長崎の高校野球を思い出していると、ときどき野球以外の音まで聞こえてくる。
坂の町。港。そして昭和歌謡。
今回は、そんな長崎らしい二つの学校を選ぶことになった。
1976年の海星。そして1997年の長崎南山。
海星には、酒井圭一がいた。怪物「サッシー」。
長崎大会では先頭打者から16人連続三振という、今聞いても冗談のような記録をつくり、甲子園へ乗り込んできた。
僕らの世代には、この名前だけで少年時代が少し戻ってくる。
サッシー。当時流行していたネス湖の怪物「ネッシー」になぞらえた愛称だった。
長崎南山の1997年は、また違う意味で忘れにくい。
39年ぶりの夏。豊田大谷との初戦は延長12回。
豊田大谷18安打。長崎南山17安打。両校合わせて35安打。
しかも、後にプロへ進む2年生・古木克明が2本塁打。
海星は延長10回で勝った。南山は延長12回で負けた。
どちらも、普通には終わらなかった。
長崎の初戦を二つ選ぶなら、僕はこの二試合を並べたい。
勝った初戦は1976年の海星2x-1徳島商。長崎大会で16者連続奪三振を記録した怪物右腕「サッシー」酒井圭一が完投し、8回に追いついた海星が延長10回サヨナラ勝ち。その後は福井を8-0、同年センバツ王者・崇徳を1-0、東北を4-2で破り、長崎県勢24年ぶりの夏ベスト4へ進んだ。
負けた初戦は1997年の長崎南山4-6豊田大谷。39年ぶり2度目の夏出場だった南山は、4回に3点を奪って逆転。9回に一度は豊田大谷にひっくり返されたが、その裏に追いついて延長へ。12回、2年生・古木克明のこの日2本目の本塁打などで2点を失い敗れた。長崎南山17安打、豊田大谷18安打という大激戦だった。
長崎代表の「勝った初戦」|1976年・海星2x-1徳島商(延長10回)
それでも海星は八回に追いつき、延長10回にサヨナラ。「怪物サッシー」の甲子園は、いきなり簡単には終わらない試合から始まった。
海星対徳島商|延長10回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 計 | 安打 |
| 徳島商 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
| 海星 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1x | 2 | 8 |
|
投手
徳島商:山本 |
本塁打
徳島商:なし |
長崎大会、先頭打者から16人連続三振
1976年夏、海星には全国の高校野球ファンが名前を覚える投手がいた。
酒井圭一。愛称は「サッシー」。
当時、ネス湖の未確認生物「ネッシー」が大ブーム。それになぞらえて、長崎に現れた怪物投手は「サッシー」と呼ばれた。
何しろ県大会で、試合開始から16人連続三振。
ノーヒットノーランもやった。
長崎大会5試合37イニングを投げ、無失点。許した安打はわずか4本だったという。
数字だけ見ても、怪物だった。
僕が子供の頃に読んだ本には、サッシーは投球フォームで左足を高く上げた姿勢のまま、右足一本でとんでもなく長い時間立っていられた――そんな話まで書かれていた記憶がある。
何分だったか、何十分だったか、今となっては記憶が怪しい(笑)。
でも少年の僕には、「プロになる投手って、身体のつくりから普通の人と違うんだ」と本気で思わせるには十分だった。
でも甲子園初戦は、0-1のまま七回まで
そんなサッシーを擁していても、甲子園は簡単ではなかった。
相手は古豪・徳島商。
三回、徳島商が1点を先制。海星は七回までゼロ。
酒井がどれだけ抑えても、味方が点を取らなければ勝てない。
後年、酒井自身も1976年のチームについて、「打線が打てなくて、1点取られたら負けると思って投げていた」という趣旨の回想を残している。
八回に追いつき、十回サヨナラ
八回裏、海星がようやく1点を奪う。1-1。
九回は両校無得点。
延長10回。酒井が徳島商をゼロに抑え、その裏、海星が1点。
2x-1。
サッシーの甲子園は、サヨナラ勝ちから始まった。
海星2x-1徳島商|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 徳島商 | 32 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 3 | 0 | 3 | 1 | 4 |
| 海星 | 33 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 3 | 3 | 0 | 1 | 8 |
