滋賀の甲子園初戦クロニクル|比叡山が全国最後の県勢初勝利、優勝候補・近江は東海大相模に屈す

甲子園コラム

初戦・故郷の白球史|49代表地区に残る、勝った夏と負けた夏
滋賀の甲子園初戦クロニクル|一勝を最後まで待った県が、いつしか「優勝候補」を送り出す県になった

今の高校野球ファンに、「滋賀は甲子園で勝てない県だった」と話しても、少しピンと来ないかもしれない。

近江がいる。

2001年夏は準優勝。2018年夏はベスト8。2021年夏はベスト4。2022年には春準優勝、夏ベスト4。

「滋賀代表が上位まで残る」という景色は、もう珍しいものではなくなった。

けれど、そこまで時計を進める前に、一度1979年へ戻りたい。

滋賀は、その夏まで甲子園の選手権大会で一度も勝ったことがなかった。

47都道府県の中で、最後まで初勝利を待っていた県だった。

その壁を破ったのが比叡山。

12-4。

五回を終えた時点では0-3だったのに、六回から一気に12点を奪った。

そして、一勝すると止まらなかった。

そのまま3連勝してベスト8。

それから40年。

2019年の近江は、「滋賀代表だから初戦突破できるか」と見られる学校ではなかった。

林優樹と有馬諒。前年の甲子園8強を知るバッテリーを中心に、堂々の優勝候補として甲子園へ戻ってきた。

一勝を待った県から、全国制覇を期待される県へ。

滋賀高校野球の変化を二つの初戦で見るなら、僕はこの二試合を選びたい。

この記事の30秒要約

勝った初戦は1979年の比叡山12-4釧路工。滋賀県勢にとって夏の甲子園10度目の出場で初勝利となり、47都道府県では全国最後の夏初勝利だった。比叡山は五回まで0-3とリードされたが、六回5点、七回4点、九回3点と猛攻。その後も相可、前橋工を破り、初勝利から一気に3連勝でベスト8へ進んだ。

負けた初戦は2019年の近江1-6東海大相模。前年8強の林優樹-有馬諒バッテリーを擁する近江は優勝候補として臨んだが、初戦から同じく優勝候補の東海大相模と対戦。林は強打線を6安打、自責1に抑えたものの、滋賀大会では無失策だった守備陣が6失策。スコア以上に、甲子園の怖さが表れた一戦だった。

滋賀代表の「勝った初戦」|1979年・比叡山12-4釧路工

47都道府県で最後まで待った夏の初勝利。
五回終了時は0-3。「また今年もか」と思われたそこから、比叡山は六回以降に12点を奪った。一勝の夜明けは、驚くほど派手だった。

比叡山対釧路工|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 安打
比叡山 0 0 0 0 0 5 4 0 3 12 11
釧路工 1 0 0 1 1 0 0 1 0 4 11
投手

比叡山:藪内
釧路工:安宅 → 伊香

本塁打

比叡山:なし
釧路工:細谷

滋賀は、夏の一勝を日本でいちばん長く待った

1979年、第61回全国高校野球選手権大会。比叡山にとっては二度目の夏の甲子園だった。

しかし滋賀県全体で見れば、事情はもっと重かった。日本高野連の大会史では、この1979年の比叡山が滋賀県勢10度目の選手権出場で初勝利だったと記されている。

そして47都道府県で、これが最後の夏初勝利だった。

1953年、八日市が滋賀県勢として夏の甲子園へ初出場してから26年。滋賀は一勝を待ち続けた。

その前年、比叡山は「一人も塁に出られない」試合を経験していた

1978年春のセンバツ。前橋の松本稔が、比叡山を相手に甲子園史上初の完全試合を達成した。

1-0。78球。27人。

比叡山は一人の走者も出せなかった。

この釧路工戦で安打を放った宮崎裕也は、前年には下級生として、その完全試合を味わった先輩たちの姿を見ていたという。

甲子園へ出れば、まず一本のヒットが欲しい。そのくらいまで、滋賀と比叡山にとって甲子園は遠く、重い場所だった。

五回を終えて0-3。「また今年もか」

1979年8月8日。比叡山の初戦は釧路工。

一回に先制され、四回にも1点、五回にも1点。

比叡山0-3釧路工。

後年、比叡山のOBはこの時を「また今年もか」と思ったと振り返っている。

長く待っていると、負けることの方が普通になってしまう。「今年こそ」より先に、「またか」が出てしまう。

六回5点、七回4点。壁が壊れる時は一気だった

ところが六回表。比叡山打線が突然つながった。

一挙5点。0-3が、5-3になる。

そして七回、今度は4点。

九回にも3点。

12-4。

五回まで一度も点を取れなかったチームが、残り四イニングで12点。

長い長い初勝利の壁が壊れる時というのは、こんなに派手なものなのかと思う。

比叡山12-4釧路工|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
比叡山 35 11 11 3 0 0 1 6 5 0 2 7
釧路工 32 11 4 2 1 1 5 3 3 1 2 7

