甲子園の内野に、長い影が伸び始めていた。
1978年8月10日。
第60回全国高校野球選手権大会の1回戦。
県岐阜商と京都商。
全国大会の歴史を戦前から歩いてきた二つの商業高校が、新しい49代表制の最初の夏に向き合った。
県岐阜商が三回に一点を先制する。
京都商が五回に追いつき、七回に勝ち越した。
1-2。
八回表、県岐阜商は二死まで追い込まれた。
そのとき、一本の安打が出た。
もう一本。
そして三本目、更に四本目。
二死からの4連打で、県岐阜商は2点を奪った。
3-2。
大逆転というには、あまりにも静かだった。
本塁打もなかった。
満塁の走者が一度に還ったわけでもない。
ただ、あと一人で攻撃が終わる場所から、四人の打者が一本ずつ仕事をした。
僕の記憶に残っているのは、数字よりも、あの試合の色である。
柔らかく傾いた陽。
土の上へ長く伸びる選手たちの影。
古豪同士が一点をめぐって、余計な音を立てずに競り合う時間。
それから三十三年後。
2011年8月8日。
春夏を通じて初出場の関商工が、如水館との甲子園初戦に立った。
関商工は一回に一点。
二回にも一点。
如水館も一回と三回に一点ずつを返した。
三回を終えて2-2。
そこから、スコアボードにはゼロが並び続けた。
四回。
五回。
六回。
九回が終わっても決まらない。
十回。十一回。十二回。
初出場の公立校は、広島の強豪と同じ速度で、甲子園の時間を走り続けた。
十三回裏。
守備のほころびと安打で、如水館が無死一、三塁とした。
木村の打球が左翼線へ落ちた。
如水館3x-2関商工。
関商工にとって現在まで一度しかない夏の甲子園は、十三回で終わった。
夕陽の中で四本の安打をつないだ古豪。
一度きりの夏を、十三回まで延ばした初出場校。
岐阜の初戦史は、派手ではない。
だからこそ、僕は何度も振り返りたくなる。
勝った初戦は、1978年の県岐阜商3-2京都商。県岐阜商は三回に先制したが、京都商に逆転されて1-2。八回二死から4連打で2点を奪い、古豪同士の接戦をひっくり返した。1年間の対外試合禁止を越えて戻った県岐阜商は、その後、桐生と横浜をともに3-0で破り、8強へ進んだ。
負けた初戦は、2011年の関商工2-3如水館。創部66年目で春夏通じて初出場を果たした関商工は、三回までに2-2とし、二番手・安江の粘投と堅守で延長13回まで戦った。最後は無死一、三塁からサヨナラ打を許したが、初出場校とは思えない締まった戦いで、関市と岐阜県のファンを沸かせた。
岐阜代表の「勝った初戦」|1978年・県岐阜商3-2京都商
あと一人で攻撃が終わる場所から、県岐阜商は四本の安打をつないだ。49代表制最初の夏に生まれた、古豪同士の静かな逆転劇だった。
県岐阜商対京都商|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 県岐阜商 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 11 |
| 京都商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 9 |
|
投手
県岐阜商:野村 → 大塚 |
本塁打
県岐阜商:なし |
49代表制の最初の夏、古豪二校が出会った
1978年の第60回大会は、高校野球の地図が大きく変わった夏だった。
それまで代表校を出せない年があった府県にも出場枠が与えられ、北海道と東京を二代表として、全国49校が甲子園へ集まった。
現在へ続く一府県一代表を基本とする形が、この年から始まった。
新しい大会方式の中で対戦したのは、県岐阜商と京都商だった。
県岐阜商は、全国制覇の歴史を持つ岐阜の名門。
京都商もまた、後の京都学園、現在の京都先端科学大学附属へつながる、京都高校野球の古豪である。
新しい49代表制の最初の年に、古い甲子園を知る二校がぶつかった。
その取り合わせだけで、僕には昭和の夏の匂いがする。
一年間、試合のできなかった県岐阜商
この年の県岐阜商には、別の意味でも重い時間があった。
部内の不祥事により、野球部は一年間の対外試合禁止を経験していた。
練習はできても、他校とは戦えない。
試合の緊張も、勝敗の感情も、公式戦へ向けてチームが一つになる時間も持てなかった。
このチームで六番・遊撃を務めた岡崎純一は後年、野球ができること自体がうれしかったと振り返っている。
勝つことの前に、試合ができること。
ユニホームを着て、相手校と向かい合い、審判の声で一球目が始まること。
県岐阜商の1978年は、高校野球の日常を取り戻す夏でもあった。
三回に先制、京都商が中盤に逆転
県岐阜商は三回表、京都商の先発・余田を攻めて一点を先制した。
マウンドの野村も、京都商打線を四回まで無得点に抑えた。
しかし五回裏、京都商が同点に追いつく。
1-1。
京都商は投手を、二年生左腕の清川栄治へつないだ。
左のスリークオーターから投げ込む球には切れがあり、県岐阜商打線は簡単には捉えられなかった。
清川は後にプロ野球へ進み、広島などで救援左腕として長く投げることになる。
七回裏、京都商が二点目を奪った。
県岐阜商1-2京都商。
試合が終盤へ入るにつれ、県岐阜商の復帰最初の夏が、一点ずつ遠ざかるように見えた。
八回二死から、四本の安打
八回表。
県岐阜商は二死まで追い込まれた。
あと一人を抑えれば、京都商は一点のリードを持ったまま九回へ進む。
そこで県岐阜商に安打が出た。
