47都道府県を歩いてきた、この初戦シリーズ。
最後に残ったのが、鳥取だった。
偶然だけれど、いまの鳥取県高校野球を考えると、ラストに来たのが少し象徴的にも思える。
2026年夏。
鳥取城北が岡山学芸館に敗れ、鳥取県勢は夏の甲子園で11大会連続初戦敗退となった。
現在進行形では、全国で最も長い初戦連敗である。
最後に勝ったのは、2014年。
八頭。
県立校。
ベンチ入り18人全員が鳥取県内の中学出身だった。
相手は初出場の角館。
角館の相馬は140キロを超える直球。
八頭の鎌谷は130キロ前後。
速さでは負ける。
でも野球は、それだけではない。
100キロ前後のカーブ。
内外角をつく制球。
11安打を浴びながら、失点は1。
八頭6-1角館。
あの白星から、12年が経った。
でも鳥取は、昔から勝てなかった県ではない。
1978年には、初出場の倉吉北が名門・早稲田実を倒した。
1981年には、鳥取西の田子譲治が東奥義塾を1安打16奪三振で完封した。
その間の1980年。
倉吉北は習志野と延長10回を戦い、1-2xでサヨナラ負け。
ところが、その翌春。
倉吉北はセンバツでベスト4まで駆け上がる。
鳥取は、勝てなかった県ではない。
いま、次の一勝を長く待っている県なのだ。
初戦シリーズの最後は、その「待つ時間」まで含めて書いてみたい。
勝った初戦は2014年の八頭6-1角館。八頭のエース鎌谷は直球130キロ前後ながら100キロ前後のカーブを織り交ぜ、11安打を許しても1失点。打線は3回に追いつき、5回勝ち越し、6回に3点を奪って突き放した。県立八頭はベンチ入り18人全員が鳥取県内中学出身。徳永昌平監督も八頭OBだった。この勝利が2026年現在も鳥取県勢最後の初戦突破で、その後は11大会連続初戦敗退が続いている。
負けた初戦は1980年の倉吉北1-2x習志野。坂本昇と習志野・小林の投手戦となり、5回に習志野が先制、8回に倉吉北が追いつく。延長10回裏に習志野がサヨナラ勝ちした。だが倉吉北は翌1981年春、鳴門商、中京商、高松商を破ってセンバツ4強へ。1980年夏は「弱いチームの惜敗」ではなく、全国4強へ跳ねる直前の一戦だった。
鳥取代表の「勝った初戦」|2014年・八頭6-1角館
それでも勝負を分けたのは球速ではなく投球術だった。鎌谷は11安打を浴びながら1失点完投。打線も中盤以降、着実に点を重ねた。
八頭対角館|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 角館 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 11 |
| 八頭 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 1 | x | 6 | 11 |
|
投手
角館:相馬 → 伊藤 |
本塁打
角館:なし |
全員、鳥取の中学校出身
2014年の八頭を見直して、まず目につくのがベンチ入りメンバーだ。
18人全員が鳥取県内の中学校出身。
船岡。
若桜学園。
智頭。
八東。
鳥取市内の中学校。
まさに県内の少年たちが集まって作った県立校だった。
そして監督の徳永昌平も八頭OB。
日刊スポーツの大会紹介では、2014年の八頭は4年ぶり8度目の夏出場。
当時の日刊評価はCだった。
つまり全国の下馬評から見れば、「優勝候補」というチームではない。
でも、鳥取県の高校野球を知る人にとっては、いかにも鳥取らしい代表だったのだと思う。
徳永監督は、先生ではなかった
この徳永監督の経歴も、かなり味がある。
学校の教員ではない。
地元のスポーツ用品店で働くサラリーマン監督だった。
朝から学校や役所を営業で回り、その後ユニホームへ着替えて野球部を指導する。
八頭の監督歴は、ブランクを挟みながら延べ30年ほど。
八頭卒業後には駒大へ進んだが、家族の事情で一カ月にも満たないうちに帰郷。
現役を離れ、地元で働きながら母校を教える人生になった。
甲子園の監督というと、全国から選手を集め、野球一本で生きる名将像を想像しがちだ。
でも鳥取には、仕事を終えてから母校のグラウンドへ立つ監督がいた。
それもまた高校野球である。
140キロ対130キロ。勝ったのは130キロだった
角館の先発・相馬は140キロを超える直球を持っていた。
対する八頭の鎌谷は130キロ前後。
数字だけなら相馬の方が派手だ。
