群馬の甲子園初戦クロニクル|優勝旗は突然やって来ない

甲子園コラム

初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
群馬の甲子園初戦クロニクル|優勝旗は突然やって来ない

群馬の高校野球を振り返っていると、僕には一つ不思議に思うことがある。

1999年夏。

桐生第一が岡山理大付を14-1で破り、群馬県勢として初めて全国の頂点に立った。

今では、その事実を知っている。

だから歴史を逆から眺めてしまう。

正田樹がいた。

桐生第一が勝った。

だから群馬に優勝旗が来た。

でも、本当にそうだろうか。

その二十一年前。

1978年の春、群馬には二つの県立高校が甲子園にいた。

前橋と桐生。

前橋の松本稔は、滋賀・比叡山を相手に甲子園史上初の完全試合を達成した。

そして桐生には、木暮洋と阿久沢毅がいた。

木暮はスコアボードにゼロを並べ、阿久沢は王貞治以来となる2試合連続本塁打。

桐生は4強まで進んだ。

そして夏。

桐生がまた甲子園へ戻ってくる。

初戦の相手は、また滋賀県だった。

膳所。

18-0。

二十年後の1998年。

今度は同じ桐生の町から桐生第一が甲子園へ来た。

相手は明徳義塾。

一時は5-2。

しかし追いつかれ、延長十回。

5-6。

サヨナラ負け。

そして、その一年後に群馬県勢初の全国制覇がやって来る。

優勝旗というものは、突然空から降ってくるわけではない。
その前に、何十年もの勝った夏と負けた夏がある。

この記事の30秒要約

勝った初戦は、1978年の桐生18-0膳所。春のセンバツで木暮洋・阿久沢毅を擁して4強入りした桐生が、夏の初戦でも19安打18得点と圧倒した。木暮から阿久沢への継投で膳所を1安打完封。桐生は次戦で県岐阜商に敗れ、1978年夏を最後に現在まで甲子園から遠ざかっているため、この膳所戦は現時点で桐生最後の甲子園勝利でもある。

負けた初戦は、1998年の桐生第一5-6明徳義塾。桐生第一は2回に3点を先行し、7回にも2点を加えて一時5-2としたが、明徳がその裏3点を奪って同点。延長10回、暴投で二塁走者が生還してサヨナラ負けした。しかし翌1999年、桐生第一は正田樹をエースに群馬県勢初の全国制覇を果たす。

群馬代表の「勝った初戦」|1978年・桐生18-0膳所

春4強。木暮洋と阿久沢毅の名は全国区になっていた。
夏も甲子園へ戻った名門・桐生が、滋賀の進学校・膳所を19安打18得点で圧倒した。だが、この大勝が現在まで「桐生最後の甲子園勝利」になるとは、あの日誰も知らなかった。

桐生対膳所|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 安打
膳所 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1
桐生 1 4 2 1 0 3 4 3 x 18 19
投手

