東東京の甲子園初戦クロニクル|帝京、夏の第一歩と城東が開けた都立の扉

東京

初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏

東東京の甲子園初戦クロニクル|帝京、夏の第一歩と城東が開けた都立の扉

東東京の夏には、私学の校歌がよく似合った。

日大一。

修徳。

関東一。

岩倉。

日大豊山。

二松学舎大付。

そして、帝京。

限られたグラウンドで鍛えられた都立高校の球児たちにとって、東東京大会は、背の高い私学の城壁が幾重にも立ちはだかる場所だった。

だが、帝京も最初から「夏の帝京」だったわけではない。

1987年。

夏2回目の甲子園。

相手は兵庫の古豪・明石。

マウンドには芝草宇宙がいた。

帝京は明石を6-1で破り、夏の甲子園で初めて校歌を歌った。

その一勝から、芝草のノーヒットノーランが生まれた。

横浜商、関西を破り、帝京はベスト4まで進んだ。

二年後には、夏の全国制覇を成し遂げる。

後に「夏の帝京」と呼ばれる強豪の最初の足音は、この明石戦から聞こえていた。

そして12年後の1999年。

東東京の甲子園初戦には、私学ではなく都立の校名があった。

城東。

東東京代表として、初めて甲子園へ出場した都立高校だった。

相手は全国制覇経験を持つ智弁和歌山。

城東は5回まで1-1。

安打数は最後まで9本対9本。

敗れはした。

だが、都立高校が強豪私学と甲子園で互角に戦えることを、白球で証明した。

帝京は、一勝から東東京の王者へ向かった。

城東は、一敗から東東京の常識を変えた。

二つの初戦は、勝敗の向こう側で、それぞれの新しい扉を開いている。

帝京は、一勝によって「夏の帝京」へ歩き始めた。
城東は、一敗によって「都立にもできる」と伝えた。
初戦で生まれるものは、次の一勝だけとは限らない。

東東京は、私学の城壁が幾重にも続く場所だった

東京の高校野球は、東と西に分かれている。

人口が多く、参加校も多い。

その中でも東東京には、古くから全国大会で実績を残した私学が集中してきた。

日大一は、戦前から甲子園を知る古豪。

修徳、関東一、岩倉、日大豊山、二松学舎大付も、それぞれの時代に甲子園へ進んだ。

一校を破っても、次にまた強豪私学が現れる。

甲子園へたどり着くまでに、何度も決勝戦のような試合を勝たなければならない。

帝京も、その壁を登る側から始まった。

春のセンバツでは存在感を示し、「春の帝京」という印象を持つファンもいた。

だが、夏の甲子園では、まだ一勝も挙げていなかった。

1983年、帝京は夏の甲子園へ初出場した。

初戦の相手は宇部商。

5-6。

一点差で敗れた。

その4年後。

帝京が二度目の夏へ戻ってきた。

芝草宇宙を擁し、明石との初戦を迎えた。

後に全国が恐れる縦じまのユニホームも、この時点ではまだ、夏の甲子園で一度も勝ったことがなかった。

勝った初戦|1987年、帝京6-1明石

勝った初戦

大会
第69回全国高等学校野球選手権大会
回戦
1回戦
球場
阪神甲子園球場
対戦
帝京(東東京)6-1 明石(兵庫)
投手
芝草→平山(帝京)、藤本→井上(明石)
本塁打
両校なし
特記事項
帝京にとって夏の甲子園初勝利

古豪・明石と、まだ夏未勝利だった帝京

明石という校名には、甲子園の古い記憶が染み込んでいる。

戦前から全国大会へ出場し、甲子園球史に残る激戦を経験した兵庫の古豪だった。

だが1980年代になると、甲子園で明石の名を見る機会は少なくなっていた。

1987年夏の出場は、オールドファンにとって懐かしさを誘うものだった。

一方の帝京は、春の甲子園では存在感を示しながら、夏はまだ未勝利。

全国的な校名の重みという意味では、当時の明石が背負っていた歴史も小さくなかった。

だからこの試合は、現在の感覚で見る「強豪・帝京と古豪・明石」とは、少し違っていた。

新しい時代へ踏み出そうとする帝京と、長い球史を背負って戻ってきた明石。

二つの時間が、夏の甲子園で交差した試合だった。

ちなみに組み合わせ抽選会で「帝京-明石」の札が掲げられた瞬間、僕には一瞬だけ「中京-明石」に見えた記憶がある。

戦前の延長25回を知る高校野球ファンゆえの、勝手な連想だったのだろう。

それほど明石という校名には、古い甲子園史を呼び起こす響きがあった――その程度の小さな余談として残しておきたい。

帝京対明石|6-1のイニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 安打
明石 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 9
帝京 0 0 2 0 0 0 1 3 x 6 10
投手

