長野の高校野球には、少し不思議なところがある。
松商学園という全国屈指の古豪がいる。上田西もいる。
私学の強豪が県の中心にいる一方で、ときどき、「え、この学校が甲子園へ来たのか」という県立校が、突然夏の主役になる。
1988年の上田東。2006年の松代。
どちらも県立。どちらも甲子園ではほとんど名前を見ない学校だった。
でも、その一度の夏がすごかった。
松代は初出場で倉吉北に延長11回サヨナラ勝ち。
上田東は、のちにその大会を制する広島商を延長10回まで追い詰めた。
一方で、長野にはもう一つ忘れがたい物語がある。
松商学園。
1975年から1980年まで、6年連続で夏の甲子園へ出場。
ところが初戦の相手が、東海大相模、PL学園、福井商、天理、池田、高知商。
全部、強い。
そして6年連続初戦敗退。
名門が勝てない。
その一方で、突然やって来た公立校が、とんでもない試合をする。
長野という県の甲子園は、どうも予定調和にならない。
だから面白い。
勝った初戦は2006年の松代7x-6倉吉北。初出場の県立松代は4回と7回に3点ずつ奪われながら追いつき、延長11回一死二、三塁から福井大樹の左犠飛でサヨナラ勝ち。学校創立100周年の年、地元出身選手で固めた公立校が甲子園初勝利を挙げた。県大会では7試合中4試合が逆転勝ち、犠打30という粘りのチームだった。
負けた初戦は1988年の上田東3-4x広島商。上田東は7回に2-1と逆転し、9回にも3-2と勝ち越したが、広島商が二度追いつき、延長10回サヨナラ。広島商はその後、日大一、津久見、浦和市立、福岡第一を破って全国優勝。上田東は、王者を唯一延長戦まで追い込んだ。
長野代表の「勝った初戦」|2006年・松代7x-6倉吉北(延長11回)
4回に3点、7回にも3点を奪われた。それでも追いつき、延長11回。最後は4番・福井の犠飛。甲子園最初の一勝が、いきなりサヨナラ勝ちだった。
松代対倉吉北|延長11回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 計 | 安打 |
| 倉吉北 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 15 |
| 松代 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1x | 7 | 12 |
|
投手
倉吉北:森本 → 篠塚 |
本塁打
倉吉北:本川 |
学校創立100周年の年、初めて甲子園へ
2006年。県立松代高校は、学校創立100周年の年に初めて甲子園へ来た。
しかも、地元出身の選手で固めたチームだった。
県大会7試合のうち4試合が逆転勝ち。そして県大会で決めた犠打は30。
派手なスラッガーが何人も並ぶわけではない。送る。走る。一点ずつ取る。そして、負けそうになっても終わらない。
まさに地方の公立校らしいチームだった。
丸井多賀彦監督もまた、「地元の高校野球」の人だった
この松代を率いたのが、丸井多賀彦監督だった。
2006年当時の地元関係者の記録を読むと、丸井監督は長野県出身で、自身も高校球児。
松代へ来る前には、長野商で部長としてセンバツ出場を経験していたという。
つまり、全国から選手を集めて短期間で強豪を作った指導者ではない。
信州の高校野球の中を歩いてきた人が、近隣の中学校から集まった普通の高校生たちを率いて、県の頂点まで上がった。
この感じが、いかにも松代らしい。
長野大会決勝の相手は佐久長聖。
今なら「強豪私学対県立校」というだけで、こちら側に少し肩入れしたくなる高校野球ファンもいるだろう。
松代は、その佐久長聖に12-10。
派手な点の取り合いを制して、初めて甲子園切符をつかんだ。
学校創立100周年。
野球部創部55周年。
節目の夏に、学校の歴史まで一緒に動いた。
2年生のサイド右腕・堀と、最後は4番・福井
甲子園で松代の先発マウンドに立った堀は、まだ2年生だった。
右のサイドスロー。
倉吉北に15安打を浴びたから、数字だけなら「よく打たれた試合」に見える。
でも松代は、そこで崩れなかった。
終盤は福井がマウンドへ上がり、そして最後の打席でも、その福井に回ってきた。
投げて、最後は打者として決める。
もっとも、決勝打は豪快な本塁打ではない。
左への犠牲フライ。
県大会30犠打のチームの甲子園初勝利が、最後も「一つ先の塁へ進めて、一点を取る」形で終わったのがいい。
スターの一振りではなく、チームの作法そのものが決勝点になった。
3点取られても、また3点取られても
初戦の倉吉北戦。松代は2回に1点を先制。