膳所:藤本
桐生:木暮 → 阿久沢

本塁打

膳所:なし
桐生:なし

1978年春――群馬に二校がいた

1978年のセンバツは、群馬の高校野球にとって忘れがたい大会だった。

桐生と前橋。

県立高校二校がそろって甲子園に出場した。

そして前橋の松本稔が、初戦の比叡山戦で完全試合を達成する。

甲子園大会史上、初めての完全試合だった。

一方の桐生にもスターがいた。

左腕・木暮洋。

そして強打者・阿久沢毅。

桐生は豊見城を3-1で破ると、岐阜に7-0、郡山に4-0。

木暮は26イニング連続無失点。

阿久沢は2試合連続本塁打。

二十年前の王貞治以来という記録だった。

準決勝で浜松商に2-3と敗れたが、木暮と阿久沢の桐生は全国の高校野球ファンに名前を刻んだ。

夏、再び甲子園へ

春から四か月。

桐生は群馬大会を勝ち抜き、夏の甲子園にも戻ってきた。

春4強。

木暮と阿久沢。

当然、全国でも注目される存在だった。

初戦の相手は滋賀・膳所。

そして試合は、思いもよらないほど大きな点差になった。

一回から八回まで――止まらなかった桐生打線

一回、1点。

二回、4点。

三回、2点。

四回にも1点。

五回こそ無得点だったが、六回3点。

七回4点。

八回3点。

19安打。

18得点。

本塁打は一本もない。

それでも、次から次へと走者が還った。

春の甲子園で投手力を印象づけた桐生が、夏の初戦では打線の厚みまで見せつけた。

木暮から阿久沢へ――膳所を1安打完封

投げても桐生は圧倒した。

先発は木暮。

そして阿久沢へつないだ。

膳所の安打はわずか1本。

得点は0。

18-0。

春4強の桐生が、夏も強烈な印象を残してスタートした。

桐生18-0膳所|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
膳所 27 1 0 0 0 0 3 6 0 1 1 6
桐生 42 19 18 0 3 0 4 9 2 1 2 11

※詳細記録は大会アーカイブの提供画面をもとに転記。

村瀬メモ|18点が、「最後の一勝」になるとは誰も知らなかった

18-0。

このスコアだけを見ると、桐生の歴史の中でも華やかな一日に見える。春には全国4強。木暮と阿久沢は全国区の選手だった。夏の初戦では19安打18得点。

当然、僕らは「この先」を想像する。

次も勝つだろう。
また来年も甲子園へ来るだろう。
名門・桐生なのだから、と。

でも、歴史はそうならなかった。

桐生は次の県岐阜商戦に0-3で敗れた。そして1978年を最後に、現在まで甲子園へ戻っていない。

つまり膳所を18-0で破ったこの試合が、いまのところ桐生高校にとって最後の甲子園勝利なのである。

高校野球の古いスコアを見ていると、こういう瞬間がときどきある。

その日、スタンドにいた誰一人として「これが最後になる」とは思っていなかったはずだ。

だから僕には、この18-0が単なる大勝には見えない。

あまりにも明るい夏の日だからこそ、その後に流れた長い時間まで一緒に見えてしまう。

それでも、桐生の野球は群馬に残った

甲子園から遠ざかったからといって、桐生の野球が消えたわけではない。

阿久沢毅はその後、群馬大学へ進み、教員となった。

そして太田、桐生、渋川、勢多農林など、県内の高校で野球部を指導した。

1978年の春、最大のライバルだった前橋の松本稔もまた指導者になった。

そして何十年後。

その松本が、今度は桐生高校の監督になった。

甲子園でしのぎを削った選手たちが、歳月を経て群馬の高校野球そのものを支える側へ回っていく。これもまた、勝敗表には残らない1978年の続きなのだと思う。

群馬代表の「負けた初戦」|1998年・桐生第一5-6明徳義塾

一時は5-2。強豪・明徳義塾をあと一歩まで追い詰めた桐生第一。
しかし7回に追いつかれ、延長10回、暴投で二塁走者が生還してサヨナラ負け。その悔しさのわずか一年後、群馬高校野球の歴史が変わる。

明徳義塾対桐生第一|延長10回のイニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計 安打
桐生第一 0 3 0 0 0 0 2 0 0 0 5 7
明徳義塾 0 1 0 0 1 0 3 0 0 1x 6 16
投手

