七対〇。
1984年8月9日。
智弁学園は三回を終えた時点で、浜松商を七点差まで追い詰めていた。
奈良県勢は、1981年から三年続けて夏の初戦に敗れていた。
その長いトンネルが、ようやく終わるように見えた。
だが、浜松商は五回に一挙6点を奪った。
智弁学園は七回に一点を加え、8-6。
それでも、浜松商は止まらなかった。
九回表、3点。
浜松商9-8智弁学園。
奈良の初戦敗退は、四年連続となった。
翌1985年も、智弁学園は東農大二に延長10回、1-2でサヨナラ負けした。
五年連続初戦敗退。
強豪県・奈良にも、甲子園の最初の一勝が、どうしても遠かった時代があった。
そして1986年。
奈良代表の天理が初戦で迎えたのは、その春、強豪を次々と倒して選抜4強へ進んだ新湊だった。
「新湊旋風」。
富山から押し寄せた大応援団がアルプスを揺らし、甲子園は、春に生まれた奇跡の続きを待っていた。
天理は七回まで2-0。
八回に一挙6点を奪い、8-0とした。
勝負は決まったように見えた。
だが九回、新湊が4点を返した。
八回まで沈黙していた打線が突如つながり、長打が生まれ、スタンドの声が一段ずつ大きくなっていく。
八点差があっても、甲子園の空気は変わる。
相手が新湊なら、なおさらだった。
1984年の「7-0」と、1986年の「8-0」。
追いつかれた初戦と、踏みとどまった初戦。
その最後のアウトの先に、奈良県勢初の全国制覇が待っていた。
勝った初戦は、1986年の天理8-4新湊。奈良県勢が1981年から5年連続で初戦敗退を喫していた中、天理は春の選抜4強「新湊旋風」と対戦した。八回に一挙6点を奪ったが、新湊は九回に4点を返して猛追。天理は球場の熱気に飲まれず勝ち切り、そのまま奈良県勢初の夏の全国制覇へ進んだ。
負けた初戦は、1984年の智弁学園8-9浜松商。智弁学園は三回までに7-0と大量リードしたが、浜松商が五回に6点、九回に3点を奪って逆転した。現在の安定した強さからは想像しにくいが、智弁学園にも甲子園で勝ち切れず、敗戦を積み重ねた時代があった。
奈良代表の「勝った初戦」|1986年・天理8-4新湊
だが、春の甲子園で奇跡を起こした新湊は、最後まで諦めなかった。九回の4得点と球場全体の熱狂を受け止め、天理は静かに最後のアウトを取った。
※大会上は「2回戦」表記だが、天理は1回戦がなく、この新湊戦が同校にとって大会初戦だった。
天理対新湊|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 新湊 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 5 |
| 天理 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | × | 8 | 14 |
|
投手
新湊:酒井 |
本塁打
新湊:なし |
奈良県勢が背負っていた、五年間の初戦敗退
1986年8月12日。
天理が新湊との初戦に立ったとき、その背中には、天理一校だけの夏では収まりきらない重さがあった。
奈良県勢は、1981年から1985年まで、五年続けて初戦に敗れていた。
| 年 | 奈良代表 | 初戦結果 | 対戦校 |
| 1981年 | 智弁学園 | 1-6 | 岐阜南 |
| 1982年 | 智弁学園 | 2-3 | 法政二 |
| 1983年 | 天理 | 0-7 | 岐阜第一 |
| 1984年 | 智弁学園 | 8-9 | 浜松商 |
| 1985年 | 智弁学園 | 1-2x 延長10回 |
東農大二 |
1980年の天理は、横浜に敗れたものの夏の4強へ進んでいる。
その翌年から、甲子園の景色が変わった。
一点差の敗戦。
完封負け。
七点差をひっくり返された敗戦。
延長でのサヨナラ負け。
敗れ方までが重なり、奈良代表にとって、初戦そのものが一つの壁になっていた。
もし天理が新湊に敗れれば、奈良県勢は前例のない六年連続初戦敗退へ進む。
その数字を、天理の選手たちがどこまで意識していたかは分からない。だが、奈良の高校野球史が、この一戦に六年分の重さを与えていたことは間違いない。
春の甲子園を包んだ「新湊旋風」
相手の新湊は、名前だけを見て楽に戦える学校ではなかった。
その年の春、新湊は選抜初出場だった。
初戦で享栄を1-0。
二回戦では前年秋の関東王者で、優勝候補と見られていた拓大紅陵を7-4。
準々決勝では京都西を2-1で破った。
準決勝で宇都宮南に3-8で敗れたが、新湊の名は、すでに全国へ知れ渡っていた。
冬には雪に覆われる富山のグラウンド。
雪をかき、長靴を履きながら練習してきた県立校が、甲子園で強豪を倒していく。
そして、新湊の試合には、町を挙げたような大応援団が押し寄せた。
一塁側から響く大音声。
打球が前へ飛ぶたびに立ち上がる人々。
