甲子園に、なぜ石川の優勝旗はないのか――延長18回と敬遠5つが刻んだ県代表の物語

名勝負・伝説の試合

甲子園に、石川県の優勝旗はまだ立ったことがない。
それでも――いや、それだからこそだろうか。
石川の代表校が甲子園に現れるたび、僕たちはいつも「結果」ではなく「記憶」を手渡されてきた。

延長十八回。
五打席連続敬遠。
九回八点差の大逆転。
サヨナラ、またサヨナラ、そして涙。

勝てなかった夏ほど、人はよく覚えている。
灼熱の甲子園の芝に、能登の風が吹き込んだ瞬間を、僕たちは今も語り続けているのだ。

第1章|石川県と甲子園――「挑戦者の県」という宿命

高校野球の地図を広げたとき、石川県は決して“強豪県”のど真ん中には置かれてこなかった。
大阪や神奈川のような大都市圏でもなければ、雪国特有の環境を武器にできるわけでもない。

だが、石川には独特の色がある。
一度火がつくと、最後まで粘り抜くしぶとさ。
そして、負けた試合ほど“物語”として残る不思議な県民性だ。

甲子園という舞台で、石川県代表はいつも「優勝候補の相手役」だった。
だがその相手役が、ときに主役以上の存在感を放つ――
それが、石川高校野球の長い夏だった。

第2章|星稜高校という「物語装置」――勝てなくても、忘れられなかった理由

石川県の甲子園史を語るとき、星稜高校の名を避けて通ることはできない。
だがそれは、「最も勝った学校」だからではない。
最も語られてきた学校だからだ。

1976年――剛腕・小松、ベスト4の衝撃

1976年夏。
星稜は、剛腕エース・小松を擁し、勢いそのままにベスト4へと駆け上がった。

石川県勢が、全国の頂点に手を伸ばした最初の実感。
「石川でも、ここまで来られる」
その確信を、初めて県全体に与えた夏だった。

1979年――真夏のカクテル光線/箕島―星稜 延長18回

1979年。
星稜の名を、不滅のものにした一戦が訪れる。

相手は和歌山の名門・箕島。
夜にかかる照明、汗と土の匂いが混じる甲子園。
試合は延びに延び、延長18回へ。

勝ったのは箕島だった。
だが、甲子園史上最高のゲームと語られるとき、
そこに必ず並ぶのは――箕島と星稜だ。

この試合で、星稜は勝利以上のものを手に入れた。
「延長の名勝負に現れる学校」
「最後まで倒れない学校」

――星稜は、“Good Loser”という言葉が最も似合う存在として、甲子園の記憶に刻まれていく。

第3章|1990年代前半――松井秀喜と「最も重い期待」

1979年の延長18回から十数年。
星稜は、いつしか「名勝負の学校」から、
「勝たねばならない学校」へと立場を変えていた。

その象徴が、ひとりの怪物スラッガーだった。
松井秀喜。

1992年夏――明徳義塾戦、五打席連続敬遠

前年、星稜はベスト4。
松井を擁し、優勝候補の筆頭として甲子園に乗り込んだ1992年夏。
二回戦の相手は、高知・明徳義塾。

試合は接戦のまま終盤へ進む。
そして――甲子園がざわついた。

五打席連続敬遠。

スタンドがどよめき、怒号と戸惑いが交錯した。
勝負は2-3、星稜の敗戦。

だがこの試合は、勝敗以上の意味を持った。
松井は“高校野球の枠”を超え、
星稜は「全国の視線を一身に浴びる学校」になったのだ。

この夏を境に、星稜は
「勝てば当然、負ければ語られる」
という、最も重い立場を背負うことになる。

第4章|1995年――ついに届いた決勝、そして準優勝

1995年。
星稜は、再び甲子園の中心に立った。

松井の時代を越え、
「星稜は名勝負だけの学校ではない」
それを証明するかのように、勝ち上がっていく。

決勝の相手は、帝京。
全国制覇まで、あと一歩。

だが、現実は残酷だった。
帝京の分厚い戦力の前に屈し、準優勝

優勝旗は、またしても遠かった。
それでもこの1995年は、
石川県勢が最も頂点に近づいた夏として、今も語られている。

第5章|星稜一強ではなかった時代――石川の甲子園を支えた、もう一つの顔

1995年以降、石川の甲子園史は静かに変わっていく。

星稜が常に代表ではなくなり、
金沢、遊学館、小松大谷――
そして後に日本航空石川が台頭する。

これは星稜の衰退ではない。
石川全体のレベルが上がった証だった。

一発勝負の県大会。
実力校同士の拮抗。
「どこが出てもおかしくない」石川。

この時代、甲子園の舞台で
「石川代表=星稜」と即答されることは少なくなった。
だがそれは、県としての厚みが増した証でもあった。

第6章|2014年――すべてが変わった、9回裏

再び、物語が動く。

2014年夏、石川県大会決勝。