桐生第一:小林 → 萩原
明徳義塾:寺本 → 高橋

本塁打

桐生第一:なし
明徳義塾:なし

相手は、あの明徳義塾

1998年。

高校野球ファンの視線は、松坂大輔の横浜へ集まっていた。

その大会に、明徳義塾もいた。

寺本四郎、高橋一正という投手陣。

高知大会では藤川球児を擁する高知商などを退け、甲子園へ乗り込んできた。

桐生第一の初戦としては、決してありがたい相手ではなかった。

二回、一気に3点

ところが先に試合を動かしたのは桐生第一だった。

二回表。

寺本の制球の乱れと明徳守備のほころびを突き、一挙3点。

3-0。

明徳はその裏に1点。

五回にも1点。

3-2。

じわじわ迫ってくる明徳を、桐生第一は小林正人を中心にしのいだ。

七回、5-2――勝利が見えた

七回表。

桐生第一は再び2点を加えた。

5-2。

三点差。

残りは三イニング。

強豪・明徳を倒す景色が、少し見えたのではないかと思う。

しかし、その裏だった。

明徳、五連打――5-5

七回裏。

明徳打線が一気に小林を捉えた。

連打。

そしてまた連打。

この回3点。

5-5。

試合は振り出しに戻った。

八回、九回は両校無得点。

延長十回へ入った。

最後は、一本の安打ではなかった

十回裏。

明徳が一死二塁の好機を作った。

マウンドは萩原。

その投球が逸れた。

二塁走者が三塁へ。

そして、そのまま本塁まで走った。

生還。

6-5。

サヨナラ。

打たれて終わったのではない。一球が少し逸れ、二塁から一人の走者が還った。それほど紙一重のところで、桐生第一の夏は終わった。

明徳義塾6-5桐生第一|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
桐生第一 32 7 5 1 0 0 6 6 7 1 0 10
明徳義塾 39 16 5 3 1 0 2 4 2 0 3 11