新湊が得点すれば、学校の応援席だけでなく、甲子園全体が揺れた。
春に奇跡を目撃した観客たちは、夏にも、その続きを見たかったのだと思う。
七回まで2-0、天理にも遠かった追加点
天理は三回、大平と萩原の連打で好機をつくり、山下和の左前打で一点を先制した。
新湊の酒井盛政は、春の旋風を支えた右腕だった。
天理は走者を出しながらも、なかなか突き放せない。
六回、主将で四番の中村良二が、左翼席へ本塁打を放った。
2-0。
わずか二点差で迎えた七回、新湊は連続四球で無死一、二塁の好機をつくった。
ここで送りバントを決めていれば、試合の流れは違っていたかもしれない。
しかし、新湊はバントを失敗した。
天理の本橋雅央は、後続を抑えた。
大応援団の声が甲子園を包んでも、天理は二点のリードを手放さなかった。
八回、六連打から生まれた一挙6点
均衡が崩れたのは、八回裏だった。
先頭の山下和が左前打で出塁する。
続く中村が中越え二塁打を放ち、待望の追加点が入った。
そこから天理打線がつながった。
藤本。
藤井。
本橋。
山下勝。
山下和から数えて6連打。
さらに一死後、萩原にも右前打が出た。
天理は、この回一挙6点。
8-0。
七回までの息苦しさが嘘のように、試合は一気に天理へ傾いた。
僕も、この時点で勝負は決まったと思った一人だった。
九回、新湊が再び甲子園を揺らした
ところが、新湊は終わらなかった。
九回表。
八回まで得点できなかった打線が、突然、本橋を捉え始めた。
一死満塁。
塩谷の打球が右中間を破った。
走者一掃の三塁打。
三人が生還した。
さらに一点。
8-4。
点差はまだ四点あった。
だが、スコアボードの数字と、球場の空気は同じではない。
新湊の打者が塁へ出るたびに、大応援団が立ち上がる。
春の拓大紅陵戦で見た逆転劇が、観客の記憶によみがえる。
ひょっとすると、また起きるのではないか。
八点差からでも、この学校なら何かを起こすのではないか。
その期待が、甲子園全体から天理のマウンドへ向けられた。
本橋は後年、八回の長い攻撃を終えて肩慣らしをせず九回のマウンドへ上がると、右肘に強い痛みが走ったと振り返っている。
打たれた理由は、新湊の勢いだけではなかった。
天理のエースは、すでに傷んだ腕で白球を投げていた。
それでも、本橋はマウンドを降りなかった。
最後の打者を抑え、天理は8-4で逃げ切った。
天理8-4新湊|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 新湊 | 30 | 5 | 4 | 0 | 1 | 0 | 7 | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 |
| 天理 | 36 | 14 | 7 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | 1 | 8 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。
この試合を数字だけで振り返れば、天理の14安打と八回の6得点が勝因になる。だが僕には、九回に4点を返されたあと、最後のアウトを取ったことの方が、この年の天理をよく表しているように思える。
甲子園は、新湊の奇跡の続きを待っていた。エースの右肘には痛みが走り、大応援団の声がマウンドへ降り注いだ。それでも天理は、試合を手放さなかった。初優勝するチームの底力とは、何も起こさせない強さだけではない。何かが起こり始めたとき、それを最後の一線で止める強さなのだ。
新湊を越えた天理は、奈良初の頂点へ進んだ
初戦を越えた天理は、三回戦で米子東を7-2で破った。
準々決勝では、本橋の右肘の状態を考慮し、二年生の緑川を先発に立てて佐伯鶴城に4-2。
準決勝では鹿児島商との打撃戦を8-6で制した。
決勝の相手は、夏5度目の優勝を狙う松山商だった。
天理は3-2で勝った。
奈良県勢として、夏の甲子園初優勝。
五年続いた初戦敗退を止めた学校が、そのまま五試合を勝ち抜いて全国の頂点へ立った。
奈良の夏は、新湊の猛追を止めた最後のアウトから、一気に優勝旗まで駆け上がった。
奈良代表の「負けた初戦」|1984年・智弁学園8-9浜松商
それでも浜松商は九回に3点を奪った。現在の智弁学園からは想像しにくい、勝ち方をまだ手にできなかった時代の痛烈な初戦だった。
浜松商対智弁学園|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 浜松商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 9 | 12 |
| 智弁学園 | 1 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 16 |
|
投手
浜松商:田中 → 浜崎 → 大庭 |
本塁打