明石:藤本 → 井上
帝京:芝草 → 平山

本塁打

明石:なし
帝京:なし

3回の二点――帝京が夏の歴史で初めて先へ出た

試合は2回まで0-0。

甲子園初勝利を目指す帝京と、古豪・明石。

新しい時代へ進もうとする校名と、古い球史を持つ校名が、静かな序盤をつくった。

3回裏。

帝京が2点を奪った。

スコアボードに、夏の帝京の最初の輪郭が現れた。

芝草は明石打線を抑える。

だが、簡単な試合ではない。

明石は9安打を放っている。

盗塁も3つ。

走者を出し、帝京守備へ圧力をかけた。

帝京は明石よりわずか一本多い10安打。

残塁は両校とも11。

6-1という最終スコアほど、途中の差は大きくなかった。

7回に一点ずつ――古豪は簡単に退かなかった

7回表。

明石が1点を返した。

2-1。

一点差。

甲子園初勝利は、まだ帝京の手の中に入っていない。

その裏、帝京も1点を奪った。

3-1。

取られた直後に取り返す。

相手へ流れを渡さない。

後年の帝京に感じた勝負強さが、この初勝利にもすでに表れている。

8回裏。

帝京が3点を加えた。

6-1。

ようやく試合が大きく動いた。

9回表を抑え、試合終了。

帝京は夏の甲子園で、初めて勝った。

帝京対明石|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
明石 35 9 1 0 1 0 8 2 2 3 3 11
帝京 31 10 6 2 0 0 0 7 3 1 1 11