※詳細記録は大会アーカイブの提供画面をもとに転記。

村瀬メモ|優勝旗は、突然やって来ない

群馬県に初めて深紅の優勝旗が渡ったのは1999年だった。

桐生第一。
正田樹。
決勝14-1。

結果だけを見れば、圧倒的な全国制覇だった。

でも僕には、その優勝旗が1999年の夏に突然現れたようには思えない。

1978年には、木暮と阿久沢の桐生がいた。
前橋には完全試合の松本がいた。
その後には前橋工があり、東農大二があり、渡辺久信がいた。

そして1998年。
桐生第一は明徳義塾を5-2まで追い詰めた。

勝てなかった。
最後は暴投だった。
たった一球のずれで、初戦敗退になった。

でも、その一年後に全国一になる。

高校野球の歴史には、優勝した年だけを見ても分からないものがある。

優勝旗を持って帰るのは一校である。
けれども、そこへ続く道は一校だけで作られるものではない。

群馬の最初の優勝旗には、その前に甲子園で勝った学校も、負けた学校も、少しずつ入っていたのだと思う。

明徳は、このあと甲子園を騒然とさせる

桐生第一を延長で破った明徳義塾は、そのまま勝ち進んだ。

3回戦で日南学園を5-2。

準々決勝では関大一を11-2。

そして準決勝。

相手は松坂大輔の横浜だった。

明徳は8回表を終えて6-0。

しかし横浜が8回に4点、9回に3点。

7-6。

あの伝説的な大逆転を食らう明徳の夏は、初戦の桐生第一戦からすでに紙一重だったのである。

そして翌1999年――同じ「桐生」から優勝旗が来た

一年後。

桐生第一はまた甲子園へ来た。

エースは正田樹。

初戦の相手は比叡山。

また、滋賀だった。

試合は0-0のまま八回へ。

桐生第一が2点を奪った。

2-0。

正田は許した安打わずか1本。

毎回の12奪三振。

その一勝から、桐生第一の夏は止まらなくなった。

仙台育英に11-2。

静岡に4-3。

桐蔭学園に4-0。

準決勝、樟南に2-0。

そして決勝。

岡山理大付に14-1。

全国優勝。

春夏を通じて、群馬県勢に初めて全国制覇の瞬間が訪れた。

なぜか、滋賀がいる

今回、群馬の初戦を並べていて、もう一つ気づいたことがある。

節目節目に、なぜか滋賀県勢がいる。

1978年春。

前橋1-0比叡山。

松本稔の完全試合。

1978年夏。

桐生18-0膳所。

1999年夏。

桐生第一2-0比叡山。

そして2026年夏。

健大高崎7-1八幡商。

48年前と同じように、群馬代表と滋賀代表が初戦で顔を合わせた。

学校は変わる。時代も変わる。それでも長い高校野球史を眺めていると、こんな偶然の糸が何十年も離れた夏を結んでいることがある。

村瀬メモ|群馬の主役は変わっても、夏は続いていく

1978年には桐生と前橋がいた。

1980年代には前橋工や東農大二が甲子園を沸かせた。

1999年には桐生第一が全国の頂点に立った。

そして今は、健大高崎という新しい強豪が群馬の夏を背負っている。

高校野球の勢力図は、ずっと同じではない。

僕らが「名門」と呼んだ学校が甲子園から遠ざかることもある。聞き慣れなかった校名が、やがて全国優勝校になることもある。

でも、そのたびに過去が消えるわけではない。

木暮の投球も、阿久沢の打球も、松本の27人も、明徳に敗れた桐生第一の延長十回も、正田の左腕も、全部が群馬高校野球の同じ時間の中にある。

主役は変わる。

それでも夏は続いていく。

だから昔のスコアを開くと、いまの甲子園まで少し近く見えるのだと思う。

まとめ|二つの「桐生」が残したもの

1978年。

県立桐生が膳所を18-0で破った。

木暮と阿久沢。

春4強の名門は、夏の甲子園でも強烈な姿を見せた。

しかし、それが現在まで最後の甲子園勝利になった。

1998年。

桐生第一が明徳義塾と戦った。

5-2まで行った。

追いつかれた。

延長十回。

暴投で負けた。

そして翌年。

同じ学校が全国優勝した。

二つの学校は、同じ「桐生」という名前を持っている。

一方は、大正時代から甲子園を知る古豪。

一方は、平成に群馬初の優勝旗を持ち帰った新しい強豪。

時代は違う。

学校も違う。

でも僕には、一本の線に見える。

1978年の木暮と阿久沢から。
1998年の延長十回を通って。
1999年の正田樹へ。

勝った試合だけではない。
負けた試合だけでもない。

群馬高校野球が何十年も積み重ねてきた夏の先に、ようやく一度、優勝旗がやって来た。

優勝旗は、突然やって来ない。

その前には必ず、誰かの忘れられない初戦がある。

群馬の甲子園初戦史|よくある質問

Q1.1978年夏の桐生対膳所のスコアは?
A.桐生が18-0で勝った。桐生は19安打18得点。投手は木暮から阿久沢へつなぎ、膳所を1安打無得点に抑えた。
Q2.1978年春の桐生はセンバツでどこまで進んだ?
A.ベスト4。豊見城、岐阜、郡山を破り、準決勝で浜松商に2-3で敗れた。木暮洋と阿久沢毅が全国的な人気を集めた。
Q3.桐生高校は1978年以降、甲子園に出場している?
A.2026年現在、1978年夏が最後の甲子園出場となっている。そのため、膳所を18-0で破った初戦が現時点で桐生高校最後の甲子園勝利でもある。
Q4.1998年の桐生第一対明徳義塾はどんな試合だった?
A.桐生第一が2回に3点、7回に2点を奪って一時5-2とリードしたが、明徳義塾が7回裏に3点を奪って同点。延長10回裏、暴投で二塁走者が一気に生還し、明徳義塾が6-5でサヨナラ勝ちした。
Q5.桐生第一が全国優勝したのはいつ?
A.1999年夏。正田樹をエースに6試合を勝ち抜き、決勝で岡山理大付を14-1で破った。春夏を通じて群馬県勢初の全国制覇だった。
Q6.1978年春、前橋高校の松本稔は完全試合を達成した?
A.達成した。センバツ初戦の比叡山戦で、松本稔が27人を完全に抑えて1-0。甲子園大会史上初の完全試合となった。
Q7.2026年夏も群馬代表と滋賀代表が初戦で対戦した?
A.対戦した。2026年8月7日、群馬代表の健大高崎が滋賀代表の八幡商を7-1で破った。1978年夏の桐生対膳所から48年後、再び群馬と滋賀が夏の甲子園初戦で顔を合わせた。