でも大会アーカイブの評は明快だった。
「投球術の差が明暗を分けた」
鎌谷は100キロ前後のカーブを混ぜる。
内へ。
外へ。
速い球と遅い球を行き来する。
角館は11安打を放った。
八頭も11安打。
安打数は同じ。
でも得点は6-1。
鎌谷は走者を背負っても、要所を締めた。
3回、5回、6回。少しずつ試合を八頭の形へ
初回は角館が1点。
八頭は3回に追いつく。
5回に勝ち越す。
そして6回。
3点。
相馬の直球が高めに浮いたところを連打でつかまえた。
8回にも1点。
八頭6-1角館。
派手な一発はない。
本塁打もない。
でも二塁打4本、犠打4、11安打。
一つずつ塁を進め、鎌谷が守る。
いかにも県立校らしい勝ち方だった。
八頭6-1角館|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 角館 | 35 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 1 | 2 | 1 | 10 |
| 八頭 | 29 | 11 | 6 | 4 | 0 | 0 | 2 | 4 | 4 | 0 | 1 | 7 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。
2014年8月16日。
八頭が6-1で勝った。
その日の鳥取県民が、
「これから12年間、県勢は初戦を勝てない」
と知っていたはずがない。
勝利というのは、その瞬間にはただ一つの勝利である。
「最後の一勝」になるのは、ずっと後になってからだ。
2015年。負ける。
2016年。負ける。
2017年。負ける。
気づけば2026年。
11大会連続初戦敗退。
そうなって初めて、八頭の6-1が特別な場所へ移っていく。
記録は、後から意味が変わる。
この初戦シリーズを続けてきて、何度も感じたことだ。
次戦は大阪桐蔭。その大阪桐蔭が優勝した
八頭の次の相手は大阪桐蔭。
3回までは0-0。
鎌谷は内外角を丁寧についた。
しかし4回、3連打から満塁。
四死球も絡み、一挙5点。
最終的には0-10。
八頭の夏は終わった。
その大阪桐蔭は、最後まで勝った。
決勝で三重を4-3で破り、全国優勝。
鳥取県勢の現在最後の白星を挙げたチームは、その次の試合で全国王者に敗れていた。
これもまた、少しだけ鳥取の「引きの悪さ」を感じさせる話ではある。
鳥取代表の「負けた初戦」|1980年・倉吉北1-2x習志野(延長10回)
5回に習志野が先制し、倉吉北は8回に追いつく。延長10回裏、習志野がサヨナラ勝ち。しかし倉吉北は、この敗戦の翌春にセンバツ4強へ駆け上がった。
習志野対倉吉北|延長10回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 計 | 安打 |
| 倉吉北 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 9 |
| 習志野 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 2 | 9 |
|
投手
倉吉北:坂本 |
本塁打
倉吉北:なし |
倉吉北は、もう「新鋭」ではなくなり始めていた
倉吉北が初めて夏の甲子園へ来たのは1978年。
初出場。
そして初戦で早稲田実を破った。
伝統校を相手に、いきなり勝つ。
次戦では、その年準優勝する高知商と打ち合った。
翌1979年春はセンバツ8強。
そして1980年春も甲子園へ。
夏も戻ってきた。
たった数年で、倉吉北は「鳥取から出てきた新しい学校」ではなく、全国が少し警戒する存在になっていた。
9安打対9安打。それでも一点が遠い
習志野戦は、数字だけ見ると完全な互角だった。
倉吉北9安打。
習志野9安打。
失策は両校ゼロ。
5回、習志野が1点。
倉吉北は8回に1点を返す。
1-1。
9回で決着せず、延長へ。
10回表、倉吉北は無得点。
その裏、習志野が1点。
2x-1。
倉吉北の夏は終わった。
でも、この敗戦を「勢いが止まった」と読むと、その後を見誤る。
習志野2x-1倉吉北|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 倉吉北 | 32 | 9 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 2 | 2 | 1 | 0 | 5 |