浜松商:内山、石牧 |
智弁学園にも、全国で勝ち切れなかった時代があった
現在の智弁学園を知る人にとって、甲子園で七点差を守れなかった試合は、少し意外に映るかもしれない。
智弁学園といえば、試合の流れを簡単には渡さない。
終盤になっても打線が衰えず、投手が苦しいときには守備と攻撃で支える。
2016年春には、選抜で初の全国制覇。
2021年夏には、智弁和歌山との決勝へ進み、準優勝した。
だが、そこへ至るまでには長い時間があった。
1984年の智弁学園は、春夏連続出場だった。
前年秋の近畿大会では、桑田真澄と清原和博を擁するPL学園とも互角に渡り合った実力を持っていた。
決して、力のないチームが偶然七点を取ったのではない。
全国で戦えるだけの力を持ちながら、勝利を最後まで手元に置けなかったのである。
三回まで7-0、奈良の連敗は終わるはずだった
1984年8月9日。
第66回大会1回戦。
智弁学園は初回に一点を先制した。
二回に3点。
三回にも3点。
渡辺の三塁打など、打線が浜松商の投手陣を次々と捉えた。
浜松商は先発の田中から浜崎へ継投した。
それでも智弁学園の勢いは止まらなかった。
三回を終えて、7-0。
奈良県勢は1981年、1982年、1983年と三年続けて初戦敗退を喫していた。
だが、この日は違う。
少なくとも、四回が終わった時点では、誰もがそう思っていたはずだ。
五回、一つの回だけで6点が消えた
浜松商の反撃は、じわじわではなかった。
五回表。
四球と連打で一点を返した。
野島が四球を選び、一死満塁。
白井の三塁強襲安打で、さらに二人が生還した。
7-3。
智弁学園は先発の堀川から坂口へ継投した。
その坂口から、内山が左翼へ3点本塁打を放った。
7-6。
七点あったリードが、一つの回で一点差になった。
浜松商の反撃は、追い上げというより、試合の形そのものを作り替える爆発だった。
七回に一点を加えても、流れは戻らなかった
それでも智弁学園は、崩れ切らなかった。
七回裏、三連打で一点を加えた。
8-6。
五回に一挙6点を浴びながら、再び二点差へ広げた。
普通なら、ここで一度、試合は落ち着く。
八回を終えても、智弁学園は二点をリードしていた。
残るアウトは、三つだった。
九回表、「逆転の浜商」が完成した
九回表、先頭の石牧が左翼へ本塁打を放った。
8-7。
河島が右翼線へ二塁打。
一死後、野島が左中間へ同点二塁打を放った。
8-8。
そして二死後。
五回に3点本塁打を放っていた内山が、今度は左中間へ二塁打を放った。
二塁走者が生還した。
浜松商9-8智弁学園。
三回終了時の7-0は、九回表に9-8へ変わった。
智弁学園も、その裏、二死から二塁打で走者を出した。
まだ終わらなかった。
だが、最後の打球は三塁手の正面へ飛んだ。
七点差を守れなかった智弁学園の夏は、その一球で終わった。
浜松商9-8智弁学園|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 浜松商 | 35 | 12 | 9 | 4 | 0 | 2 | 3 | 7 | 2 | 0 | 2 | 8 |
| 智弁学園 | 41 | 16 | 8 | 1 | 1 | 1 | 4 | 5 | 2 | 4 | 0 | 13 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。
智弁学園は16安打を放ち、失策はゼロだった。それでも敗れた。野球は、安打数や守備の数字だけでは勝敗を説明できない。七点のリードが生まれた安心、五回に6点を失った動揺、七回に一点を加えても消えなかった相手の勢い。そうした目に見えないものが、九回の三本の長打へ集まった。
現在の智弁学園は、甲子園で簡単に崩れない学校として知られる。だが、その強さは最初から与えられていたものではない。勝てるはずの試合を落とし、あと三つのアウトを取れず、悔しさを次の世代へ残した。1984年の8-9も、今の智弁学園を作った長い時間の一部なのだと思う。
天理が先に頂点へ立ち、智弁学園が追い続けた
1986年、天理は奈良県勢で初めて夏の全国制覇を成し遂げた。
1990年にも夏の頂点へ立ち、1997年春には選抜を制した。
奈良の全国制覇は、天理が先だった。
だが、智弁学園も歩みを止めなかった。
1995年夏には4強。
2016年春、ついに選抜初優勝。
2021年夏には決勝へ進んだ。
天理が先に全国の基準を示し、智弁学園がその背中を追う。
やがて二校の存在が、奈良大会そのものの基準を引き上げていった。
奈良の強さは、一校だけが築いたものではない。
先に頂点へ立った学校と、敗戦を重ねながら追いついた学校。その二つの時間が重なって生まれた強さである。
まとめ|七点差を失った夏と、八点差を守った夏
1984年、智弁学園は三回までに七点を奪った。
それでも、浜松商の五回6得点と九回3得点を止められなかった。
