鹿児島の甲子園初戦クロニクル|鹿児島工4強への一勝と、川内実に残った六つのアウト

九州

初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
鹿児島の甲子園初戦クロニクル|鹿児島工4強への一勝と、川内実に残った六つのアウト

残り六つのアウトだった。

1980年8月11日。
初出場の川内実は、福島代表の双葉を1-0とリードしたまま、七回を終えていた。

三回にスクイズで奪った一点。
エース上三垣が守り続けた一点。

川内実にとって、甲子園で初めて校歌を歌うまで、あと六つだった。

しかし八回裏、双葉が連続二塁打で追いついた。

さらに四番・西山の打球が、右翼ラッキーゾーンへ飛び込んだ。

1-0は、1-3になった。

それから二十六年後。

2006年8月12日。
同じく夏初出場の鹿児島工は、高知商を3-2とリードして九回裏を迎えた。

無死一、二塁。

伝統校の反撃。
甲子園初勝利まで、あと三つのアウト。

鹿児島工はエース榎下から、左腕の下茂へマウンドを託した。

最後の危機を、鹿児島工は越えた。

その一勝から、香川西を破り、福知山成美との延長戦を制し、斎藤佑樹の早稲田実が待つ準決勝まで進んだ。

川内実と鹿児島工。
どちらも、夏の甲子園出場は一度だけである。

一校は、六つのアウトを残して逆転された。
一校は、最後の三つを守り抜き、その夏を4強まで延ばした。

一度きりの夏とは、短い夏とは限らない。

最初の一勝が、その学校に与えた時間によって、甲子園の夏はどこまでも長くなる。

この記事の30秒要約

勝った初戦は、2006年の鹿児島工3-2高知商。夏の甲子園初出場だった県立鹿児島工は、三回に2点を先行されたが四回に追いつき、七回に主将・鮫島の適時打で勝ち越した。九回無死一、二塁の危機も榎下から下茂への継投でしのぎ、この初勝利から初出場4強の快進撃が始まった。

負けた初戦は、1980年の川内実1-3双葉。川内実は三回にスクイズで先制し、上三垣が七回まで無失点に抑えた。しかし八回、双葉の連続二塁打と西山の2点本塁打で逆転された。川内実は後に「れいめい」と校名を変えたが、夏の甲子園出場は現在までこの一度だけである。

鹿児島代表の「勝った初戦」|2006年・鹿児島工3-2高知商

夏初出場の鹿児島工が迎えた相手は、伝統校・高知商だった。
九回無死一、二塁。あと三つのアウトを守った瞬間、「フレッシュ鹿工」の長い夏が始まった。

※大会上は「2回戦」表記だが、鹿児島工は1回戦がなく、この高知商戦が同校にとって大会初戦だった。

鹿児島工対高知商|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 安打
鹿児島工 0 0 0 2 0 0 1 0 0 3 11
高知商 0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 11
投手