しかし4回、倉吉北に3点。松代は4回、6回と1点ずつ返す。3-3。
ところが7回。また倉吉北が3点。3-6。
でも松代は7回裏に1点、8回に2点。6-6。また追いついた。
延長11回。最後まで「送る」野球だった
9回、10回は両校無得点。そして11回裏。
先頭の松沢が出る。四球も絡み、一、二塁。
ここで3番・宮坂。送りバント。一死二、三塁。
4番・福井。左犠飛。
7x-6。
甲子園初出場。初勝利。それも延長11回のサヨナラ。
最後の一点まで、松代らしい野球だった。
松代7x-6倉吉北|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 倉吉北 | 45 | 15 | 6 | 3 | 0 | 1 | 7 | 4 | 3 | 2 | 1 | 13 |
| 松代 | 35 | 12 | 5 | 1 | 0 | 0 | 9 | 6 | 8 | 2 | 1 | 10 |
松代には、甲子園のスター選手はいなかった。
全国区のドラフト候補が何人もいたわけでもない。
でも、こういうチームが突然甲子園へ来る夏が、僕は好きだ。
地元出身の選手たち。県大会30犠打。7試合中4試合が逆転勝ち。
そして甲子園でも3点差を二度追いかけ、最後は犠飛でサヨナラ。
「うまい」より先に、「しぶとい」という言葉が出る。
甲子園は名門のためだけの球場ではない。
その夏だけ、突然全国の真ん中へ出てくる学校がある。
松代の2006年は、それを思い出させる夏だった。
次戦は八重山商工。地元選手同士の公立対決
松代の2回戦は八重山商工。
こちらも地元選手を中心に甲子園へ来た公立校。しかもエースは大嶺祐太。
松代は0-5から終盤追い上げ、最終スコアは3-5。
初出場で1勝。次戦も最後まで粘った。
甲子園で見た松代は、長野大会で見せた姿とほとんど変わらなかった。
長野代表の「負けた初戦」|1988年・上田東3-4x広島商(延長10回)
7回に逆転。9回にも勝ち越し。それでも広島商が二度追いつき、延長10回サヨナラ。相手は、そのまま全国優勝へ進んだ。
広島商対上田東|延長10回のイニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 計 | 安打 |
| 上田東 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 3 | 8 |
| 広島商 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1x | 4 | 10 |
|
投手
上田東:滝沢 |
本塁打
上田東:なし |
最初で、今のところ最後の甲子園
1988年、上田東は長野大会を勝ち抜き、初めて甲子園へ来た。
そして現在まで、甲子園出場はこの一度だけ。
学校自身も、1988年の甲子園で全国制覇した広島商と延長の大熱戦を演じたことを、野球班の歴史として今も紹介している。
一度しか来ていない学校が、その一度で王者をここまで追い詰めた。それだけで記事になる。
エース滝沢は、まだ2年生だった
上田東のマウンドを守った滝沢伸治は、この時まだ2年生だった。
全国大会の選手資料をたどると、その後は日本大学へ進み、さらにNTT信越で野球を続けている。
つまり、広島商を10回まで相手にした投球は、「たまたま甲子園で好投した高校生」の一日ではなかった。
その先でも野球を続けるだけの力を持った投手だった。
しかも2年生。
もし翌年も甲子園へ戻っていたら――。
高校野球の記事を書いていると、こういう「続きが見たかった選手」が何人も出てくる。
でも、上田東は戻れなかった。
だからこそ1988年の10イニングが、学校の歴史の中でずっと大きいまま残っている。
いまも「再びあの聖地へ」
上田東の現在の野球班紹介を見ると、ちょっといい言葉が出てくる。
「再びあの聖地へ」
しかも現在の指導体制には、1988年の甲子園出場時のOBらも外部コーチとして加わっているという。
甲子園へ行ったのは、もう40年近く前。
でも、その一度が今の高校生の練習にもつながっている。
一回だけの甲子園は、学校にとって「昔話」ではない。
次の世代へ渡す、まだ終わっていない物語なのだと思う。
七回、2-1。九回、3-2
広島商が3回に1点を先制。上田東は滝沢が粘る。
7回、上田東が2点。2-1。初出場の県立校が、広島商を逆転した。
その裏、広島商が1点。2-2。
9回表。上田東がもう一度1点。3-2。
甲子園初勝利まで、あとアウト三つ。
それでも広島商は、また追いついた