1976年のサッシーは、ただの好投手ではなかった。
今風に言えば、完全な社会現象だったと思う。
長崎大会で16人連続三振。甲子園へ行けば、2回戦の福井を完封。3回戦では、その春のセンバツ王者・崇徳を1-0で完封。準々決勝は東北を4-2。
準決勝はPL学園。九回に海星が追いつき、延長11回まで行った。最後は2-3。
それでも長崎県勢24年ぶりの夏ベスト4だった。
海星ナインが長崎へ帰った時、駅には約2000人が詰めかけたという。
僕らの今の感覚なら、SNSのトレンドが毎日サッシー一色になるようなものだろう。
当時の長崎県民にとって、全国の強豪を次々と倒していく地元の高校生は、それくらい大きな存在だったのだと思う。
そして少年だった僕は、「片足一本で投球フォームのまま、いつまでも立っていられる」なんていう逸話まで本で読み、ますます怪物だと思った(笑)。
真偽や時間の数字は、もう記憶の霧の向こうである。
でも、そんな伝説めいた話まで子どもの耳に届く。
それが「サッシーブーム」だった。
センバツ王者・崇徳を1-0。サッシーは5試合を投げ抜いた
初戦を突破した海星は、2回戦で福井を8-0。
3回戦は、春のセンバツを制した崇徳。海星は1-0。また酒井が完封した。
準々決勝は東北に4-2。
準決勝はPL学園に延長11回、2-3。
酒井は甲子園5試合をすべて投げ、40三振。
この年のドラフトで、ヤクルトから1位指名を受ける。
サッシーという呼び名は、一夏だけの流行語ではなかった。
長崎代表の「負けた初戦」|1997年・長崎南山4-6豊田大谷(延長12回)
17安打を放ち、9回裏には追いついた。それでも延長12回、2年生・古木克明のこの日2本目の本塁打に泣いた。両校計35安打の死闘だった。
豊田大谷対長崎南山|延長12回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 計 | 安打 |
| 豊田大谷 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 6 | 18 |
| 長崎南山 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 17 |
|
投手
豊田大谷:村松 |
本塁打
豊田大谷:大井、古木2 |
39年ぶりの夏。今度こそ、夏の甲子園で一勝を
1997年、長崎南山は39年ぶり2度目の夏の甲子園へ戻ってきた。
前回は1958年。翌1959年春にはセンバツでベスト4まで進んでいる。
でも夏の選手権では、まだ勝利がなかった。
四回、南山が3点。八回まで13安打
初回、豊田大谷が1点を先制する。
長崎南山は四回に一挙3点。3-1。
その後も南山は打った。八回までに13安打。
ところが得点は3点。
走者は出る。でも、もう一本が出ない。
九回、古木。南山はその裏に追いついた
九回表。豊田大谷は2点を追う。
無死一塁。2年生の古木克明が右へ本塁打。3-3。
さらに1点が入り、4-3。
南山は、あとアウト三つで勝利というところから逆転された。
でも九回裏。長崎南山が1点。4-4。
39年ぶりの夏は、まだ終わらなかった。
延長12回。古木、もう一発
十回、十一回。両校ゼロ。
そして十二回表。一死二塁。また古木だった。
今度は左へ。この日2本目の本塁打。
6-4。
2本目は、狙い打ったような見事な一発だったと大会アーカイブにも残っている。
長崎南山は十二回裏、得点できなかった。
17安打。4得点。残塁12。
打った。粘った。九回にも追いついた。
それでも、夏の初勝利には届かなかった。
豊田大谷6-4長崎南山|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 豊田大谷 | 48 | 18 | 6 | 1 | 0 | 3 | 3 | 7 | 4 | 1 | 1 | 17 |
| 長崎南山 | 48 | 17 | 4 | 1 | 3 | 1 | 4 | 1 | 3 | 0 | 2 | 12 |
長崎南山と聞いて、昭和世代の僕が野球とは別に思い出す名前がある。
前川清。
「長崎は今日も雨だった」の、あの前川清である。
前川は長崎南山高校に進学し、野球部で投手をしていた。
ただし卒業はしていない。2年で中退している。
だから、記事タイトルで「前川清の母校」と大きく打ち出すのは、僕もちょっと違う気がする。
でも縁が薄いわけではない。
2022年、長崎南山の創立70周年の同窓会に前川は招かれ、約20年ぶりに学校を訪ねた。そこで当時の野球部仲間とも再会し、「今の自分があるのも南山高校のおかげ」という趣旨の言葉を残している。
