:なし
秋田商:なし

和田は2年生。石川は3年生

1997年8月11日。

今なら、この二人の名前を見ただけで身構える。

和田毅。石川雅規。

でも当時、全国の高校野球ファンが「未来の大投手同士の一戦だ」と分かって見ていたわけではない。

和田はまだ2年生。

石川は3年生だが、本人は後年、身長も170センチに満たず、速い球もない自分が上のレベルで野球を続けられるか半信半疑だったと振り返っている。

その石川にとって、1997年夏の甲子園は、「人生が変わった夏」になった。

一方の和田も、まだ完成された投手ではない。

恩師・新田均監督によれば、当時は身長168センチほど。

それでも球のキレがあり、3ボールになっても置きにいかない。

その強気な性格を見て、新田監督は投手向きだと感じたという。

実は、その前に和田は泣いていた

Numberの後年の取材に、面白い回想が残っている。

秋田商戦の前の練習試合。和田は四球を連発した。

監督から説教を受け、悔し泣きしたという。

その高校生が、甲子園本番では8回まで秋田商打線を4安打1失点に抑える。

高めへ伸びる直球。まだ粗削り。でも、打ちにくい。

後の和田毅の片鱗は、もうあった。

浜田3-1。あとアウト三つ

浜田は初回に1点。5回に1点。8回にも1点。

秋田商は4回の1点だけ。

8回が終わって、浜田3-1秋田商。

和田は後年、9回の前に初めてスコアボードを見たと振り返っている。

あと3人。勝てる。

もしかすると、その瞬間に少しだけ「守り」が入ったのかもしれない。

9回裏。野球が一番怖い形で壊れていく

秋田商の9回裏。

鎌田、羽川。連打。無死一、二塁。

次打者はバント。これが安打になる。

和田が処理して一塁へ。悪送球。

さらにバックアップした右翼手の返球も乱れた。

二人が生還。3-3。

なお三塁に走者。

浜田は満塁策。二者を敬遠する。

そして打席には、石川雅規。

未来のプロ野球の名投手が、未来のプロ野球の名投手と向き合う。

でも勝負は、打球では終わらなかった。

和田が4球続けて外す。

押し出し四球。

秋田商4x-3浜田。

野球人生の長い二人が、最初に甲子園で出会った試合は、こんな終わり方だった。

秋田商4x-3浜田|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
浜田 30 6 2 0 2 0 7 3 2 1 2 5
秋田商 29 7 2 0 0 0 2 5 1 1 2 7