鹿児島工:榎下 → 下茂
高知商:中平 → 小松

本塁打

鹿児島工:なし
高知商:なし

私学の壁を越えた、県立工業高校の初出場

2006年の夏、鹿児島大会を制したのは、鹿児島実でも樟南でも神村学園でもなかった。

県立の鹿児島工業高校だった。

監督は中迫俊明。
エースは榎下陽大。
四番で主将、捕手の鮫島哲新が攻守の中心にいた。

そして、ベンチにはもう一人、後に甲子園中へ名前を知られる男がいた。

背番号11、代打の今吉晃一である。

鹿児島工は、鹿児島大会決勝で鹿屋と打ち合い、8-7で初優勝した。

学校として初めて踏む甲子園の土。

対戦相手は高知商だった。

夏の甲子園優勝経験を持ち、数多くの名選手を送り出してきた伝統校。初出場校が最初に越える相手としては、あまりにも大きな名前だった。

三回に2点を奪われても、試合から離れなかった

試合は、鹿児島工にとって苦しい形で動き始めた。

三回裏、高知商が2点を先制した。

榎下は高知商打線につかまり、初出場の鹿児島工が追う展開となった。

だが、鹿児島工は慌てなかった。

直後の四回表、打線がつながった。

鮫島の二塁打などで好機をつくり、榎下自身も適時打を放つ。

2-2。

先制された次の回に、すぐ追いついた。

榎下も三回以降は、球を低めへ集め始めた。

甲子園の初戦で大切なのは、最初から普段通りに戦えることではない。普段通りにできない時間を、試合から離れずにやり過ごすことなのかもしれない。

七回二死三塁、主将・鮫島の一打

同点のまま、試合は七回へ進んだ。

鹿児島工は藤井が三塁へ進み、二死三塁。

打席には四番・鮫島。

主将であり、榎下の球を受け続けてきた捕手だった。

鮫島は左前へ運んだ。

三塁走者が生還する。

3-2。

初出場校が、伝統校を相手に初めてリードを奪った。

九回無死一、二塁、下茂へ託した三つのアウト

鹿児島工の初勝利は、簡単には訪れなかった。

九回裏、高知商は先頭打者が出塁し、続く打者も塁へ出た。

無死一、二塁。

一点差。
長い歴史を持つ高知商。
甲子園でまだ一つも勝ったことのない鹿児島工。

中迫監督は、榎下を左翼へ回し、左腕の下茂亮平をマウンドへ送った。

高知商は同点の走者を得点圏へ進めようとした。

しかし、走塁の乱れもあり、鹿児島工は一つずつアウトを重ねた。

下茂が最後の打者を抑えた。

鹿児島工3-2高知商。

夏の甲子園で、鹿児島工の校歌が初めて流れた。

鹿児島工3-2高知商|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
鹿児島工 33 11 3 3 0 0 3 3 3 1 2 9
高知商 35 11 2 2 0 0 8 2 2 0 0 10

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|初勝利が、学校へ夏の時間を与えた

甲子園で最も大きな一勝は、決勝戦の一勝だと思われがちである。だが、初出場校にとっては、最初の一勝こそが、その学校の甲子園を本当の物語に変える。

高知商戦で九回の危機を越えられなければ、鹿児島工の夏は「初出場」という一行で終わっていた。だが三つのアウトを取ったことで、香川西戦が生まれ、福知山成美戦が生まれ、早稲田実との準決勝が生まれた。一勝とは、次の試合を得ることだ。鹿児島工は高知商戦で、学校史に三試合分の新しい時間を加えたのである。

「シャー!」――甲子園の人気者になった代打・今吉

高知商戦の八回、鹿児島工は代打に今吉晃一を送った。

今吉は右翼へ二塁打を放った。

得点にはつながらなかったが、背番号11の代打は、その後の試合でも打席へ向かうたびに甲子園を沸かせた。

丸刈りの頭。
小柄でがっしりした体。
そして、打席へ入るときの「シャー!」という大きな声。

今吉がネクストバッターズサークルへ現れるだけで、球場がざわめいた。

鹿児島工は、決して一人のスターだけで勝ったチームではない。

榎下と下茂の投手陣。
鮫島を中心とする打線。
互いに言いたいことを言い合える、兄弟のような選手たち。

その明るさを、最も分かりやすい形で甲子園へ届けたのが今吉だった。

一度きりの夏に、四つの勝利を残した

初戦を越えた鹿児島工は、三回戦で香川西を9-3で破った。

準々決勝では福知山成美と対戦した。

延長10回、3-2。

初出場の県立工業高校が、全国4強へ進んだ。

準決勝の相手は、斎藤佑樹を擁する早稲田実だった。

鹿児島工は0-5で敗れた。

それでも、鹿児島工の名前は、駒大苫小牧と早稲田実が延長15回の決勝を戦ったあの大会の4強に残っている。

鹿児島工は2008年春にも甲子園へ出場したが、夏の甲子園は2006年の一度だけである。

一度しかなかった夏に、四つの勝利を残した。
それが「フレッシュ鹿工」の夏だった。

鹿児島代表の「負けた初戦」|1980年・川内実1-3双葉

初出場の川内実は、三回にスクイズで先制した。七回まで1-0。
学校史上初勝利まで残り六つのアウトだったが、八回、連続二塁打と本塁打によって、たった一度の夏が反転した。