7-0は、8-9になった。
1986年、天理は八回に6点を奪い、8-0とした。
それでも、新湊は九回に4点を返した。
甲子園は、春の奇跡の続きを待っていた。
だが、天理は最後のアウトを渡さなかった。
8-0は、8-4で終わった。
わずか二年の間に、奈良代表は似たような二つの初戦を経験した。
大量リード。
相手の猛反撃。
球場の空気が一変する終盤。
一方は逆転負けとなり、もう一方は全国制覇の入口となった。
だが、二つの試合を、勝者と敗者だけに分ける必要はないと思う。
智弁学園が味わった8-9も、天理がつかんだ8-4も、奈良の高校野球が全国で勝つために積み重ねた時間だった。
強豪県は、最初から強豪県だったわけではない。
あと三つのアウトが取れなかった夏がある。
六年連続初戦敗退の入口に立たされた夏がある。
その苦しさを、天理と智弁学園が、違う時代に受け継いできた。
1984年、奈良の夏は九回表にひっくり返された。
1986年、奈良の夏は九回表を耐え切った。
その最後のアウトの先で、深紅の優勝旗が、初めて奈良へ向かった。
そして、敗れた智弁学園の時間もまた、後の全国制覇へ、静かにつながっていたのである。
奈良の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1986年第68回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1986.php
天理8-4新湊から決勝の天理3-2松山商まで、1986年大会の試合結果と天理の優勝過程の確認に使用。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|天理対新湊・試合情報
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1986/400/7677/index.php
イニングスコア、投手、本塁打および試合の基本記録確認に使用。
J:COM高校野球コラム|86年夏、奈良勢初Vは天理
https://www2.myjcom.jp/special/tv/sports/baseball/highschool/column/detail/20240725.shtml
本橋雅央の右肘痛、八回の長い攻撃後に肩慣らしをせず九回へ入り4点を失った経緯、以後の大会での登板状況などを参照。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1986年第58回選抜高校野球大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/spring/y1986.php
新湊が享栄、拓大紅陵、京都西を破って選抜4強へ進んだ「新湊旋風」の戦績確認に使用。
富山県立新湊高等学校|野球部・甲子園での戦績
https://www.shinminato-h.tym.ed.jp/学校生活/club-2-2/baseball/
1986年春の選抜4強、同年夏の天理戦など、新湊高校の学校公式戦績確認に使用。
Full-Count|“新湊旋風”に飲み込まれた37年前
https://full-count.jp/2023/03/31/post1358627/
1986年春の拓大紅陵戦、新湊の大応援団が生んだ球場の空気と、対戦選手が感じた圧力について参照。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1984年第66回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1984.php
浜松商9-8智弁学園と、その後の浜松商および第66回大会全体の試合結果確認に使用。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|浜松商対智弁学園・試合情報
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1984/400/7569/index.php
イニングスコア、継投、本塁打など、1984年の試合基本記録確認に使用。
浜松商応援サイト・ヒットエンドラン|浜商名勝負シリーズ
https://hamasho-fan.net/series/mei06.html
五回の6得点、九回の石牧、野島、内山による逆転攻撃、智弁学園の最終回の反撃など、試合経過の補足確認に使用。
奈良県高等学校野球連盟|甲子園出場校
https://www1.kcn.ne.jp/~nhsbbf/kousien.html
奈良県勢の甲子園出場校と歴代戦績の基礎確認に使用。

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