つまり、卒業証書ではなく、青春の時間でつながっている。
投手として白球を追っていた少年が、その後マイクを握り、長崎を代表する歌手になる。
そして1997年、その学校の後輩たちは甲子園で17安打を放ち、延長12回まで戦った。
なんとも長崎らしいではないか。
サッシーがいて、前川清がいる。
野球の県史を書いていたはずなのに、途中から昭和のスター名鑑みたいになってきた(笑)。
でも、こういう寄り道も「村瀬クロニクル」だと思っている。
古木は、まだ2年生だった
豊田大谷の古木克明は、この1997年夏、まだ2年生だった。
九回に同点2ラン。十二回に決勝2ラン。一試合2本塁打。
この名前は、その後も高校野球ファンの前に何度も現れ、やがて横浜へドラフト1位で入団する。
長崎南山にとっては、あまりにも厄介な2年生だった。
ただ、未来のプロ野球選手に二度ひっくり返されても、九回に追いついて十二回まで戦った。
負け試合として選んだが、長崎南山の粘りの方も忘れたくない。
1976年と1997年|長崎の夏は、簡単には終わらない
1976年の海星は、七回まで0-1だった。八回に追いつき、延長10回で勝った。
1997年の長崎南山は、九回表に逆転された。その裏に追いつき、延長12回まで行った。
片方は勝った。片方は負けた。
でも、どちらも最後まで試合から離れなかった。
港町の高校野球には、妙にこういう粘っこい試合が似合う。
僕の勝手な印象かもしれないけれど、長崎の二つの初戦を並べると、そんなことを思う。
1976年の酒井圭一は、甲子園で全国区になり、その秋ヤクルトにドラフト1位で指名された。
1997年の古木克明は、まだ2年生。長崎南山戦で2本塁打を放ち、数年後には横浜のドラフト1位になる。
初戦のスコアを調べていると、そこに「未来のプロ」が普通に混じっている。
その時はまだ高校生。
でも後から見ると、その一打や一球が、次の時代の予告編になっている。
高校野球を古い順に眺める面白さは、そこにもある。
まとめ|長崎の夏には、スターと粘りがよく似合う
1976年。海星。サッシーこと酒井圭一。
初戦は徳島商に延長10回、2x-1。そこからセンバツ王者を倒し、長崎県勢24年ぶりの夏4強。
1997年。長崎南山。39年ぶりの夏。
17安打を放ち、九回に追いつき、延長12回。最後は古木の2本目に泣いた。
勝った試合には、サッシー旋風の始まりがあった。
負けた試合には、南山のしぶとさと、未来のプロ野球選手の一発があった。
そして学校の脇道を歩けば、前川清まで出てくる。
長崎の高校野球史は、どこか人間くさくて、どこか華がある。
僕には、そんな県に見える。
長崎の甲子園初戦史|よくある質問
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使用した主な情報ソース
NPB.jp|「サッシー」現る!先頭打者から16者連続奪三振
https://draft.npb.or.jp/news/detail/20240705_01.html
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1976年第58回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1976.php
スポニチ|海星・宮原、“サッシー以来”の完封
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/08/09/kiji/20220808s00001002729000c.html
NBC長崎放送|甲子園ベスト4!海星高校ナイン帰郷~怪物サッシーフィーバー~
https://yugaku-tv.jp/nbc/videos/3426/
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1997年 豊田大谷vs長崎南山
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1997/400/8204/index.php
NBC長崎放送|39年ぶり2回目の夏の甲子園出場!長崎南山高校ナイン
https://yugaku-tv.jp/nbc/videos/7387/
デイリースポーツ|前川清 20年ぶりに母校訪問&同窓会
https://www.daily.co.jp/gossip/2022/11/27/0015843040.shtml