双葉対川内実|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 安打
川内実 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 6
双葉 0 0 0 0 0 0 0 3 × 3 7
投手

川内実:上三垣
双葉:遠藤

本塁打

川内実:なし
双葉:西山

川内実業として、最初で最後の夏

1980年、川内実業高校は鹿児島大会を初めて制した。

準々決勝では鹿児島工との延長12回を2-1で制し、準決勝では徳之島に10-3。

決勝では鹿児島商を4-3で破った。

薩摩川内から、初めて甲子園へ向かった夏だった。

相手の双葉は、福島代表。甲子園出場は二度目だった。

華やかなスター同士の対戦ではない。

四球を抑え、守り、送り、一本の安打を得点へ変える。

昭和の高校野球らしい、静かで締まった初戦だった。

三回、スクイズで刻んだ学校史上初の一点

三回表、川内実は八番・堂崎が四球を選んだ。

赤崎の投手ゴロで走者が入れ替わり、一番・山口が安打を放つ。

一塁走者は三塁へ進んだ。

一死一、三塁。

二番・久保がスクイズを決めた。

1-0。

大きな打球ではなかった。

しかし、それは川内実業高校が甲子園で記録した、最初の得点だった。

結果として、それが同校の夏の甲子園で唯一の得点にもなった。

上三垣が守った、一点のリード

川内実のエース上三垣は、丁寧に双葉打線を抑えた。

五回裏、双葉は失策と安打で一死満塁の好機をつくった。

川内実にとって、最初の大きな危機だった。

だが、上三垣は後続を右飛と遊撃ゴロに打ち取った。

得点は許さない。

六回もゼロ。
七回もゼロ。

スコアボードには、川内実の「1」と、双葉の七つの「0」が並んだ。

初勝利まで、あと六つのアウトだった。

八回表、取れなかった二点目

八回表、川内実に追加点の機会が訪れた。

一死から山口が二塁打を放った。

次の一点が入れば、甲子園初勝利は大きく近づく。

しかし、双葉の遠藤が後続を抑えた。

川内実は二点目を取れなかった。

野球では、取れなかった一点が、相手の次の一点を呼び込むことがある。

八回裏、三本の長打で夏が反転した

その裏、双葉の打線が上三垣を捉えた。

一死から大塚が二塁打。

続く投手の遠藤も二塁打を放った。

大塚が生還する。

1-1。

七回まで守り続けた一点のリードが消えた。

そして、四番・西山。

西山の打球は右翼へ上がった。

白球は、当時の甲子園に設けられていたラッキーゾーンへ飛び込んだ。

2点本塁打。

双葉3-1川内実。

二塁打。
二塁打。
本塁打。

川内実の夏は、わずか三本の長打によって反転した。

九回表、川内実は牟礼が安打で出塁した。

最後まで諦めなかった。

だが、得点には届かなかった。

双葉3-1川内実|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
川内実 31 6 1 0 0 0 3 1 2 1 1 6
双葉 31 7 3 2 0 1 2 2 1 0 0 7

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|取れなかった六つのアウトも、学校史に残る

川内実は、甲子園で勝てなかった。だが、ただ敗れただけではない。初出場の学校が一点を先制し、七回までその一点を守り、あと六つのアウトまで双葉を追い込んだ。

勝利には届かなかったが、勝利が見える場所までは進んだ。その距離を知っていることも、学校の歴史なのだと思う。甲子園の記録には「初戦敗退」としか残らなくても、川内実の選手たちは、七回まで勝者の側にいた。その時間まで敗戦の中から消してしまう必要はない。