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。

帝京は31打数10安打。四死球7、犠打3。さらに打者の三振は0だった。

長打で圧倒した試合ではない。本塁打はなく、二塁打が2本。塁へ出て、送り、好機で走者を返した。

明石も9安打を放ち、残塁は両校とも11。帝京の夏初勝利は、最初から王者のように圧倒した一戦ではなく、古豪との接戦を終盤に突き放して得た一勝だった。

次の東北戦、芝草宇宙はノーヒットノーランを達成した

明石戦で夏初勝利を挙げた帝京は、2回戦で東北と対戦した。

芝草宇宙は、明石戦でも7回まで投げている。

それでも東北戦で、芝草は一本の安打も許さなかった。

帝京3-0東北。

ノーヒットノーラン。

四死球で走者を出しても、安打だけは与えない。

甲子園のスコアボードに、九つの「0」が並んだ。

夏初勝利を挙げた次の試合で、帝京は全国へ芝草宇宙の名を刻んだ。

横浜商、関西も完封――帝京はベスト4へ

3回戦の相手は横浜商。

1983年夏に準優勝したY校である。

帝京は1-0で勝った。

芝草が完封。

準々決勝は岡山の関西。

帝京は5-0。

ここでも芝草が完封した。

東北戦から三試合連続の完封。

帝京は夏2回目の出場で、ベスト4へ進んだ。

準決勝の相手は、立浪和義、片岡篤史、野村弘樹らを擁するPL学園。

春夏連覇へ向かう王者だった。

帝京は5点を奪った。

だが12点を失い、5-12で敗れた。

初の決勝には届かなかった。

それでも1987年夏は、帝京が全国区へ変わる夏だった。

1989年と1995年――「夏の帝京」は二度、全国の頂点へ立った

明石戦から二年後。

1989年夏。

帝京は米子東との初戦を3-0で勝った。

桜ケ丘に10-1。

海星に11-0。

秋田経法大付との準決勝を4-0。

決勝では仙台育英を2-0で破った。

初の夏の全国制覇。

1987年に夏初勝利を挙げた学校が、わずか二年で深紅の大優勝旗を手にした。

1995年夏には、日南学園との初戦を2-1で制した。

東海大山形、創価、敦賀気比を破り、決勝で星稜に3-1。

二度目の夏制覇。

「夏の帝京」という呼び名は、1989年の優勝だけで突然生まれたのではない。

1987年、明石戦の6-1。

あの夏初勝利から、少しずつ輪郭を持ち始めたのだと思う。

後から見れば、全国制覇へ続く道だった。
だが1987年の帝京に見えていたのは、目の前の明石と、まだ手にしたことのない夏の一勝だけだった。

負けた初戦|1999年、城東2-5智弁和歌山

負けた初戦

大会
第81回全国高等学校野球選手権大会
回戦
2回戦・両校にとっての大会初戦
球場
阪神甲子園球場
対戦
智弁和歌山(和歌山)5-2 城東(東東京)
投手
池村(城東)、井上(智弁和歌山)
本塁打
佐々木(智弁和歌山)
特記事項
城東は東東京代表として初めて夏の甲子園に出場した都立高校

国立から19年――東東京に初めて都立の校名が掲げられた

1980年夏。

西東京代表の国立高校が甲子園へ出場した。

進学校の都立高校が、私学の強豪を破って聖地へ進んだ。

「都立の星」と呼ばれ、その夏は長く語り継がれた。

だが、その後の道は続かなかった。

東京の私学は強い。

施設、選手層、練習時間。

都立高校が甲子園へ到達するには、いくつもの壁があった。

1999年。

城東は東東京大会決勝で、春のセンバツにも出場していた駒大高を3-0で破った。

国立以来19年ぶり、東京都では二校目の都立代表。

そして、東東京では初めての都立代表だった。

甲子園での相手は智弁和歌山。

1997年夏の全国優勝校。

高嶋仁監督のもと、全国屈指の強豪へ育っていた。

城東は、胸を借りるために甲子園へ来たのではない。

勝つために来た。

城東対智弁和歌山|2-5のイニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 安打
城東 0 1 0 0 0 0 0 0 1 2 9
智弁和歌山 1 0 0 0 0 1 1 2 x 5 9
投手

城東:池村
智弁和歌山:井上

本塁打

城東:なし
智弁和歌山:佐々木

初回に失点。それでも2回、城東はすぐに追いついた

1回裏。

智弁和歌山が1点を先制した。

甲子園初出場。

相手は全国優勝経験校。

都立の挑戦者が、強豪私学に先手を取られた。

それでも城東は崩れない。

2回表。

城東が1点を返した。

1-1。

すぐに同点。

4回には3安打を集め、二死満塁の好機もつくった。

得点には届かなかった。

だが、甲子園の試合を動かしていたのは智弁和歌山だけではなかった。

城東は5回までに6安打。

5回を終えて1-1。

初出場の都立高校が、全国の強豪と真っすぐ並んでいた。

池村がつくった五回までの均衡

城東の先発は池村。

智弁和歌山打線を相手に、5回まで1失点。

大量点を許さず、味方の反撃を待った。

智弁和歌山の井上も、城東打線を抑える。

だが城東は、前半だけで6本の安打を放った。

甲子園へ来られただけで満足している打線ではない。

強い球を振り、塁へ出る。

一打勝ち越しの場面をつくる。

城東は、名前で負けなかった。

6回、7回――智弁和歌山が一点ずつ積み重ねた

均衡が崩れたのは6回裏。

智弁和歌山が3安打を集め、1点を勝ち越した。

2-1。

7回にも1点。

3-1。

強豪校は、一度に試合を壊さなくても、好機を得点へ変える。

城東も安打を放つ。

だが、智弁和歌山の守備が得点を許さない。

安打数は接近したまま、得点だけが少しずつ離れていった。

8回、佐々木の本塁打――それでも城東は9回に一点を返した

8回裏。

智弁和歌山が2点を加えた。

佐々木の本塁打も飛び出した。

5-1。

試合終盤、四点差。

それでも城東は、最後まで攻撃をやめなかった。

9回表。

1点を返した。

5-2。

追いつくことはできなかった。

試合終了。

城東2-5智弁和歌山。

東東京初の都立代表の夏は、一試合で終わった。

だが、両校の安打数は9本ずつ。

城東は失策0。

強豪に胸を借りた試合ではない。

強豪を、本気で慌てさせた試合だった。

城東対智弁和歌山|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
城東 35 9 2 0 1 0 6 1 0 0 0 7
智弁和歌山 28 9 5 3 0 1 1 2 6 1 0 7

