徳島の高校野球を振り返っていると、ある時代から、どうしても池田の名前が大きく見えてくる。
蔦文也監督。
畠山準。水野雄仁。江上光治。
そして「やまびこ打線」。
だが、その全国制覇がやって来る少し前の徳島には、すでに濃密な夏が流れていた。
1980年。
鳴門は初戦で前橋工と延長12回を戦い、4-3でサヨナラ勝ちした。
ところが、その次に待っていたのが横浜だった。
愛甲猛を擁し、その夏の頂点まで駆け上がる横浜である。
鳴門は八回まで0-0。
最後に奪われたのは、九回のわずか一点だった。
そして翌1981年。
今度は徳島商が、その前年王者・横浜と初戦でぶつかる。
試合は延長13回。
徳島商のマウンドには、まだ2年生の遠野誠明がいた。
一年違いの二つの初戦。
そして、二度現れる横浜。
その向こうには、翌1982年に全国を制する池田の姿まで見えてくる。
勝った初戦は、1980年の鳴門4-3前橋工。六回に3点を先行した鳴門は九回に追いつかれたが、延長12回裏にサヨナラ勝ち。次戦では愛甲猛を擁する横浜を八回まで0-0に封じ、優勝校に0-1で敗れた。
負けた初戦は、1981年の徳島商1-3横浜。2年生の遠野誠明が前年の全国王者を相手に13回を投げ抜いた。徳島商は八回に追いつき、九回にはサヨナラ寸前まで迫ったが、延長13回に2点を失った。遠野が3年となった翌1982年、徳島大会決勝で立ちはだかったのが畠山準の池田だった。
徳島代表の「勝った初戦」|1980年・鳴門4-3前橋工
それでも鳴門は折れず、延長12回裏に決着をつけた。その先で待っていたのは、愛甲猛の横浜だった。
鳴門対前橋工|延長12回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 計 | 安打 |
| 前橋工 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 |
| 鳴門 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 4 | 10 |
|
投手
前橋工:小川 → 番場 |
本塁打
前橋工:なし |
五回まで、ほとんど何も起きなかった
1980年8月13日、第62回大会の2回戦。
鳴門にとって、この夏最初の甲子園だった。
相手は前橋工。
鳴門のマウンドには島田茂。
前橋工は小川から番場へつなぐ投手陣を持っていた。
五回まで両軍無得点。
表だけを眺めれば、0が並んでいる。
けれど、この静かな時間が長かったからこそ、六回の3点が大きく見えた。
六回、鳴門が一気に3点
六回裏、鳴門打線がつながった。
安打と四球で走者をため、島田、秦らの連打で3点。
3-0。
そこから八回まで、島田は前橋工を封じた。
九回を迎えた時点で、あとアウト三つ。
僕ならもう、この試合は鳴門のものだと思っていたはずだ。
九回表、3-0が消えた
だが、高校野球は最後の三つのアウトが遠い。
前橋工は九回、一死から安打を重ねた。
そして連続二塁打。
3-3。
八回まで2安打に抑えられていた打線が、最後の土壇場で追いついた。
普通なら、追いつかれた側の気持ちが切れても不思議ではない。
けれど、鳴門はそこからもう三イニング、前橋工に得点を許さなかった。
十二回裏、最後は一つの送球
延長12回裏。
鳴門は一死から福永が出塁し、送りバントで二死二塁。
打球は三塁へ。
前橋工の送球が乱れ、その間に二塁走者が本塁へ還った。
4x-3。
延長12回、最後はこの試合両軍を通じて唯一の失策が決着につながった。
鳴門4-3前橋工|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 前橋工 | 42 | 7 | 3 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 1 | 1 | 1 | 4 |
| 鳴門 | 42 | 10 | 3 | 1 | 0 | 0 | 14 | 3 | 1 | 5 | 0 | 7 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。
僕にとって1980年の鳴門は、前橋工に勝ったチームであると同時に、「あの横浜を最後まで苦しめたチーム」でもある。
3回戦。横浜のエースは愛甲猛。鳴門は島田茂。八回を終えて0-0だった。九回表、横浜がようやく一点を奪い、その一点が決勝点になった。