二本目が続いた。三本目も続いた。
そして四本目の打球で、逆転の走者が還った。
3-2。
それまで打ちあぐねていた清川から、二死になって突然、四本の安打がつながった。
ベンチが総立ちになる。
一塁側の声が、傾き始めた日の光の中を走っていく。
県岐阜商は野村から大塚へつなぎ、その一点を守った。
一年間、公式戦から遠ざかっていた学校が、あと一人から最初の勝利をつかんだ。
県岐阜商3-2京都商|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 県岐阜商 | 39 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 1 | 0 | 10 |
| 京都商 | 31 | 9 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1 | 2 | 1 | 2 | 5 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。
甲子園の名勝負は、いつも大歓声や劇的な本塁打から生まれるわけではない。八回二死。あと一人で攻撃が終わる場所から、一本、もう一本と打球が続く。四本目で二人が還り、いつの間にかスコアが逆転している。
僕がこの試合に感じるのは、「劇的」という言葉よりも「美しい」という感覚である。古豪同士が余計な音を立てず、傾いた陽の下で、一点をめぐる技術と意地を見せ合った。昭和の甲子園には、こういう夕方があった。記録映像を見返さなくても、土の色と長い影だけが、記憶の底に残っている試合がある。
二試合連続3-0、8強で待っていたPL学園
京都商との接戦を越えた県岐阜商は、二回戦で桐生と対戦した。
桐生は初戦で膳所を18-0で破っていた。
強打の印象を残して勝ち上がってきた相手を、県岐阜商は3-0で抑えた。
三回戦の相手は横浜。
この試合も、3-0。
初戦では11安打を放ちながら3得点。
その後の二試合も、奪ったのは3点ずつだった。
大量点で押し切るチームではない。
投手が試合を壊さず、守り、必要な得点を得る。
県岐阜商は、昭和の商業高校らしい野球で8強へ進んだ。
準々決勝の相手は、その大会で初優勝するPL学園だった。
西田真次と県岐阜商投手陣の投げ合い。
スコアは0-1。
あと一歩で4強には届かなかった。
それでも、試合のできない一年を越えたチームは、全国の8強まで戻ってきた。
岐阜代表の「負けた初戦」|2011年・関商工2-3如水館
関商工は如水館と延長13回を戦った。初出場校の夏は一試合で終わったが、その一試合を九回では終わらせなかった。
如水館対関商工|延長13回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 計 | 安打 |
| 関商工 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 |
| 如水館 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 3 | 11 |
|
投手
関商工:内城 → 安江 |
本塁打
関商工:なし |
創部66年目、関市に初めて届いた甲子園切符
関商工の野球部が創部されたのは、1946年だった。
戦後の高校野球が再び歩き始めた年から、関市の学校も甲子園を目指してきた。
だが、その道は長かった。
岐阜大会の上位へ顔を出す年はあった。
2007年には、春の選抜で準優勝した大垣日大と夏の準決勝で対戦し、2-3で惜敗した。
北川英治監督にとって、この一敗は大きな転機になった。
大垣日大の阪口慶三監督が作る野球を徹底的に分析し、自分たちが強豪を倒すために必要な守備位置、配球、走塁、試合運びを一つずつ見直した。
専用グラウンドにも恵まれていなかった。
集まる選手の多くが、全国的な注目を浴びてきた野球エリートだったわけでもない。
だからこそ北川監督は、情報を集め、細部を詰め、「弱者が勝者に勝つ野球」を組み立てていった。
2011年、創部から数えて66年目。
その積み重ねが、ようやく形になった。
「歴代最弱」と呼ばれた世代が、強豪を倒した
2011年の関商工は、最初から完成されたチームではなかった。
当時の選手たちの回想によれば、北川監督から「歴代最弱」とまで言われた時期があった。
だが、冬を越えて投手力と守備力が伸びた。
一人一人へのノックを重ね、打球に対する最初の一歩を磨いた。
エース内城は試合を作れる投手へ成長し、安江という救援の選択肢もあった。
岐阜大会では、決勝までの六試合のうち三試合が一点差勝利だった。
| 岐阜大会 | 対戦校 | 結果 | 試合の意味 |
| 準々決勝 | 大垣日大 | 6-5 | 優勝候補を撃破 |
| 準決勝 | 郡上 | 2-0 | 内城が完封 |
| 決勝 | 大垣商 | 5-0 | 創部66年目の初優勝 |
準々決勝では、二年連続で選抜へ出場していた大垣日大を6-5で破った。
2007年に一点差で敗れた相手を、四年後に一点差で越えた。
準決勝では郡上を2-0。
決勝では大垣商を5-0。
内城は準決勝から二試合連続で完封した。
関市の長い夢は、前評判の高くなかった世代によってかなえられた。
一回、内城の二塁打で甲子園初得点
2011年8月8日。
甲子園1回戦。
関商工は、初回から如水館へ向かっていった。
二死三塁。