| 習志野 | 33 | 9 | 2 | 1 | 0 | 0 | 4 | 6 | 2 | 3 | 0 | 11 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。
1980年夏。
習志野に延長10回、1-2x。
あと一本。あと一点。
これだけ見れば、「惜しかった夏」で終わる。
でも翌1981年春。
倉吉北はセンバツへ戻ってくる。
鳴門商を破る。
中京商を破る。
高松商を破る。
ベスト4。
準決勝の相手はPL学園。
つまり1980年夏の倉吉北は、衰え始めたチームではない。
全国4強へ跳ねる、その直前にいた。
高校野球の負け試合は、未来を知ってから見直すと意味が変わる。
このシリーズで「負けた初戦」を一試合ずつ残してきた理由も、たぶんそこにある。
番外編|鳥取には、こんな夏もあった
1978年・倉吉北|初出場で早稲田実を倒した
倉吉北の名前が全国へ飛び出したのは1978年だった。
夏の甲子園、初出場。
初戦の相手は早稲田実。
言うまでもなく、甲子園の歴史そのもののような名門である。
その早実を、初出場の倉吉北が破った。
鳥取から突然出てきた新鋭。
しかも翌春には8強。
1981年春には4強。
短い期間に、甲子園の常連校のような存在感を持つまでになった。
当時の鳥取は、「全国で勝つ学校」がちゃんとあった。
1981年・鳥取西|田子譲治、1安打16奪三振
さらに1981年夏。
古豪・鳥取西には田子譲治がいた。
東奥義塾との初戦。
初回、先頭打者に内野安打を許す。
その後、ほとんど何もさせない。
1安打、16奪三振、完封。
鳥取西の学校資料にも、この快投は今も残されている。
田子はその後、ロッテにドラフト2位で指名され、巨人でもプレーした。
「鳥取代表」という言葉に、投手力の怖さがあった時代も確かにあった。
いま11連敗している。
だからといって、鳥取の甲子園史全部を「勝てない県」でまとめてしまうのは違う。
倉吉北が早実を倒した。
翌春は8強。
その後は4強。
鳥取西には田子がいて、1安打16三振で完封した。
米子東もいる。
境もいる。
強かった時代がある。
勝てる投手がいた。
全国で怖がられる学校があった。
今の連敗が長いからこそ、そこは忘れたくない。
歴史というのは、直近10年だけで出来ているわけではないからだ。
2014年から2026年|なぜ鳥取の「最後の一勝」は遠くなったのか
2026年。
鳥取城北は岡山学芸館に敗れた。
3回、一時は3-2と逆転した。
鳥取県勢にとって夏の甲子園では5大会ぶりの得点だった。
でも6回、再逆転を許す。
最終的に3-7。
これで11大会連続初戦敗退。
この期間、毎年弱いチームばかりが出たわけではない。
むしろ対戦相手に恵まれなかった年もある。
強豪と初戦で当たる。
競った試合を落とす。
一度連敗が長くなると、次の代表は自分たちの試合だけでなく、過去の数字まで背負うことになる。
これは山形編でも、富山編でも見てきた。
県の連敗は、今の高校生が作ったものではない。
でも、止める時には今の高校生が止めるしかない。
残酷だけれど、それがトーナメントの歴史である。
2014年の八頭6-1角館。
今は特別な試合である。
鳥取県勢、現在最後の初戦勝利。
でも次に鳥取代表が勝った瞬間、この試合は「最後の一勝」ではなくなる。
2014年に八頭の選手たちがやったように、
ただ目の前の相手に勝った一試合へ戻る。
それでいいのだと思う。
記録は止めるためにある。
連敗も、いつか終わる。
そして終わった時、今度は新しいクロニクルが始まる。
鳥取が次に一勝する夏を、僕は少し見たくなってきた。
まとめ|勝てなかった県ではない。次の一勝を待っている県だ
2014年。
八頭6-1角館。
鎌谷の投球術。
県内出身18人。
徳永監督と地元の県立校。
それが今も最後の一勝になっている。
1980年。
倉吉北1-2x習志野。
延長10回。
でも翌春、その倉吉北は全国4強。
さらに1978年の早実撃破。
1981年の田子、1安打16奪三振。
鳥取には、全国で勝っていた記憶がある。
だから最後の記事を、
「鳥取は勝てない」
で閉じたくない。
勝てなかった県ではない。
いま、次の一勝を待っている県だ。
47都道府県を歩いた初戦クロニクル。