横浜はそのまま箕島、天理、そして決勝で早稲田実を破って全国優勝する。
だから僕は、鳴門の4-3を見ると、その次の0-1まで一緒に思い出す。
初戦の勝利は、そこで完結しているわけではない。その先でどんな相手と、どんな野球をしたのかまで含めて、一つの夏なのだと思う。
島田と秦、鳴門のバッテリー
この年の鳴門には、島田茂と秦真司のバッテリーがいた。
島田はその後、法政大、日産自動車を経てプロへ。
秦も法政大へ進み、のちにプロで長くプレーする。
高校時代の二人が残した1980年夏は、派手な大量得点ではない。
延長12回の4-3と、優勝校に対する0-1。
むしろ、その数字の細さが、このチームの粘りをよく表しているように思う。
徳島代表の「負けた初戦」|1981年・徳島商1-3横浜
徳島商は2年生の遠野誠明が13回を投げ、八回に同点。九回にはサヨナラ勝ち寸前まで迫った。それでも最後の2点が、遠かった。
横浜対徳島商|延長13回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 計 | 安打 |
| 横浜 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 12 |
| 徳島商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 |
|
投手
横浜:長尾 |
本塁打
横浜:なし |
前年の王者が、また徳島の前にいた
1981年8月。
徳島商の初戦の相手は横浜だった。
前年1980年、愛甲猛を擁して夏の全国制覇を果たした横浜。
そして、その前年の3回戦で横浜に0-1で敗れたのが鳴門だった。
徳島の側から見れば、また横浜か、である。
しかも徳島商は1978年夏にも横浜と対戦していた。
1978年。
1980年。
1981年。
わずか四大会の間に、徳島勢と横浜が三度も甲子園で顔を合わせたことになる。
遠野、13回を投げる
徳島商のマウンドに立ったのは遠野誠明。
まだ2年生だった。
横浜は三回に1点を先制した。
だが、その後は遠野が追加点を許さない。
四回。五回。六回。七回。
徳島商は1点を追い続けた。
そして八回。
ついに1-1。
九回裏、あと数十センチだったかもしれない
そして九回裏。
徳島商は二死一、二塁から中前へ安打を放った。
二塁走者が本塁を狙う。
横浜の中堅手から返球。
アウト。
サヨナラにはならなかった。
高校野球には、ときどき試合全体が一つの送球に集約されてしまう瞬間がある。
徳島商にとっては、あの返球だったのかもしれない。
十三回、前年王者がようやく勝ち越した
十回。十一回。十二回。
両校無得点。
十三回表、横浜が走者をためた。
押し出し四球などで2点。
3-1。
遠野は13回を投げ抜いたが、徳島商の夏はそこで終わった。
横浜3-1徳島商|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 横浜 | 46 | 12 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 5 | 4 | 0 | 1 | 13 |
| 徳島商 | 43 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 4 | 0 | 3 | 9 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。
1981年夏、甲子園で横浜と13回を戦った遠野誠明は、まだ2年生だった。
そして、その同学年に池田の畠山準がいた。
翌1982年、徳島商は夏の県大会決勝まで戻ってくる。相手は池田。畠山は「県内ナンバーワン投手」と評され、甲子園を目指して最後の夏を迎えていた。
決勝は池田6-3徳島商。池田はそのまま甲子園へ進み、「やまびこ打線」で全国優勝を果たす。
遠野が前年王者・横浜を13回まで苦しめた翌年、その遠野の前に立ちはだかった畠山が全国の頂点へ行く。
僕には、この二人の時間もまた、徳島高校野球の濃さを物語っているように思える。
徳島商と池田、主役が入れ替わる直前
1981年の徳島大会を制したのは徳島商だった。
そして1982年、決勝で徳島商を破った池田が甲子園へ行く。
その池田は、広島商との決勝を12-2で制し、初の全国優勝。
さらに翌1983年春も全国制覇。
つまり1981年の徳島商-横浜は、池田の黄金時代が始まる、そのほんの一年前だった。