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。

安打数は9本対9本。残塁も7対7。両校とも失策0だった。

違いが表れたのは、長打と走者の進め方である。智弁和歌山は二塁打3、本塁打1、犠打6。城東は三塁打1本を放ったが、犠打と盗塁は0だった。

数字を見れば、城東が圧倒された試合ではないことが分かる。同じ数だけ安打を放ちながら、智弁和歌山が得点へ結びつける技術で三点上回った。

智弁和歌山は、その後ベスト4まで進んだ

城東を破った智弁和歌山は、3回戦で尽誠学園に2-0。

準々決勝で柏陵に7-2。

準決勝まで進んだ。

岡山理大付に4-5で敗れ、決勝進出はならなかった。

つまり城東が5回まで互角に戦った相手は、その夏の全国ベスト4だった。

「都立としては善戦した」という評価では、少し違う。

城東は、全国上位へ進む力を持つチームと、安打数で並んだ。

一回限りの記念出場ではない。

甲子園で勝負のできる代表だった。

2001年、城東はもう一度甲子園へ戻ってきた

1999年の城東が大きかった理由は、初出場したことだけではない。

二年後の2001年。

城東は、もう一度東東京大会を勝ち抜いた。

都立高校として初めて、二度目の夏の甲子園出場を果たした。

一度だけなら、「奇跡の世代」と呼ばれたかもしれない。

だが、二年後に戻った。

都立高校でも、継続して私学強豪を破り、東東京代表になれる。

城東は、それを結果で示した。

もう一つの初戦|2001年、城東2-4神埼

第83回全国高等学校野球選手権大会・2回戦

神埼 4-2 城東

都立高校として初めて二度目の夏へ戻った城東

2001年の初戦は、佐賀の神埼。

城東は2-4で敗れた。

再び甲子園初勝利には届かなかった。

だが、勝敗だけで1999年と2001年を閉じることはできない。

一度目は、東東京初の都立代表。

二度目は、都立高校初の二度目の夏。

城東は、都立高校の甲子園出場を「一生に一度起きる奇跡」から、「もう一度狙える目標」へ近づけた。

城東が開けた扉の向こうに、雪谷と小山台が現れた

城東が後の都立勢を直接生んだ、と因果関係まで断定することはできない。

学校も、監督も、選手も違う。

それでも、先に到達した学校の存在は、後を追う球児たちの心から「不可能」という文字を一つ消す。

2003年夏。

都立雪谷が東東京大会を制し、甲子園へ初出場した。

2014年春。

都立小山台が21世紀枠でセンバツへ出場した。

都立高校として初めての春の甲子園だった。

小山台はその後、2018年、2019年の夏に二年連続で東東京大会準優勝。

甲子園は、都立高校にとって遠い。

今も簡単な場所ではない。

だが、城東が1999年と2001年に歩いた道がある。

後の球児たちは、何もない場所へ道をつくる必要はなかった。

先輩たちの足跡を見ながら、その先へ進むことができた。

国立が最初の星を灯した。
城東は、その星が一夜限りではないと示した。
都立の甲子園は、奇跡から目標へ変わっていった。

帝京と城東|名門を始めた一勝、常識を変えた一敗

1987年・帝京

夏2回目の出場で、甲子園初勝利。

芝草宇宙を擁し、古豪・明石を6-1で破った。次戦で芝草がノーヒットノーランを達成し、そのままベスト4へ進んだ。

1989年、1995年の夏制覇へつながる「夏の帝京」の出発点となった。

1999年・城東

東東京代表として初の都立高校。

智弁和歌山と5回まで1-1。最終的な安打数も9本対9本だったが、2-5で敗れた。

2001年にも再出場し、都立高校でも継続して甲子園を目指せることを示した。

帝京は勝った。

城東は負けた。

だが、二校が東東京へ残したものは、単純な一勝と一敗ではない。

帝京は、夏の甲子園で勝ったことのない私学から、全国が恐れる名門へ向かった。

城東は、私学の壁に阻まれてきた都立高校から、東東京代表へたどり着いた。

帝京の一勝は、学校の未来を変えた。

城東の一敗は、地域の意識を変えた。

初戦とは、その学校が全国で何者になるかを決める試合でもある。

まとめ|帝京が夏を始め、城東が都立の未来を始めた

1987年夏。

帝京は夏2回目の甲子園へ出場した。