最後の最後に残った鳥取から、もう一度甲子園の話は始まる。
次の一勝が来た時、この記事にも新しい一行を書き足したい。
鳥取の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2014年 八頭vs角館
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2014/400/116607/index.php
八頭6-1角館のイニングスコア、鎌谷の9回11安打1失点、角館・相馬との投球内容比較、打者成績を確認。
日刊スポーツ|2014年夏 出場校紹介・八頭
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/sensyuken/2014/school/school-tottori.html
八頭が県立校で4年ぶり8度目出場、徳永昌平監督、部員数など基本情報を確認。
高校野球百科|八頭2014年ベンチ入りメンバーの出身中学
https://www.koshien.tokyo/article/403825019.html
2014年八頭のベンチ入り18人全員が鳥取県内中学出身だったこと、徳永監督が八頭OBであることを参照。
日刊ゲンダイ|八頭・徳永昌平監督「二足のわらじ」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/152714
徳永監督がスポーツ用品店勤務のサラリーマン監督で、営業と野球指導を両立しながら延べ約30年母校を率いたことを参照。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2014年 大阪桐蔭vs八頭
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2014/400/116772/index.php
八頭が3回戦で大阪桐蔭に0-10で敗れたこと、3回まで鎌谷が無失点だったことを確認。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2014年第96回大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y2014.php
大阪桐蔭が2014年夏の全国優勝校であることを確認。
高校野球ドットコム|2026年 鳥取県勢11連敗
https://www.hb-nippon.com/articles/16042
2026年、鳥取城北が岡山学芸館に敗れ、2014年八頭以来の初戦突破を逃して鳥取県勢が夏11大会連続初戦敗退となったことを確認。
やっぱり甲子園|1980年第62回大会
https://hsbb.jp/senshuken/y1980/
習志野2-1倉吉北、延長10回のイニングスコアを確認。
甲子園台帳|倉吉北の甲子園出場記録
https://www.kokoshinro.com/school.php?name=%E5%80%89%E5%90%89%E5%8C%97
1978年夏の初出場、1980年のメンバー、1981年春のセンバツ4強などを確認。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1981年センバツ
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/spring/y1981.php
倉吉北が鳴門商、中京商、高松商を破ってベスト4へ進み、準決勝でPL学園に敗れたことを確認。
やっぱり甲子園|1978年第60回大会
https://hsbb.jp/senshuken/y1978/
倉吉北が初出場の夏に早稲田実を破ったことを確認。
鳥取県立鳥取西高等学校デジタルコレクション|1981年夏
https://torinishi.jp/?p=634
田子譲治が東奥義塾戦で16奪三振の快投、鳥取西が勝利したこと、田子がその後ロッテからドラフト2位指名されたことを確認。
Number Web|甲子園で勝てない鳥取勢…なぜ?
https://number.bunshun.jp/articles/-/854236?page=3
1980年代の鳥取が全国レベルに近づいていた背景、倉吉北の1981年春4強、田子譲治ら高卒プロ入り選手の存在を参照。