歴史をあとから眺めると、初戦の一試合の後ろに、次の時代の影がもう映り込んでいることがある。
番外編|徳島勢の前に、何度も横浜が現れた
この時期の徳島勢を調べていて、僕は少し笑ってしまった。横浜と、本当によく当たっているのである。
1978年は徳島商。1980年は鳴門。そして1981年は再び徳島商。わずか四大会の間に三度、徳島代表の前に横浜が現れた。
しかも1980年の横浜は愛甲猛を擁して全国優勝。翌1981年は、その前年王者として徳島商と対戦した。
同じ県同士でもないのに、甲子園で何度も巡り合う。こういう偶然も、長く大会を見ていると一つの「縁」に見えてくる。徳島の1980年前後を振り返るとき、僕には横浜のユニホームまで一緒に浮かんでくるのである。
まとめ|延長12回と13回、その向こうに池田の夏があった
1980年、鳴門は前橋工と延長12回を戦った。
九回に3点差を追いつかれ、それでも最後に勝った。
次戦では、その年の全国王者になる横浜と八回まで0-0。
翌1981年、徳島商はその横浜と初戦で出会った。
2年生の遠野が13回を投げ、九回にはサヨナラ寸前まで迫った。
そしてその翌年、遠野の徳島商を県決勝で破った畠山の池田が、全国を制した。
1980。1981。1982。
たった三年なのに、ずいぶん多くの物語が詰まっている。
延長12回でつかんだ一勝。
延長13回で届かなかった一勝。
そして、そのすぐ先に始まる池田の黄金時代。
甲子園の初戦だけを辿っていても、県の高校野球史は次の時代へつながっていく。
僕がこのシリーズで面白いと思うのは、まさにそこなのだ。
徳島の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1980年第62回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1980.php
鳴門4-3前橋工、横浜1-0鳴門、横浜が同大会で全国優勝した大会経過の確認に使用。
やっぱり甲子園|第62回全国高等学校野球選手権大会(1980年)
https://hsbb.jp/senshuken/y1980/
鳴門対前橋工の延長12回イニングスコア、鳴門対横浜の0-1など、大会記録の照合に使用。
Naoto’s Gallery|1980年選手権2回戦 鳴門4-3前橋工
https://ameblo.jp/naoto718/entry-11218601521.html
六回の鳴門3得点、九回の前橋工の同点劇、延長12回裏の決着など試合経過を補助的に確認。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1981年第63回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1981.php
横浜3-1徳島商の延長13回イニングスコア、大会経過の確認に使用。
高校野球資料館|1981年夏・横浜高校
https://www5c.biglobe.ne.jp/~mori95/khb/kh1981.htm
九回裏の徳島商のサヨナラ機を横浜の中堅手の返球で阻止した場面、延長13回の決勝点の経過、遠野誠明の投球などを参照。
徳島新聞デジタル|徳島の高校野球特集・過去大会一覧
https://www.topics.or.jp/feature/baseball
1980年の鳴門、1981年の徳島商、1982年の池田など徳島県勢の大会記録と、1982年徳島大会決勝・池田6-3徳島商を確認。
徳島新聞デジタル|強敵に挑んだ夏<2> 池田編㊥ 徳島商(1982・83年)
https://www.topics.or.jp/articles/-/63675
1982年夏、徳島商の前に池田が立ちはだかった背景、畠山準が県内ナンバーワン投手と評されていた当時の状況を参照。
日刊スポーツ|甲子園に20年かかった/畠山準4
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201802280000426.html
1982年徳島大会決勝の池田6-3徳島商と、畠山準の回想を参照。
高校野球資料館|1980年夏
https://www5c.biglobe.ne.jp/~mori95/khb/kh1980.htm
1980年の横浜-鳴門戦、島田茂・秦真司ら当時の鳴門の主力選手、横浜の優勝までの経過を補助的に確認。