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|一勝を待ち続けた県が、一勝したら三つ勝った

滋賀県勢は、夏の甲子園で最初の一勝を最後まで待った。

それなのに、いざ勝ったら比叡山はそこで満足しなかった。

釧路工に12-4。次の相可に4-3。3回戦では前橋工に6-1。

初勝利から、いきなり3連勝でベスト8である。

「一勝さえできれば」と長く願っていた県が、一つ勝った瞬間に、その先の景色まで一気に見てしまった。

準々決勝では牛島和彦、香川伸行を擁する浪商に0-10で敗れた。

それでも、この夏以前と以後では、滋賀の甲子園に対する感覚は少し変わったのではないかと思う。

勝てる。しかも、一つだけではない。

1979年の比叡山は、滋賀にそれを初めて実感させたチームだった。

滋賀代表の「負けた初戦」|2019年・近江1-6東海大相模

40年前は「県勢初勝利」を待っていた滋賀。
2019年、近江は全国の優勝候補として甲子園へ来た。相手も東海大相模。初戦から、横綱同士のようなカードだった。

東海大相模対近江|イニングスコア

学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 安打
東海大相模 0 0 0 1 1 3 0 0 1 6 6
近江 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 4
投手

東海大相模:遠藤 → 野口 → 紫藤
近江:林

本塁打

東海大相模:なし
近江:なし

前年、林と有馬は「あと二人」で4強を逃していた

2019年の近江を語るには、その前年の夏を外せない。

2018年。近江は甲子園でベスト8まで進んだ。

準々決勝の相手は、吉田輝星を擁する金足農。九回裏、近江が2-1とリードしていた。

マウンドには2年生の林優樹。捕手も2年生の有馬諒。

無死満塁から金足農がスクイズ。三塁走者だけでなく、二塁走者まで生還した。

甲子園史に残る、逆転サヨナラ2ランスクイズだった。

林と有馬は、その悔しさを持ったまま3年生になった。

今度の近江は、「優勝候補」と呼ばれていた

2019年夏。林-有馬のバッテリーは健在。

林は滋賀大会で圧巻だった。決勝の光泉戦は1-0完封。守備も滋賀大会では無失策だった。

そして全国へ。日刊スポーツは、この近江をはっきり「堂々の優勝候補」と書いている。

40年前は「滋賀が勝てるか」だった。2019年は「近江が優勝できるか」だった。

抽選で東海大相模。初戦から優勝候補同士

ところが抽選で引いた相手が、東海大相模。

こちらも優勝候補。神奈川大会では圧倒的な打力を見せて勝ち上がり、「東の横綱」と評されたチームだった。

初戦から優勝候補同士。大会序盤屈指の好カードになった。

林は6安打に抑えた。それでもスコアは1-6

試合は三回まで0-0。

四回、東海大相模が近江の守備の乱れを足掛かりに先制。五回に1点、六回に3点。

近江は八回、二死満塁から有馬の押し出し四球で1点を返す。

1-6。

数字だけを見れば完敗に見える。

しかし、林が許した安打はわずか6本だった。

東海大相模6-1近江|詳細記録

学校名 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打 三振 四死球 犠打 盗塁 失策 残塁
東海大相模 36 6 3 1 0 0 5 1 0 2 2 4
近江 32 4 1 1 0 0 12 4 0 0 6 8

