スコアボードには、九つの数字が並んでいた。
浦和学院、9。
仙台育英、0。
2018年8月12日。
第100回記念大会の甲子園で、須江航監督の高校野球監督としての最初の夏は、為すすべなく終わった。
四安打完封負け。
九失点。四失策。
名門・仙台育英の新監督として立った最初の甲子園で、若き指揮官は、全国の壁を正面から突きつけられた。
だが、宮城の初戦史をそこから四十年ほど巻き戻すと、同じ仙台育英が、たった一点を得るために十七回を戦った夏へたどり着く。
1978年。
仙台育英1-0高松商。
延長17回。
両校のスコアボードには、十六個ずつの「0」が並んだ。
最後に落ちてきた一点は、豪快な本塁打ではなかった。
満塁からの死球だった。
それでも、その一点は、仙台育英にとって夏の甲子園で初めてつかんだ勝利の一点だった。
1978年の「1」と、2018年の「0」。
勝った初戦と、負けた初戦。
その二つの数字の間を流れた四十年の先に、2022年、東北勢初の全国制覇が待っていた。
勝った初戦は、1978年の仙台育英1-0高松商。大久保美智男と河地良一が延長17回まで無失点で投げ合い、仙台育英が押し出し死球で夏の甲子園初勝利をつかんだ。
負けた初戦は、2018年の浦和学院9-0仙台育英。秀光中で全国制覇を経験した須江航監督の甲子園初采配だったが、四安打完封負けを喫した。この0-9が、2022年の東北勢初優勝へ向かう新しい仙台育英の出発点となった。
宮城代表の「勝った初戦」|1978年・仙台育英1-0高松商
高松商の河地と仙台育英の大久保。二人の右腕が灼熱の甲子園へゼロを刻み続け、十七回目に落ちてきた一つの死球が、宮城の夏を動かした。
仙台育英対高松商|延長17回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 計 | 安打 |
| 高松商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 |
| 仙台育英 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 1 | 10 |
|
投手
高松商:河地 |
本塁打
高松商:なし |
1978年8月8日。
仙台育英と高松商の初戦は、午前の甲子園で始まった。
まだ今とは少し印象の違うユニホームを着た仙台育英。
宮城では知られた強豪だったが、夏の甲子園では、一つの勝利がどうしても遠かった。
マウンドには、大型右腕・大久保美智男。
堂々とした体から投げ込む球は、捕手のミットへ重く沈んだ。
対する高松商は、河地良一。
大久保とは対照的な細身の右腕で、切れのある球を低めへ集めた。
高松商は9安打。
仙台育英は10安打。
両校とも走者は出した。
だが、本塁だけが遠かった。
五回、九回、十二回。
回が進むたびに、次の一点が決勝点になる緊張が濃くなっていった。
九回を終えて0-0。
延長へ入っても、二人の投手は譲らない。
十回。十一回。十二回。
スコアボードへ置かれていくゼロは、やがて数字ではなく、両投手の意地そのものに見えてきた。
十六回が終わった。
この時代、延長18回を終えて同点なら、試合は引き分け再試合となる。
両校の選手たちは、その入口まで来ていた。
十七回裏、最後の一点
延長17回裏。
仙台育英は先頭の星が内野安打で出塁した。
続く相馬がセーフティーバントを決め、無死一、二塁。
犠打で走者を進め、敬遠を挟んで一死満塁となった。
打席には、九番の嶋田。
高松商バッテリーは、内角へ厳しく攻めた。
詰まらせて、本塁併殺に仕留めたい場面だった。
その一球が、嶋田のヘルメットへ当たった。
押し出し死球。
1x-0。
三時間を超えた投手戦は、誰も予想しなかった形で終わった。
勝ち方など、選べなかったのだと思う。
仙台育英に必要だったのは、ただ一つ。甲子園の夏に残る「勝利」という文字だけだった。
最後の一球は、白球史に残る豪快な打球ではなかった。
それでも、あの死球は、宮城の高校野球史で最も遠くへ飛んだ一球の一つだった。
仙台育英1-0高松商|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 高松商 | 55 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 | 6 | 1 | 4 | 2 | 1 | 9 |
| 仙台育英 | 53 | 10 | 1 | 1 | 0 | 0 | 13 | 5 | 5 | 1 | 3 | 13 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、押し出しなどによって一致しない場合がある。
この勝利が仙台育英にとって夏の甲子園初勝利だったため、試合後の選手たちは、整列のあとに勝利校の校歌を歌う段取りにも戸惑ったという。あいさつを終えると、すぐ応援席へ向かおうとし、審判に呼び戻された。
今では全国屈指の名門として知られる仙台育英にも、勝者として校歌を歌うことに慣れていない夏があった。甲子園の歴史とは、最初から強かった学校の物語ではない。初めて勝ち方を知り、その一勝を次の世代へ手渡した学校の物語なのだ。
一つの勝利が、仙台育英の景色を変えた
高松商との死闘を制した仙台育英は、次戦で所沢商に4-1で勝った。
三回戦では、その大会で準優勝する高知商に2-4で敗れた。
それでも、初戦の一勝だけで終わらず、さらに一つ勝った意味は大きかった。
甲子園へ出る学校から、甲子園で勝てる学校へ。