四番でエースの内城が、三塁線を破る二塁打を放った。
三塁走者が還る。
1-0。
関商工が甲子園で記録した最初の得点だった。
その裏、如水館も四番・島崎の適時打で追いついた。
初出場校と甲子園経験を持つ強豪が、最初の一回から同じ位置に立った。
二回にスクイズ、三回に再び同点
二回表、関商工は再び勝ち越した。
一死三塁から、九番・大野がスクイズを決めた。
2-1。
打ち合いを挑むのではなく、三塁に進めた走者を確実に還す。
岐阜大会を勝ち抜いた関商工の野球が、甲子園でも形になった。
三回裏、如水館は二死三塁から、島崎が一塁線を破る二塁打を放った。
2-2。
三回が終わった時点で、両校は二点ずつを持っていた。
その後、どちらの得点も、長い時間動かなくなる。
浜田と安江、二人の救援投手が並べたゼロ
如水館は四回から、浜田をマウンドへ送った。
浜田は変化球を低めへ集めた。
関商工打線は走者を出しても、あと一本を打てない。
関商工も六回から、安江へ継投した。
本来は外野手として先発していた安江が、甲子園のマウンドへ上がった。
安江は粘り強く低めへ投げた。
如水館は再三走者を出したが、関商工の内野陣が難しい打球を処理し、得点を許さない。
浜田は四回から十二回までゼロ。
安江も六回から十二回までゼロ。
如水館の浜田は、救援で10回を投げ、10三振を奪った。
初出場校と強豪校の差があるとすれば、その差はスコアボードには現れなかった。
九回で終わる夏を、自分たちで四回延ばした
九回が終わった。
2-2。
関商工にとって、甲子園で初めて迎える延長戦だった。
いや、甲子園で経験することのすべてが初めてだった。
十回表。
十回裏。
十一回。
十二回。
安江が投げ、内野手が守り、前沢が球を受ける。
アルプスから「関商工」の声が降り続けた。
普通なら九回で終わる高校野球の試合を、関商工は自分たちの守備で四回分も長くした。
一度しかない甲子園の時間を、一球ずつ延ばしていた。
十三回裏、最後に生まれた守備のほころび
十三回裏。
関商工の守備に、最後のほころびが生まれた。
如水館が先頭打者を出し、続く安打で無死一、三塁とした。
打席には木村。
安江の球を捉えた打球が、左翼線へ落ちた。
三塁走者が生還した。
如水館3x-2関商工。
関商工の選手たちは、十三回まで守った場所で動けなくなった。
安江は試合後、長く野球ができてよかったと、目に涙をためながら語った。
初勝利には届かなかった。
それでも関商工は、自分たちの甲子園を、誰よりも簡単には終わらせなかった。
如水館3-2関商工|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 関商工 | 39 | 6 | 2 | 3 | 1 | 0 | 10 | 4 | 5 | 0 | 1 | 7 |
| 如水館 | 37 | 11 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 9 | 5 | 2 | 0 | 12 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選、暴投などによって一致しない場合がある。
関商工の夏の甲子園出場は、2026年現在も一度だけである。だが、その一度を「一試合で終わった夏」と呼びたくはない。初出場校が広島の強豪と十三回を戦い、九回で終わるはずだった夏を、自分たちの投球と守備で四回分も長くした。
甲子園に何度来たかだけで、学校の歴史は決まらない。一度しか来なかった学校が、誰よりも長い初戦を残すこともある。関商工は勝利を持ち帰れなかった。だが、甲子園で簡単には終わらない学校だったという記憶を、関市へ持ち帰った。
関商工との十三回から、如水館の「延長の夏」が始まった
関商工を破った如水館は、次戦で東大阪大柏原と対戦した。
この試合も延長戦となり、十回に如水館が7-4で勝った。
三回戦の能代商戦も決着はつかない。
十二回、木村のサヨナラ打で3-2。
如水館は大会史上初となる、3試合連続延長戦を勝ち抜いて8強へ進んだ。
その最初の延長戦が、関商工との十三回だった。
関商工は、後に8強へ進むチームを、最初の試合で敗戦寸前まで追い込んでいたことになる。
勝者の快進撃の入口には、名前の残りにくい敗者の好試合がある。
如水館の「延長の夏」を始めたのは、初出場の関商工だった。
まとめ|派手ではない。だから、忘れられない
1978年、県岐阜商は京都商に先制した。
中盤に追いつかれ、七回に逆転された。
八回二死。
あと一人から四本の安打をつなぎ、3-2とした。
本塁打はなかった。
大差も、サヨナラもなかった。
それでも、傾いた陽の中で四本の打球が続いた時間は、昭和の甲子園らしい美しさを残した。
2011年、関商工は如水館から二回までに2点を奪った。
三回に追いつかれてから、両校は十二回まで得点できなかった。
初出場の公立校が、延長十三回まで強豪と離れなかった。
最後は守備のほころびから、サヨナラ打を浴びた。
勝った学校は、何度も校歌を歌うことができる。
敗れた学校に残されるのは、一試合分の記録だけである。
だが、一試合の長さは同じではない。
九回で終わる夏がある。
十三回まで続く夏がある。
一本で終わる攻撃がある。
二死から四本まで続く攻撃がある。
岐阜の初戦史には、派手な数字が少ないのかもしれない。
けれども、一つのアウトを取り、一つ先の塁へ進み、一点差の中から試合を離さない。