「川内実」の名は消えても、甲子園の記録は消えない

川内実業高校は、1989年に「れいめい高等学校」へ校名を変更した。

現在、鹿児島の高校野球を知る人が目にするのは、「れいめい」という校名である。

だが、1980年夏の甲子園のスコアボードには、「川内実」の文字が刻まれた。

学校の名前は変わる。
校舎も変わる。
ユニホームも、指導者も、選手も変わっていく。

それでも、一度刻まれた甲子園の記録は、昔の校名ごと残り続ける。

1980年の一点は、今も「川内実」が確かに甲子園へ来た証しなのである。

もう一つの「勝った初戦」|1974年・鹿児島実1-0佼成学園

定岡正二が、甲子園のアイドルへ歩き始めた一勝

鹿児島の初戦史を語るなら、1974年の鹿児島実も外すことはできない。鹿児島実は大会初戦となった2回戦で佼成学園と対戦し、初回に挙げた一点を定岡正二が守り切って1-0で勝った。

定岡は4安打完封。続く高岡商戦も1-0で完封した。鹿児島実の打線が二試合で奪った得点は、わずか二点。それでも定岡は相手に一点も与えなかった。

準々決勝では、原辰徳が一年生で出場していた優勝候補・東海大相模と対戦した。鹿児島実は延長15回、5-4で勝利。定岡と原という二人のスター候補がぶつかった試合は、昭和の甲子園を代表する名勝負となった。

鹿児島実は4強へ進み、定岡は全国的な人気を集めた。甲子園へ来たときには、全国ではほとんど無名だった一人の高校生が、帰郷するころには駅を埋める人々から迎えられる存在になっていた。