仙台育英の夏は、延長17回の押し出し死球から、少しずつ輪郭を変えていった。
宮城代表の「負けた初戦」|2018年・仙台育英0-9浦和学院
だが、名将の原点は、いつも華々しい勝利とは限らない。何もできなかった一日が、その後のすべてを変えることもある。
※大会上は「2回戦」表記だが、仙台育英は1回戦がなく、この浦和学院戦が同校にとって大会初戦だった。
浦和学院対仙台育英|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 浦和学院 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 9 | 12 |
| 仙台育英 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 |
|
投手
浦和学院:渡辺 → 永島 → 美又 → 河北 |
本塁打
浦和学院:蛭間(大栄) |
名門の再建を託された、35歳の新監督
須江航は、仙台育英の野球を外から見てきた監督ではなかった。
自身も仙台育英の出身。
高校時代はグラウンドマネージャーとして、選手と指導者の間に立った。
大学卒業後は、系列の秀光中等教育学校で指導を始めた。
2010年から全国大会へ連続出場し、2014年には全国中学校軟式野球大会を制した。
中学軟式の世界では、すでに全国屈指の実績を持つ指導者だった。
2017年、仙台育英では部員の飲酒・喫煙問題が起き、前任監督が責任を取って退任した。チームは対外試合禁止の期間も経験した。
須江は2018年1月、母校の再建を託され、高校野球部の監督に就いた。
与えられた仕事は、勝つことだけではなかった。
規則や生活を見直し、選手と向き合い、名門がもう一度信頼を得るための土台を作ることだった。
それでも仙台育英は宮城大会を勝ち抜き、夏の甲子園へ戻ってきた。
須江監督の甲子園初采配。
相手は、森士監督率いる浦和学院だった。
一回から突きつけられた、全国の速度
浦和学院は一回、いきなり2点を先制した。
三回にも2点。
仙台育英は、追う展開の中で反撃のきっかけを探した。
浦和学院の先発・渡辺勇太朗は、長身から最速149キロの直球を投げ込んだ。二種類のスライダーを交え、六回まで仙台育英を3安打に抑えた。
七回からは永島。
九回には美又、河北とつなぎ、浦和学院は四投手で仙台育英を零封した。
仙台育英にも、走者を出す場面はあった。
だが、先制された直後の一回一死一、三塁でも一点を返せない。
八回には、浦和学院の主将・蛭間拓哉が左中間へ本塁打。
九回にも3点を加えられ、点差は9点まで広がった。
仙台育英は4安打。
得点は、最後まで「0」だった。
試合が終わったとき、須江監督の甲子園での勝敗は、0勝1敗。
失点は9。得点は0。
そこから、新しい仙台育英の時計が動き始めた。
浦和学院9-0仙台育英|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 浦和学院 | 39 | 12 | 7 | 3 | 2 | 1 | 5 | 2 | 1 | 2 | 1 | 6 |
| 仙台育英 | 31 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 4 | 1 | 1 | 4 | 9 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策や野選などによって一致しない場合がある。
須江監督は後年、この浦和学院戦を、手も足も出ない完敗であり、自分の高校野球が始まった試合だったと振り返っている。
勝てなかった理由を精神論だけに求めず、何が足りなかったのかを言葉と数字で整理する。年間の計画を作り、複数の投手を育て、選手自身が考えられる環境を整える。須江監督が進めた新しい仙台育英の野球は、0-9で見えた全国との差を、一つずつ埋める作業だったように思う。
仙台へ戻った夜、日本一を目指すと決めた
甲子園から仙台へ戻った須江監督は、中学野球時代に世話になった指導者たちへ、感謝と決意を伝えた。
宮城の中学軟式で育った選手を大切にし、自分たちにしかできない野球で、日本一を目指す。
0-9で敗れたばかりの監督が掲げるには、あまりにも大きな目標だったかもしれない。
だが、目標とは、今の自分に届く距離へ置くものではない。
今の自分を変えなければ届かない場所へ置くものなのだ。
2019年、仙台育英は夏の甲子園で8強。
須江監督と選手たちは、全国の頂点へ続く距離を少しずつ縮めていった。
2022年、優勝旗が白河の関を越えた
2022年8月22日。
仙台育英は決勝で下関国際を8-1で破った。
東北勢として、夏の甲子園初優勝。
春夏を通じ、何度も決勝へ届きながら、あと一歩で閉ざされ続けてきた扉が開いた。
優勝インタビューで、須江監督はコロナ禍を過ごした高校生たちについて語った。
人と集まること。
声を出すこと。肩を組むこと。共に悔しがり、喜ぶこと。
高校野球の日常にあったものを失った世代へ向けたその言葉は、優勝校の監督だけの言葉ではなく、全国の高校生へ向けた言葉になった。
2018年、甲子園で最初に見た景色は0-9だった。
その四年後、須江航は、東北の高校野球が百年近く見続けてきた夢の真ん中に立っていた。
もう一つの「勝った初戦」|1980年・東北4-0瓊浦
宮城の初戦史には、もう一つ忘れがたい勝利がある。1980年、第62回大会の開幕戦。東北高校が瓊浦を4-0で破った試合である。