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使用した主な情報ソース

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|桐生vs膳所

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1978/400/7292/index.php

1978年夏、桐生18-0膳所のイニングスコア、木暮→阿久沢、藤本の投手記録確認に使用。

球都桐生プロジェクト|桐生高校1978年選抜高等学校野球大会出場記念旗

https://kiryu910.jp/2024/03/08/kiryu_1978flag-2/

1978年春の桐生が豊見城、岐阜、郡山を破って4強入りしたこと、木暮洋・阿久沢毅が全国的な人気を集めたこと、前橋・松本稔の完全試合などの確認に使用。

球都桐生プロジェクト|木暮洋×阿久沢毅スペシャル対談

https://kiryu910.jp/kyutokiryuweek_2025/kogure_akuzawatalkshow/

木暮洋のセンバツ26イニング連続無失点、阿久沢毅の王貞治以来となる2試合連続本塁打などの確認に使用。

Number Web|「王二世」阿久沢毅(桐生)の現在

https://number.bunshun.jp/articles/-/826268

1978年春の前橋・松本稔の完全試合、桐生・木暮と阿久沢の活躍、阿久沢がその後群馬県内の高校野球指導者となった経歴などの確認に使用。

群馬県立桐生高等学校|硬式野球部

https://kiryu-hs.gsn.ed.jp/page_20210414101128/page_20210414101140/page_20210414101417

桐生高校の春12回・夏14回、計26回の甲子園出場歴と、1978年以来の甲子園出場を目指していることの確認に使用。

球都桐生プロジェクト|桐生高校野球部 松本稔監督

https://kiryu910.jp/highschool-baseball_old/kiryu_matsumoto/

1978年の前橋高・松本稔が比叡山戦で甲子園史上初の完全試合を達成したこと、その後かつてのライバル・桐生高校を率いる立場となった経歴の確認に使用。

高校野球マイナー情報局|1998年度選手権大会1回戦・桐生第一5-6明徳義塾

https://rojiura.sakura.ne.jp/menue/data_base/score_book/98_ks/n_01.htm

1998年8月6日の桐生第一5-6明徳義塾、延長10回のイニングスコア、寺本→高橋、小林→萩原の継投、試合経過とサヨナラ場面などの確認に使用。

やっぱり甲子園|第80回全国高等学校野球選手権大会(1998年)

https://hsbb.jp/senshuken/y1998/

明徳義塾6-5桐生第一、明徳のその後の勝ち上がり、準決勝・横浜7-6明徳義塾など大会全体の確認に使用。

J:COM|99年夏、桐生一、群馬県勢初優勝

https://www2.myjcom.jp/special/tv/sports/baseball/highschool/column/detail/20240222.shtml

1999年夏、桐生第一が春夏通じて群馬県勢初の全国制覇を果たしたこと、正田樹が6試合708球、3完封、防御率0.85を記録したこと、決勝岡山理大付戦14-1などの確認に使用。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|桐生第一vs比叡山

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1999/400/8293/index.php

1999年全国制覇時の初戦、桐生第一2-0比叡山、正田樹の1安打12奪三振完封などの確認に使用。

バーチャル高校野球|2026年8月7日 健大高崎vs八幡商

https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_summer/game/2021048484/index

2026年夏の甲子園初戦で健大高崎が八幡商を7-1で破ったこと、石垣が9回1失点11奪三振で完投したことなどの確認に使用。

記事についての注意書き

本記事は、公開されている大会記録、学校・自治体の資料、新聞・スポーツ媒体の記事および大会アーカイブの記録画面を照合し、筆者の記憶と考察を加えて再構成した。試合の空気、学校史や県勢史における位置づけには筆者独自の解釈を含む。1978年の桐生高校については、2026年現在も同年夏が最後の甲子園出場であることを学校公式情報等で確認した上で記述した。2026年夏の健大高崎対八幡商については2026年8月12日時点で終了している初戦結果に基づく。選手名、学校名は原則として当時の表記を用いた。
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