9回裏、広島商が1点。3-3。
延長10回。上田東は無得点。
その裏、広島商が1点。
4x-3。
上田東の最初の甲子園は、延長10回のサヨナラ負けで終わった。
広島商4x-3上田東|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 上田東 | 36 | 8 | 3 | 2 | 0 | 0 | 8 | 2 | 1 | 1 | 1 | 6 |
| 広島商 | 34 | 10 | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 8 | 5 | 1 | 0 | 14 |
この年の広島商は、このあと日大一に12-1。津久見に5-0。浦和市立に4-2。決勝では福岡第一を1-0で破った。
全国優勝。
そして優勝までの5試合で、延長戦になったのは上田東戦だけだった。
決勝の1-0も苦しい試合だった。だから「上田東が一番苦しめた」と単純に決めつける必要はないと思う。
でも、優勝した広島商を唯一延長まで引っ張った相手が、甲子園初出場の上田東だった。
これは胸を張っていい。
しかも上田東の甲子園は、今のところ1988年の一度だけ。
一回だけ来て、王者と延長10回。
こういう学校があるから、高校野球の県史は面白い。
なぜ長野では、ときどき県立校が突然甲子園へ出てくるのか
これは、今回あらためて記録を眺めながら僕自身が気になったことだった。
長野には松商学園、佐久長聖、上田西、長野日大、東京都市大塩尻、東海大諏訪と、今では強豪私学がいくつもある。
それなのに21世紀に入ってからでも、
2003年・長野工。
2006年・松代。
2010年・松本工。
2019年・飯山。
と、県立校が夏の代表になっている。
昭和へ戻れば、もっと多い。
上田、上田東、篠ノ井、長野商、岡谷工、野沢北、須坂商、須坂園芸……。
長野県高野連の代表決定戦記録を上から下まで眺めると、県立校の名前が途切れず出てくる。
もちろん、なぜそうなるのかを一つの理由で説明するのは乱暴だと思う。
「長野県民は公立志向だから」などと簡単に片づける根拠もない。
ただ、記録から見える背景はいくつかある。
北信、東信、中信、南信――県の中に四つの野球圏がある
長野県の高校野球は、北信・東信・中信・南信という四つの地区で大会が組まれている。
長野市だけ、松本市だけに野球の中心があるわけではない。
北信には長野商、飯山、松代。
東信には上田、上田東、野沢北、丸子系の学校。
中信には松本深志、松本工、松本県ヶ丘。
南信には岡谷工、岡谷南、伊那北、飯田系の学校。
私学の強豪だけでなく、それぞれの地区に長い野球部史を持つ公立校が残っている。
県内のどこか一つの強豪校が、毎年すべてを吸い上げる構造になりきらない。
そんな「地域ごとの層の厚さ」が、時々思いがけない代表校を生む一因なのかもしれない。
77市町村。小さな町からも甲子園球児が出る
日刊スポーツが過去25年間の甲子園出場選手を出身中学別に集計した企画も興味深い。
長野県は市町村数が77で、北海道に次いで多い。
そのうち43町村は人口1万人未満。
それでも、その小さな43町村から25年間で21人の甲子園球児が出ていたという。
甲子園球児が一部の大都市だけから出ている県ではない。
東信、中信、北信、南信。
いろいろな町に野球少年がいて、それぞれの地域に「うちの高校」がある。
だから、ある年だけ選手がうまく揃えば、県立校でも私学の壁を一気に越えてしまう。
松代や上田東は、そんな長野の地図から突然立ち上がったチームに見える。
近年の大会を見れば、松商学園、佐久長聖、上田西、長野日大といった強豪私学がやはり強い。
2026年秋の県大会でも、上田西、松商学園、佐久長聖が上位3校を占めた。
だから「長野は公立王国だ」と書くのも違う。
でも、強豪私学だけで県の歴史が閉じない。
2019年に飯山が出る。
2010年に松本工が出る。
2006年に松代が出る。
2003年に長野工が出る。
昭和へ行けば、さらに上田東、上田、篠ノ井、野沢北、須坂勢……。
強豪校がいる。
それでも、その年の18人がうまく噛み合えば、公立校にも甲子園への道が残っている。
僕には、それが長野高校野球の魅力の一つに見える。
番外編|1980年・松商学園0-2高知商。「六年連続甲子園、それでも校歌が聞けなかった」
今回の正式な「負けた初戦」は上田東にした。
でも、1980年の松商学園も書かずにはいられない。
1975年から1980年まで、松商学園は6年連続で夏の甲子園へ出場した。
ところが初戦相手は、東海大相模、PL学園、福井商、天理、池田、高知商。