そうして残った白球には、強い光よりも、長い影が似合う。
1978年、県岐阜商は夕陽の中で四本の安打をつないだ。
2011年、関商工は初めての甲子園で十三回まで守り続けた。
派手ではない。
だから、忘れられない。
夏の日が傾いたあとも、その試合の影だけは、何十年たっても僕らの記憶の中に伸び続けている。
岐阜の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|県岐阜商対京都商
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1978/400/7290/index.php
1978年のイニングスコア、県岐阜商の野村から大塚、京都商の余田から清川への継投など、試合の基本記録確認に使用。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1978年第60回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1978.php
県岐阜商の京都商、桐生、横浜、PL学園戦および大会全体の勝ち上がり確認に使用。
日本高等学校野球連盟|第56回~第60回大会・出場校一覧
https://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/56-60.html
第60回大会の各都道府県代表校と、49代表制の大会構成を確認する資料として使用。
岐阜新聞デジタル|「野球ができることが、とにかくうれしかった」1978年夏県岐阜商・岡崎純一さん
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/376815
一年間の対外試合禁止、京都商戦の八回の逆転、二年生左腕・清川栄治に苦しんだ経緯および岡崎純一の回想を参照。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|如水館対関商工
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2011/400/49890/index.php
延長13回のイニングスコア、両校の継投、浜田の10奪三振無失点、木村のサヨナラ打および試合概評の確認に使用。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2011年第93回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y2011.php
如水館が関商工、東大阪大柏原、能代商との3試合連続延長戦を制し、8強へ進んだ大会経過の確認に使用。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2011年全国高校野球選手権岐阜大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2011/422/index.php
関商工が準々決勝で大垣日大を6-5、準決勝で郡上を2-0、決勝で大垣商を5-0で破った岐阜大会の戦績確認に使用。
関市|広報せき「関商工・甲子園初出場 感動をありがとう」
https://www.city.seki.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/469/02_03.pdf
創部66年目の初出場、専用グラウンドのない環境、岐阜大会六試合中三試合が一点差だったこと、関市全体の応援と甲子園での反響を参照。
関市|2011年の10大ニュース
https://www.city.seki.lg.jp/0000001359.html
関商工の創部66年目の甲子園初出場が、2011年の関市10大ニュース第1位に選ばれたことを確認。
日刊スポーツ|関商工・安江が粘投も惜敗
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/f-bb-tp3-20110808-817415.html
六回から登板した安江の粘投、内野陣の守備、延長13回無死一、三塁でのサヨナラおよび試合後の本人コメントを参照。
日刊スポーツ|関商工、創部66年目で悲願のV
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20110729-812218.html
内城の準決勝、決勝の連続完封、創部66年目で春夏通じて初の甲子園出場を決めた背景確認に使用。
岐阜新聞デジタル|2007年の惜敗が転機 北川英治さん
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/510612
2007年の大垣日大戦を転機として、北川英治監督が阪口野球と試合の細部を分析し、関商工を2011年の初出場へ導いた過程を参照。
岐阜青春フルスイング|2026年・関商工チーム紹介
https://gifu-aofull.jp/team/関商工/
2026年夏に「2度目の甲子園出場」を目標としていたことから、2011年が現在まで唯一の夏出場であることを確認。

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