今の高校野球ファンにとって、青森代表はもう「初戦を勝てるだろうか」と心配する存在ではない。
青森山田がいる。
八戸学院光星がいる。
春も夏も、全国の上位まで進んでも驚かれない。
でも、僕らが昭和の甲子園を見ていた頃、青森にはまるで違うイメージがあった。
1969年。
太田幸司の三沢が、松山商との延長18回引き分け再試合を戦い、全国準優勝。
あれは青森高校野球史に残る巨大な夏だった。
ところが、その後の夏は長かった。
青森県勢は甲子園で13連敗。
1989年、弘前工が石川を5-1で破るまで、夏の白星は20年間なかった。
1981年には東奥義塾が、鳥取西の田子譲治に初回先頭打者の内野安打一本だけ、16三振を奪われて0-5。
翌1982年には木造が、佐賀商・新谷博に九回二死まで完全投球を許し、ノーヒットノーラン。
このシリーズで佐賀編を書いたとき、新谷の「27人目」を取り上げた。
そのマウンドの向こう側にいたのが、青森代表だった。
だから、1989年の弘前工5-1石川は、本当なら正式採用してもいいくらい大切な初戦である。
13連敗を止めた。
「青森も勝てる」と、長いトンネルの出口を見せた。
ただ今回、僕が「勝った初戦」に選んだのは、その10年後。
1999年の青森山田である。
弘前工が「連敗を止めた」チームだとすれば、青森山田は、
「青森は、もしかしてかなり強いぞ」
と全国に思わせ始めたチームだったように、僕には見える。
そして、その2年前。
1997年、初めて夏の甲子園に現れた光星学院は、佐賀商と壮絶な打撃戦を演じ、9-10xで負けた。
負けた。
でも、弱くは見えなかった。
1997年の光星学院。
1999年の青森山田。
この二つを並べると、青森高校野球が「弱小県」という古いイメージを脱ぎ捨てていく、その瞬間が見える気がする。
勝った初戦は1999年の青森山田3-2九州学院。青森山田は九州学院に先制を許したが、七回に3点を奪って逆転。エース松野公介が九回まで投げ切った。その後、東福岡を9-3、日田林工を延長11回7-4で破り、1969年の三沢以来30年ぶりとなる青森県勢の夏ベスト8へ進んだ。
負けた初戦は1997年の光星学院9-10x佐賀商。春夏とも甲子園初出場だった光星学院は、初回に主将・山根新が青森県勢春夏通じて初の甲子園本塁打となる先頭打者弾。九回表に9-8と再逆転したが、その裏に佐賀商が2点を奪ってサヨナラ勝ちした。のちに全国屈指の強豪となる光星学院の、最初の夏だった。
青森代表の「勝った初戦」|1999年・青森山田3-2九州学院
エース松野公介が投げ切り、青森山田は3-2で勝った。その一勝が、三沢以来30年ぶりの8強へ続いていく。
青森山田対九州学院|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 青森山田 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 9 |
| 九州学院 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 5 |
|
投手
青森山田:松野 |
本塁打
青森山田:なし |
「三沢だけだった」青森から、次の時代へ
1999年、第81回大会。20世紀最後の夏の甲子園で、青森山田は開幕試合に登場した。
相手は熊本の九州学院。決して軽い相手ではない。
青森山田のエースは松野公介。低めへ丁寧に集め、内野ゴロを打たせる。派手に三振を並べるというより、相手に気持ちよく振らせない投球だった。
二回、九州学院に先制される。0-1。六回まで、そのまま。
古い青森の記憶を知っているファンなら、少し嫌な感じがしたかもしれない。投手は頑張る。でも点が入らない。そのまま惜敗する。昭和の青森には、そんな初戦が何度もあった。
七回、青森山田が一気に3点
七回表。その空気を、青森山田が変えた。
二本柳らが、上から叩きつけるような打撃で走者を返す。一挙3点。3-1。
九州学院もその裏に1点を返す。3-2。一点差。
ここから松野が耐えた。八回、一死一、二塁。内野ゴロを二ゴロ併殺。九回もゼロ。
3-2。
青森山田は、20世紀最後の夏の開幕試合をものにした。
青森山田3-2九州学院|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 青森山田 | 32 | 9 | 3 | 2 | 0 | 0 | 9 | 2 | 2 | 2 | 1 | 6 |
| 九州学院 | 29 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 | 7 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。
歴史の節目だけを言えば、1989年の弘前工を忘れてはいけない。
三沢の準優勝から20年。青森県勢は夏の甲子園で13連敗していた。
その連敗を、弘前工が石川に5-1で勝って止めた。あの一勝は「青森も勝てる」という夜明けだった。
でも、1999年の青森山田には、もう少し先の感覚があった。
九州学院に3-2。東福岡に9-3。日田林工には延長11回、7-4。
三つ勝ってベスト8。三沢以来30年ぶりである。
一つ勝つだけではない。全国の強豪を次々と倒して、準々決勝まで残る。
僕の中では、この夏あたりから青森代表を見る目が少し変わった。
「相手は青森か。勝てるかな」ではなく、
「青森か。これは手強いぞ」
そんな空気が、甲子園に生まれ始めたように思う。
次は東福岡に9-3。その次は延長11回
青森山田は初戦だけのチームではなかった。
2回戦、東福岡。9-3。棚本の本塁打も飛び出し、12安打。
3回戦は日田林工。2-2のまま延長。十回に両校2点。4-4。
十一回、二死から青森山田が3点を奪った。7-4。松野は3試合連続の完投勝利。