東北の左腕・中条善伸は、地方大会や東北大会では圧倒的な力を見せながら、甲子園へ来ると制球を乱した。1979年春には四球を重ね、同年夏の済々黌戦では押し出しを含む四球から崩れ、東北は5-18で大敗した。
心ない噂まで流れ、中条は深く傷ついた。それでも竹田利秋監督は、別の投手へエースを渡さなかった。中条を甲子園で立ち直らせることこそ、自分の指導者としての仕事だと考えたからだった。
最後の夏、中条は甲子園の初球をストライクにした。そこから三者連続三振。終わってみれば13奪三振、無四球完封。東北は4-0で勝った。
甲子園へ行きたくないほど苦しんだ投手が、最後の夏、甲子園のマウンドでようやく自分の球を投げた。1978年の仙台育英が学校として初戦の壁を越えた試合なら、1980年の東北は、一人の少年が心の壁を越えた初戦だった。
まとめ|初勝利の一点と、初采配の九点差
1978年、仙台育英は一点を取るために十七回を戦った。
2018年、須江航監督は一点も取れず、九点を失った。
一方は、夏の初勝利。
もう一方は、新監督の初黒星。
だが、どちらも仙台育英の始まりだった。
最初の一勝がなければ、その後の名門はない。
最初の大敗と向き合わなければ、その後の全国制覇もなかったかもしれない。
高校野球の歴史は、きれいな右肩上がりでは進まない。
十七回戦って得た一点のあとに、九点差で敗れる夏がある。
九点差で敗れたあとに、東北の百年の扉を開く夏がある。
勝った初戦も、負けた初戦も、その時点では物語の結末ではない。
次の世代が、その意味を書き足していく。
灼熱の甲子園の土が、彼らの汗を吸い込んだあの夏の日。
1978年の一点は、初勝利の一点になった。
2018年の九点差は、全国制覇への原点になった。
あの夏の白球は、負けた場所からも、未来へ走り続けている。
宮城の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1978年第60回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1978.php
仙台育英1-0高松商、仙台育英4-1所沢商、高知商4-2仙台育英など、第60回大会の試合結果確認に使用。
日刊スポーツ|悲願夏1勝は酷暑の延長17回
https://www.nikkansports.com/baseball/column/tohoku-koshien100/news/1469907.html
延長17回の決着、大久保美智男の証言、仙台育英が夏初勝利後の校歌斉唱に戸惑ったエピソードなどを参照。
J:COM高校野球コラム|1978年夏、延長17回を制した仙台育英
https://www2.myjcom.jp/special/tv/sports/baseball/highschool/column/detail/20210527.shtml
大久保美智男と河地良一の投手像、延長17回裏の攻防、押し出し死球による決着の確認に使用。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2018年第100回全国高校野球選手権記念大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y2018.php
浦和学院9-0仙台育英が大会上2回戦であり、仙台育英にとって初戦だったことなど、第100回大会の公式記録確認に使用。
日刊スポーツ|浦和学院0封完勝、蛭間が本塁打
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201808120000546.html
渡辺勇太朗の投球内容、浦和学院の四投手による完封リレー、蛭間拓哉の本塁打など、2018年初戦の試合経過確認に使用。
Full-Count|須江航監督、有言実行の4年前の決意
https://full-count.jp/2022/08/30/post1273475/
須江監督の秀光中時代、2014年の全国中学校軟式野球大会優勝、2018年の0-9後に日本一を目指す決意を伝えた経緯などを参照。
ベースボールチャンネル|仙台育英・須江航監督の指導方針
https://www.baseballchannel.jp/etc/80433/
秀光中での全国大会出場実績、須江監督の高校時代と指導者歴、年間計画を用いて勝因と敗因を論理的に振り返る指導方針を参照。
4years./朝日新聞|仙台育英監督「青春って、すごく密なので」優勝インタビュー
https://4years.asahi.com/article/14700659
2022年の東北勢初優勝と、須江監督が優勝インタビューで語った「青春って、すごく密なので」という言葉の確認に使用。
日刊スポーツ|竹田利秋監督と中条善伸の再生物語
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201902240000565.html
中条善伸が甲子園で制球に苦しんだ経緯、竹田監督がエース再生に取り組んだ背景を参照。
日刊スポーツ|部員100人でもスキなし/竹田利秋
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201902240000579.html
1980年の東北対瓊浦、中条善伸の13奪三振・無四球完封、続く習志野戦でも完封した事実などを参照。

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