初出場だった1983年は、宇部商に5-6で敗れていた。

まだ夏の甲子園では一勝もなかった。

初戦の相手は兵庫の古豪・明石。

3回、帝京が2点を先制した。

7回、明石が1点を返す。

その裏、帝京も1点。

8回に3点を加えた。

帝京6-1明石。

帝京にとって、夏の甲子園初勝利だった。

先発の芝草宇宙は、次の東北戦でノーヒットノーラン。

横浜商を1-0。

関西を5-0。

帝京はベスト4へ進んだ。

準決勝では春夏連覇を達成するPL学園に5-12で敗れた。

だが、この夏から「夏の帝京」の歴史が始まった。

1989年、初の夏制覇。

1995年、二度目の夏制覇。

明石戦の一勝は、二本の深紅の大優勝旗へ続いていた。

1999年夏。

城東は東東京大会を制した。

東東京代表として、初めて甲子園へ出場した都立高校だった。

相手は智弁和歌山。

初回に1点を先制された。

2回、城東が同点。

5回を終えて1-1。

城東は前半だけで6安打を放った。

智弁和歌山は6回、7回に1点ずつ。

8回に佐々木の本塁打などで2点。

城東も9回に1点を返した。

智弁和歌山5-2城東。

安打数は9本対9本。

両校無失策。

都立高校が、全国の強豪と本気の勝負を演じた。

城東は2001年にも甲子園へ戻った。

都立高校として初めての二度目の夏だった。

その後、雪谷が2003年夏に出場し、小山台が2014年春に都立初のセンバツ出場を果たした。

城東がすべてを生んだわけではない。

だが、城東の足跡は、後の都立球児たちが甲子園を目指すための現実的な地図になった。

帝京は、一勝によって名門へ進んだ。

城東は、一敗によって都立の可能性を広げた。

一校は勝って、夏の歴史を始めた。

一校は負けても、次の学校が歩く道を残した。

1987年の縦じま。

1999年の都立のユニホーム。

灼熱の甲子園の芝が、彼らの汗を吸い込んだあの夏の日。

東東京の景色は、確かに少し変わった。

あの夏の白球は、今も心を走り続けている。

東東京の甲子園初戦史に関するFAQ

Q1.なぜ「勝った初戦」に1987年の帝京対明石を選んだのか?
帝京にとって夏の甲子園初勝利だったからだ。帝京は明石を6-1で破り、次の東北戦で芝草宇宙がノーヒットノーランを達成。そのままベスト4へ進み、1989年と1995年の夏の全国制覇へつながっていった。
Q2.帝京は1987年以前に夏の甲子園へ出場していたのか?
1983年夏に初出場している。初戦で宇部商と対戦し、5-6で敗れた。1987年は夏2回目の出場で、明石戦が夏の甲子園初勝利となった。
Q3.城東は東東京初の都立代表だったのか?
東東京代表としては初の都立高校だった。東京都全体では、1980年の西東京代表・国立に続き、19年ぶり二校目の都立代表となった。
Q4.城東は智弁和歌山戦でどこまで善戦したのか?
2回に1-1の同点とし、5回終了時まで互角だった。最終的な安打数も両校9本ずつで、失策も両校0。6回以降に得点を重ねた智弁和歌山が5-2で勝ったが、城東が一方的に押された試合ではなかった。
Q5.城東はその後も甲子園に出場したのか?
2001年夏にも東東京代表として出場した。都立高校として初めて二度目の夏の甲子園出場を果たし、初戦で神埼に2-4で敗れた。

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使用した主な情報ソース

記録と表記について:
本文中の試合スコア、イニング、投手、本塁打および詳細記録は、朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ、日本高等学校野球連盟、東京都立城東高等学校、帝京高校野球部OB会、報道資料、ならびに提供された大会記録画面を照合して作成した。組み合わせ抽選会で札が一瞬別の校名に見えたという記述は、明石の球史に連想が働いた筆者個人のテレビ視聴記憶であり、帝京の知名度や実績を評価する意図はない。「城東が後の都立勢の心理的な壁を低くした」という記述は、出場実績を踏まえた筆者の解釈であり、直接的な因果関係を断定するものではない。

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