松商学園公式の野球部史にも、6年連続出場しながら毎年初戦で強豪と当たり、甲子園で校歌を聞けなかったと残っている。
そして6年目の1980年。
松商のエースは川村一明。相手は春のセンバツ王者・高知商。エースは「球道くん」中西清起。
6回まで0-0。
川村は2安打、中西は1安打しか許さない。息詰まる投手戦だった。
7回、守備のミスも絡んで高知商が2点。そのまま2-0。
好投手がいても勝てない。また初戦。これで6年連続「出ると負け」。
甲子園へ6年続けて出るだけでも大変なのに、6年とも初戦の相手が強豪。
名門には名門の、別の残酷さがある。
長野の高校野球は、僕には少し不思議に見える。
松商学園という全国区の名門がある。上田西も強い。
なのに、ときどき松代や上田東のような公立校が、突然甲子園へやって来る。
しかも、ただ出るだけではない。
松代はサヨナラ勝ち。上田東は優勝校を延長10回まで追い込む。
名門の積み重ねと、一夏だけの公立校の爆発。
その両方があるから、長野の甲子園史は読みにくい。
そして読みにくい県ほど、面白い。
まとめ|長野の夏は、予定通りにはいかない
2006年、松代。初出場。3点差を二度追いかけ、延長11回サヨナラ。
1988年、上田東。こちらも初出場。全国優勝する広島商を延長10回まで追い込んだ。
その一方で、松商学園は6年連続出場しても、6年連続初戦敗退。
高校野球は、看板どおりには進まない。
名門が勝てない夏もある。無名の公立校が甲子園を揺らす夏もある。
長野の初戦史を見ていると、そのことを何度も思い知らされる。
だから、次に長野から「初出場」の公立校が出てきた時は、少し身構えた方がいい。
また何かやるかもしれない。
長野の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|2006年 松代vs倉吉北
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/2006/400/8636/index.php
琉球朝日放送|甲子園リポート 松代(長野)どんなチーム?
https://www.qab.co.jp/news/200608106616.html
長野県松代高等学校同窓会|甲子園初出場特集
https://matsudou.com/koushien/hatsushouri/
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|1988年第70回全国高校野球選手権大会
https://smart.asahi.com/v/koshien/stats/summer/y1988.php
長野県上田東高等学校|野球班
https://uedahigashi.ed.jp/club/baseball/
松商学園高等学校硬式野球部公式|野球部の歴史・昭和期
https://www.matsusho-bbc.com/intro/cn7/pg280.html
しのはら孝|地域社会と甲子園代表―松代高校の甲子園初出場によせて―
https://www.shinohara21.com/blog/article/2006/08/post_27.html
松代の選手が近隣中学出身者中心だったこと、丸井多賀彦監督が地元出身で、長野商で部長としてセンバツ出場を経験していたことなどを参照。
高校野球資料館|1988年大会選手資料
https://www5c.biglobe.ne.jp/~mori95/khb/kh1988.htm
上田東の滝沢伸治が2年生で、その後日本大、NTT信越へ進んだ経歴を確認。
長野県上田東高等学校|野球班
https://uedahigashi.ed.jp/club/baseball/
1988年甲子園の歴史、現在も甲子園出場時OBが外部コーチとして指導し、「再びあの聖地へ」を掲げていることを参照。
長野県高等学校野球連盟|長野大会代表決定戦の記録
https://www.nagano-hbf.jp/records/national/
長野工、松代、松本工、飯山、上田東、上田、篠ノ井、野沢北、須坂商、須坂園芸など、公立校の歴代夏代表を確認。
日刊スポーツ|出身中学から算出した夏の甲子園出場指数/長野編
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202005090000453.html
長野県の77市町村、人口1万人未満の43町村からも甲子園球児が輩出されていること、地域別の出場傾向を参照。