鹿児島工の高知商戦が、学校へ長い夏を与えた初戦なら、鹿児島実の佼成学園戦は、一人の投手の人生を大きく変え始めた初戦だった。

まとめ|一度きりの夏を分けた、最後のアウト

1980年、川内実は三回に一点を先制した。

その一点を、上三垣が七回まで守った。

甲子園初勝利まで、あと六つだった。

しかし八回、双葉の三本の長打で、1-0は1-3になった。

2006年、鹿児島工は高知商を3-2とリードし、九回に無死一、二塁の危機を迎えた。

甲子園初勝利まで、あと三つだった。

鹿児島工は下茂へ継投し、その三つを守った。

二つの学校にとって、夏の甲子園は一度しか訪れていない。

一方は、一試合で終わった。
もう一方は、四つの勝利を重ねて準決勝まで進んだ。

だが、一度しか出ていない学校の歴史を、出場回数だけで測ることはできない。

川内実には、スクイズで刻んだ一点がある。
七回まで守った時間がある。
あと六つまで近づいた初勝利がある。

鹿児島工には、伝統校を越えた一勝がある。
「シャー!」と甲子園を沸かせた代打がいる。
斎藤佑樹の早稲田実と戦った準決勝がある。

甲子園へ何度も戻ってくる学校がある。

一度だけ来て、その一度にすべてを置いて帰る学校もある。

どちらの夏が重いかなど、誰にも決められない。

1980年、川内実は最後の六つを取れなかった。
2006年、鹿児島工は最後の三つを守った。

勝った初戦も、負けた初戦も、それぞれの学校に一度しかなかった夏である。

だからこそ、その一点も、その一球も、そのアウトも、二度と取り替えることのできない白球史として、今も鹿児島の夏に残っている。

鹿児島の甲子園初戦史|よくある質問

Q1.鹿児島工対高知商は2回戦なのに、なぜ「初戦」なのか?
A.2006年の第88回大会では、1回戦から登場する学校と2回戦から登場する学校があった。鹿児島工は1回戦がなく、2006年8月12日の2回戦・高知商戦が同校にとって大会最初の試合だった。
Q2.鹿児島工の夏の甲子園出場は2006年だけ?
A.夏の甲子園出場は2006年の1回である。この大会で初出場ながら4勝を挙げて4強へ進んだ。甲子園全体では2008年春の選抜にも出場している。
Q3.2006年の鹿児島工で人気を集めた今吉晃一とは?
A.背番号11の代打専門選手である。打席へ入る際の「シャー!」という大きな声と明るいキャラクターで甲子園の人気者になった。高知商との初戦でも八回に代打で出場し、二塁打を放っている。
Q4.川内実業高校の現在の校名は?
A.れいめい高等学校である。川内実業高校は1989年に、れいめい高等学校へ校名を変更した。夏の甲子園出場は川内実業時代の1980年が唯一となっている。
Q5.定岡正二が1974年夏の初戦で対戦した学校は?
A.西東京代表の佼成学園である。鹿児島実は初回の一点を定岡が守り切り、1-0で勝った。その後も高岡商を1-0、東海大相模を延長15回5-4で破り、4強へ進んだ。

関連記事

使用した主な情報ソース

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|鹿児島工対高知商

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2006/400/8651/index.php

2006年8月12日のイニングスコア、継投、七回の鮫島の決勝適時打、九回の救援と走塁状況など、試合の基本経過確認に使用。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2006年第88回全国高校野球選手権大会

https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y2006.php

鹿児島工の高知商、香川西、福知山成美戦および準決勝・早稲田実戦までの大会結果確認に使用。

KKB鹿児島放送|2006年8月19日「鹿児島工業高校」夏の甲子園で初出場ベスト4

https://www.kkb.co.jp/company/ayumi/2006-0819.htm

鹿児島工が2006年夏に初出場で4強へ進んだ事実の地域資料として参照。

週刊ベースボールONLINE|榎下陽大「2006年の夏のすべてが“今”につながっている」

https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?id=001-20230814-90&pid=column_detail

鹿児島出身選手を中心としたチーム構成、榎下、鮫島、今吉ら当時の選手と鹿児島大会の背景確認に使用。

withnews|甲子園の魔物とトモダチになった男 代打・今吉って誰よ?

https://withnews.jp/article/f0140812001qq000000000000000W00n0501qq000010621A

今吉晃一の「シャー!」というかけ声、代打としての活躍と2006年夏の人気について参照。

日刊スポーツ|「シャー!」から14年 鹿児島工・今吉さんは今

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202005250000041.html

鹿児島工の初出場4強、今吉の代打成績、チームの雰囲気と甲子園後の歩みについて参照。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|双葉対川内実

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1980/400/7383/index.php

1980年のイニングスコア、投手、本塁打など、双葉3-1川内実の基本記録確認に使用。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1980年第62回全国高校野球選手権大会

https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1980.php

川内実対双葉を含む1980年大会全体の試合結果確認に使用。

Naoto’s Gallery|1980年選手権1回戦 双葉3-1川内実

https://ameblo.jp/naoto718/entry-11140229509.html

当時の大会資料をもとにした三回のスクイズ、五回の満塁機、八回の連続二塁打と西山の本塁打など、試合経過の補足確認に使用。

学校法人川島学園 れいめい中学校・高等学校|校歌・沿革

https://reimei.ed.jp/about/kouka.html

1968年の川内実業高等学校への改称、1989年のれいめい中学校・高等学校への改称など、学校沿革の確認に使用。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|鹿児島実対佼成学園

https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1974/400/7141/index.php

1974年の鹿児島実1-0佼成学園のイニングスコアと投手記録確認に使用。

東スポnote|定岡正二連載「甲子園で1勝」の目標を完封で達成

https://note.tokyo-sports.co.jp/n/nd6b12e8b301f

佼成学園戦と高岡商戦の連続1-0完封、東海大相模戦へ至る定岡正二本人の回想を参照。

本記事は、公開されている大会記録、報道記事、学校公式資料、当事者証言および朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの記録画面を照合し、筆者の記憶と考察を加えて再構成した。試合の評価や歴史的位置づけには筆者独自の解釈を含む。選手名、学校名、記録は当時の表記を基本とした。

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