※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。

村瀬メモ|1-6。でも林は、打ち崩されたわけではなかった

スコアだけ見れば、東海大相模6-1近江。

でも記録をもう一段深く見ると、印象が変わる。

林優樹が許した安打は6本。そして自責点は、わずか1だった。

一方、近江の失策は6。

滋賀大会では無失策だったチームが、この日に限って守備から崩れた。東海大相模は全力疾走と積極的な走塁で、そのわずかな乱れを逃さなかった。

僕は、この試合を「林が打たれて終わった夏」とは記憶したくない。

強打の東海大相模を6安打。自責1。

それでも負ける。

高校野球には、投手が十分に投げても勝てない日がある。

村瀬メモ|1979年は一勝に歓喜し、2019年は初戦敗退に驚いた

この二試合を選んで、僕がいちばん面白いと思うのはここである。

1979年。比叡山が釧路工に勝っただけで、滋賀高校野球の歴史が動いた。

2019年。近江が東海大相模に負けると、「優勝候補が初戦で消えた」というニュースになった。

同じ滋賀代表の初戦なのに、世間が求めているものがまるで違う。

一勝を喜んだ時代から、優勝を期待する時代へ。

「勝ったら驚く」のか、「負けたら驚く」のか。

その逆転こそ、滋賀が全国で積み上げてきた時間なのかもしれない。

まとめ|「勝てるか」から「優勝できるか」へ

1979年の比叡山は、五回まで0-3だった。

そこから六回5点、七回4点、九回3点。12-4。

滋賀県勢が全国で最後に夏の初勝利をつかみ、しかもその一勝から3連勝でベスト8。

2019年の近江は、まるで反対だった。前年8強。林-有馬。優勝候補。

「滋賀が勝てるだろうか」と見られていた時代から、
「滋賀はどこまで勝つだろうか」と見られる時代へ。

その間には40年がある。

初戦を二つ並べただけなのに、県の高校野球史がこんなにはっきり見える。
だから僕は、このシリーズをやめられないのである。

滋賀の甲子園初戦史|よくある質問

Q1.滋賀県勢の夏の甲子園初勝利はいつ?
A.1979年の第61回大会です。比叡山が釧路工を12-4で破りました。滋賀県勢10度目の夏の甲子園出場での初勝利で、47都道府県では全国最後の夏初勝利でした。
Q2.1979年の比叡山は初勝利のあと、どこまで進んだ?
A.相可を4-3、前橋工を6-1で破り、3連勝でベスト8へ進みました。準々決勝で浪商に0-10で敗れました。
Q3.比叡山は1979年の前年に甲子園で完全試合をされた?
A.はい。1978年春のセンバツで、前橋の松本稔が比叡山を相手に1-0で完全試合を達成しました。春夏を通じた甲子園史上初の完全試合でした。
Q4.2019年の近江はなぜ優勝候補だった?
A.前年2018年夏にベスト8へ進んだ林優樹-有馬諒のバッテリーがともに3年生となって残り、林も滋賀大会で好投。全国でも優勝候補の一角として評価されていました。
Q5.近江は東海大相模戦で林が打ち込まれた?
A.スコアは1-6でしたが、林が許した安打は6本で自責点は1でした。近江守備陣が6失策を記録し、東海大相模の積極的な走塁も重なって失点を増やしました。

関連記事

使用した主な情報ソース

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1979年第61回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1979.php
比叡山の1979年大会の勝ち上がりを確認。

日本高等学校野球連盟|選手権大会 大会小史
https://www.jhbf.or.jp/sensyuken/history/
第61回大会で滋賀県勢が10度目の出場で初勝利を挙げたことを確認。

日刊スポーツ|比叡山がつかんだ一番遅い初勝利/滋賀
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201807190000477.html
全国最後の夏初勝利、釧路工戦、OBの回想を参照。

nippon.com|マエタカ野球部の奇跡――甲子園史上初の完全試合
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01043/
1978年春、前橋・松本稔の完全試合を確認。

朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2019年第101回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y2019.php
東海大相模6-1近江の大会記録を確認。

日刊スポーツ|近江・林「やりたくないと言った」東海大相模と初戦
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201908030000871.html
近江が優勝候補と評価されていたこと、前年の金足農戦、抽選時の反応を参照。

スポニチ|近江 左腕・林が自責1の好投も“守乱”6失策で6失点
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/11/kiji/20190811s00001002206000c.html
林が6安打、自責1、近江が6失策を記録したことを確認。

Full-Count|金足農のサヨナラ2ランスクイズ 近江の2年生バッテリーが今明かす真相と心境
https://full-count.jp/2018/08/29/post191247/
2018年準々決勝・金足農戦と林、有馬の回想を参照。

本記事は、公開されている大会記録、報道記事、高野連資料および朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの記録画面を照合し、筆者の記憶と考察を加えて再構成した。試合の評価や歴史的位置づけには筆者独自の解釈を含む。選手名、学校名、記録は当時の表記を基本とした。
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