相手は小松大谷

九回表を終えて、8点差
誰もが、勝負は決まったと思った。

だが、星稜は違った。
一つ、また一つと点を重ね、
球場の空気が変わっていく。

9回8点差の大逆転。

この一戦は、単なる名勝負ではない。
10年以上遠ざかっていた
星稜の“夏の甲子園勝利”への扉を開いた試合だった。

ここから、星稜は再び強くなる。
いや――
強さを“思い出した”と言ったほうが正しいかもしれない。

第7章|2018年――石川が「複数校」で強くなった夏

2018年。
この年の石川県は、はっきりと空気が違っていた。

選抜――星稜と日本航空石川、県勢初の“2校ベスト8”

春。
センバツの舞台に、石川から2校が並んで立った。
星稜、そして日本航空石川。

結果は――
県勢史上初の、2校同時ベスト8。

これは偶然ではなかった。
星稜が再び力を取り戻し、
同時に、日本航空石川という新しい強豪が本物になっていた。

石川は、もはや「一校依存の県」ではない。
その事実を、全国に突きつけた春だった。

夏――済美戦、またしても“語り継がれる敗戦”

だが、夏はそう甘くない。

二回戦。
相手は愛媛の済美。

試合は星稜が主導権を握り、
7-1、6点リードで8回裏を迎える。

ところが――
甲子園は、簡単に幕を下ろさない。

8回裏、8失点。
7-9。

9回表、星稜が2点をもぎ取り、9-9
試合は延長へ。

タイブレークの13回表、星稜が2点を奪い、11-9

だが、その裏。
逆転サヨナラ満塁ホームラン。

スコアは11-13。
星稜、またしても散る。

人は言った。
「また、Good Loserか」と。

だが僕は思った。
これは、“勝つ準備が整った敗戦”だと。

第8章|2019年――“延長の敗者”という壁を、ついに越えた

2019年夏。
星稜は、優勝候補の大本命として甲子園に戻ってきた。

エースは、怪物右腕・奥川恭伸。

智弁和歌山戦――延長14回の死闘

三回戦。
相手は、因縁浅からぬ和歌山勢、智弁和歌山。

試合は緊迫した投手戦となり、
1-1のまま延長へ。

14回表、星稜がサヨナラのチャンスをつかむ。

打球は――
外野スタンドへ。

サヨナラ3ラン。4x-1。

あの1979年。
あの2018年。
延長で泣いてきた星稜が、
ついに“勝者”として甲子園を去った瞬間だった。

この勝利は、単なる一勝ではない。
星稜が長年背負ってきた物語を、自ら塗り替えた一打だった。

決勝――履正社戦、そして準優勝

その後の星稜は、まさに横綱相撲。
奥川を軸に勝ち上がり、決勝へ。

相手は、春の選抜初戦で破った大阪の強豪・履正社。

だが、決勝の舞台で、奥川の肩は限界を迎える。

結果は3-5
またしても準優勝

優勝旗は、なおも遠い。
それでもこの夏、
石川県代表は「惜敗の象徴」から
「全国制覇に最も近い存在」へと認識を変えた。

第9章|星稜だけじゃない――石川高校野球の現在地

今の石川には、星稜だけがあるわけじゃない。

小松大谷。
日本航空石川。

彼らは、星稜と競り合いながら、
県勢全体のレベルを押し上げてきた。

「どこが出ても戦える」
それが、今の石川県代表だ。

星稜は軸である。
だが、独占者ではない。

その健全な競争こそが、
石川が悲願の全国制覇に近づいている最大の理由だろう。

まとめ|能登の風は、これからも甲子園へ吹く

優勝回数は、いまだゼロ。

だが、これほど多くの“記憶に残る夏”を持つ県が、
他にあるだろうか。

延長十八回。
敬遠五つ。
九回八点差。
そして、越えた壁。

石川の白球は、いつも真っ直ぐだった。
勝つために、逃げなかった。

能登の風は、これからも甲子園へ吹く。
次こそ――
その風が、優勝旗を揺らす日まで。

情報ソース・参考資料

本記事は、石川県高校野球および全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に関する歴史的事実・大会結果・代表校の変遷について、信頼性の高い一次・二次情報をもとに構成しています。出場校データ、戦績、代表校の推移については、石川県高等学校野球連盟の公式発表および高校野球専門データベースを参照し、試合内容や名勝負に関する描写については、朝日新聞社を中心とした報道・アーカイブ記録を基礎資料としました。

※試合描写・情景表現については、当時の報道記録および一般に広く知られている高校野球史上の名勝負をもとに、史実を尊重したうえで記述しています。

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