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|和田毅が「一生忘れられない」と語った敗戦

和田は後年、この試合を人生で一番悔しかった日として振り返っている。

ところが、最後の場面そのものは頭が真っ白になり、記憶が抜け落ちているという。

分かる気がする。

あと3人。2点リード。8回まで好投。

そこから連打。自分の悪送球。味方の悪送球。二者敬遠。最後は押し出し。

高校2年生には、少し出来すぎた悪夢である。

でも、その悔しさを持ったまま、和田は翌年もう一度甲子園へ戻る。

人は、勝った試合だけで育つわけではない。

1997年の3-4xは、1998年の和田毅を見るための重要な一ページだった。

これで島根県勢、9年連続初戦敗退

浜田のサヨナラ負けは、学校だけの悔しさでもなかった。

島根県勢は、この敗戦で9年連続初戦敗退。

1989年から1997年まで、夏の代表が一度も初戦を突破できなかった。

しかも1997年は、あとアウト三つまで行った。

だから余計につらい。

「今年こそ」が、最後の最後で消えた。

翌1998年。和田が、自分で連敗を止めた

その翌年。

浜田は、また甲子園へ来た。

和田は3年生。

初戦の新発田農。5-2。

島根県勢の9年連続初戦敗退を、自分たちで止めた。

次は帝京。優勝候補。

森本稀哲に8回、同点2ランを浴びる。

前年の秋田商戦なら、ここから崩れていたかもしれない。

でも1998年の浜田は違った。

その裏、満塁から死球で勝ち越す。

和田が9回を抑える。

浜田3-2帝京。

ベスト8。

準々決勝では豊田大谷に延長10回3-4x。

またサヨナラ負けだった。

でも前年とは違う。

1997年の悪夢を抱えたまま、和田と浜田は全国の強豪を倒すチームになって戻ってきた。

村瀬メモ|27年後まで投げ続ける二人を、誰が想像しただろう

1997年のスコア表には、投手欄にただ二つの名字がある。

浜田:和田。
秋田商:石川。

たったそれだけ。

でも僕らは、その後を知っている。

和田毅は早稲田大からダイエー、ソフトバンクへ。メジャーにも挑戦し、2024年まで現役を続けた。

石川雅規は青山学院大からヤクルトへ。小さな左腕は、2026年まで投げ続けた。

二人とも、プロの世界で「長く投げる」という最も難しい仕事を続けた。

その二人が高校時代に一度だけ甲子園で投げ合い、最後の打者が石川、投手が和田。

しかも決着は押し出し四球。

脚本家が書いたら、少しやりすぎだと言われそうだ(笑)。

高校野球の記録を古い順にたどっていると、未来の名選手がまだ何者でもない顔で混ざっている。

これだからやめられない。

1997年と2024年|島根の高校野球は「地元の学校」が突然全国を揺らす

浜田も大社も、公立校である。

全国から有名選手を集める野球部ではない。

その土地で育った子が、その土地の高校へ入り、甲子園へ行く。

島根の高校野球には、そういう物語が似合う。

1998年の浜田。2024年の大社。

全国の優勝候補を相手にしても、名前負けしない。

むしろ甲子園へ来てから、どんどん強くなっていく。

馬庭も、報徳との初戦が成長につながったと振り返っている。

和田も、前年の悔しさを持って翌年のベスト8へ進んだ。

地方の公立校が、甲子園という大舞台で一試合ごとに大きくなっていく。

島根の二つのチームには、そんな共通点もある。

まとめ|奇跡の始まりと、名投手の始まり

2024年、大社。報徳学園を3-1。

63年ぶりの夏勝利。

そこから107年ぶりの夏2勝、93年ぶりのベスト8。

「大社旋風」は、この初戦から始まった。

1997年、浜田。秋田商に3-4x。

勝利目前から、9回逆転サヨナラ。

投げ合ったのは、和田毅と石川雅規。

その時には、まだ誰も二人の未来を知らない。

片方は、奇跡の始まり。

片方は、悔しさから始まる名投手の物語。

勝った初戦にも、負けた初戦にも、その先がある。

このシリーズを続けてきて、最後の方になるほど、そのことを強く感じる。

島根編は、その二つを同時に見せてくれる県だった。

島根の甲子園初戦史|よくある質問

Q1.2024年の大社は何年ぶりの甲子園出場だった?
A.32年ぶり9回目の夏出場でした。初戦でセンバツ準優勝の報徳学園を3-1で破り、大社にとって1961年以来63年ぶりの夏の甲子園勝利を挙げました。
Q2.2024年の大社はどこまで進んだ?
A.報徳学園、創成館、早稲田実を破ってベスト8へ進みました。準々決勝で神村学園に2-8で敗れましたが、大社としては93年ぶりのベスト8でした。
Q3.大社の馬庭優太は報徳学園戦でどんな投球をした?
A.9回を7安打1失点で完投しました。直球だけでなくカーブ、スライダー、チェンジアップを使い、四隅を丁寧に突いて報徳学園の中軸を抑えました。
Q4.1997年の浜田-秋田商で和田毅と石川雅規は投げ合った?
A.はい。浜田の和田毅は2年生、秋田商の石川雅規は3年生でした。浜田が3-1とリードして9回裏を迎えましたが、秋田商が3点を奪い4-3で逆転サヨナラ勝ちしました。
Q5.1997年の浜田はなぜ9回に逆転された?
A.9回裏に連打で無死一、二塁とされ、送りバントの処理で和田が一塁へ悪送球。さらに右翼手の返球も乱れて2走者が生還し同点。その後、満塁策で二者を敬遠し、最後は打者・石川雅規に押し出し四球を与えてサヨナラ負けとなりました。
Q6.翌1998年の浜田はどうなった?
A.3年生になった和田毅をエースに、初戦で新発田農を5-2で破って島根県勢の9年連続初戦敗退を止め、3回戦では帝京を3-2で撃破。ベスト8へ進み、準々決勝で豊田大谷に延長10回3-4でサヨナラ負けしました。

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使用した主な情報ソース

日刊スポーツ|大社3-1報徳学園、63年ぶり白星
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202408110001002.html

日刊スポーツ|大社-報徳学園 詳細速報
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202408090000927.html

島根県立大社高等学校|第106回全国高等学校野球選手権大会
https://www.taisha.ed.jp/club/sports/baseball_club/yakyuu2024/4936

日刊スポーツ|大社が63年ぶり勝利、石飛監督「選手の力は無限大」
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202408110001749.html

スポニチ|32年ぶり大社、出雲大社の御利益を実感!?
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/08/02/kiji/20240802s00001002169000c.html?page=1

日刊スポーツ|大社107年ぶり夏2勝
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202408150001379.html

日刊スポーツ|早実戦後 石飛監督一問一答
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202408170001752.html

Full-Count|大社アルプス2800枚完売
https://full-count.jp/2024/08/19/post1602434/

Number Web|23年前の甲子園で投げ合った石川雅規と和田毅の“負け方”
https://number.bunshun.jp/articles/-/844527

週刊ベースボールONLINE|1997年 和田毅vs石川雅規
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?id=001-20160808-06&pid=column_detail

Number Web|石川雅規「人生が変わった1997年の夏」
https://number.bunshun.jp/articles/-/871844

日刊スポーツ|和田毅の恩師・新田均氏が引退を振り返る
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202411050000703.html

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1998年 浜田vs帝京
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1998/400/8283/index.php

Smart FLASH|島根・浜田vs帝京
https://smart-flash.jp/sports/77196/2/

本記事は、ユーザー提供の朝日・日刊スポーツ大会アーカイブ画面、公開されている大会記録、学校公式資料、報道記事を照合し、筆者の記憶と考察を加えて再構成した。2024年の「大社旋風」を単なる奇跡として扱わず、地元出身選手、OBの指導、バント練習、馬庭優太の投球、石飛文太監督の指導など複数の背景を踏まえて記述している。1997年浜田-秋田商については、後のプロ実績を当時の評価へ遡及させすぎないよう、「後から振り返ると」の視点で扱った。選手名、学校名、記録は当時の表記を基本とした。
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