準々決勝で樟南に0-4で敗れた。
それでも30年ぶりの夏8強。
そして翌2000年には、今度は光星学院がベスト4まで行く。
青森の景色は、本当にここから変わり始める。
青森代表の「負けた初戦」|1997年・光星学院9-10x佐賀商
7-4、7-8、そして九回表に9-8。初勝利まであとアウト三つ。それでも佐賀商が九回裏に2点を奪い、10x-9だった。
佐賀商対光星学院|イニングスコア
| 学校名 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安打 |
| 光星学院 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 9 | 11 |
| 佐賀商 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 2x | 10 | 11 |
|
投手
光星学院:児玉 → 山根 → 児玉 |
本塁打
光星学院:山根 |
その5年前は、県大会で一勝もしていなかった
今の八戸学院光星を知っていると、信じにくい話がある。
1997年からわずか5年前。光星学院は、県大会未勝利のチームだった。
学校が本格的に野球部強化へ動いたのは1993年。1994年夏には青森大会準優勝。そこから県外からも選手が集まり始める。
そして1997年。春、センバツ初出場。夏も初出場。
まだ「全国屈指の強豪」なんて呼ばれるずっと前。光星学院という名前が、甲子園の全国区へ出てきたばかりの頃だった。
最初の打者が、青森県勢初の本塁打を打った
一回表。光星学院の夏の甲子園、最初の打者は主将の山根新だった。
高めの直球を振り切る。打球は左翼席へ。先頭打者本塁打。
これが、青森県勢にとって春夏を通じた甲子園初本塁打だった。
当時、47都道府県で甲子園本塁打がなかったのは青森だけ。つまり山根の一発で、最後の空欄が埋まった。
青森の夏を変える学校の、最初の夏。その最初の打者が、青森の甲子園史を一つ塗り替えた。
4-1とされても、三回に4点。光星は逆転した
佐賀商が一回に2点、二回にも2点。光星学院は1-4とされた。
それでも三回、一挙4点。5-4と逆転。五回に1点、七回にも1点。7-4。
初出場校が、名門・佐賀商を相手に3点リード。この時点で、もう十分に「青森の新しい何か」は見えていたと思う。
七回、兵動の満塁弾。九回、光星がもう一度ひっくり返す
七回裏。佐賀商が無死満塁。兵動が左翼席へ打ち込んだ。逆転満塁本塁打。7-8。
普通なら、初出場校はここで折れてもおかしくない。でも、光星学院は折れなかった。
九回表。連続適時打で2点。9-8。 また逆転した。
春夏初出場。夏の甲子園初勝利まで、あとアウト三つ。
それでも最後は佐賀商だった
九回裏。佐賀商は無死から連続安打。そして高橋の左中間二塁打。
二人が返った。
10x-9。
光星学院の最初の夏は、一試合で終わった。
でも、9点取った。二度リードを奪い返した。青森県勢初の本塁打も打った。
負けたのに、弱いとは思えない試合だった。
佐賀商10x-9光星学院|詳細記録
| 学校名 | 打数 | 安打 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 残塁 |
| 光星学院 | 36 | 11 | 8 | 2 | 0 | 1 | 2 | 5 | 2 | 1 | 1 | 7 |
| 佐賀商 | 33 | 11 | 10 | 3 | 1 | 1 | 8 | 3 | 4 | 1 | 3 | 6 |
※詳細記録は、朝日・日刊スポーツ大会アーカイブの提供画面をもとに転記。得点と打点は、失策、野選などによって一致しない場合がある。
1997年の光星学院は、夏の甲子園初出場だった。
そして2026年夏までの選手権出場歴を振り返ると、八戸学院光星を含め夏は12回出場。初戦で敗れたのは、この1997年の佐賀商戦だけである。
2000年はベスト4。2001年、2003年はベスト8。2011年、2012年は2年連続準優勝。2014年、2019年、2023年もベスト8。
最初の夏だけ、初戦で負けた。しかも、その一試合も9-10xだった。
これが僕には象徴的に見える。
全国屈指の強豪になる学校が、最初から完成していたわけではない。でも最初の甲子園で、すでに9点を取り、名門を最後まで追い詰めていた。
「これから強くなる学校」というのは、結果が出る前から、どこかに匂いがある。
1997年の光星学院には、その匂いがあった。
青森県勢46校目の本塁打。そのボールは、もう残っていない
山根新の先頭打者本塁打には、後日談がある。
日刊スポーツの後年の取材で、山根はその本塁打球について話している。野球部を熱心に応援してくれた先生が亡くなった時、その棺に入れたという。
だから、手元にはもうない。
青森県勢の甲子園初本塁打。歴史的なボールである。
でも本人にとっては、記録より大切な場所へ行った。
こういう話に触れると、高校野球の記録というものは、数字だけでは残っていないのだと思う。
番外編|1989年・弘前工。長い13連敗を止めた一勝
正式採用は青森山田に譲ったが、1989年の弘前工5-1石川は、青森高校野球史で絶対に外せない。
1969年、三沢準優勝。そこから20年間、夏の甲子園で青森県勢は勝てなかった。連敗は13。
弘前工は初回に1点を先制されながら、三回に追いつき、五回に一挙4点。斎藤健が最後まで投げ、5-1で勝った。
次戦では仙台育英に1-2で敗れた。その仙台育英は、この大会で準優勝する。
だから弘前工も決して弱くなかった。
ただ、弘前工が開けた扉の先へ、90年代後半に青森山田と光星学院が一気に走り込んでいった。
僕はそんなふうに、青森の流れを見ている。
1997、1999、2000――わずか4年で青森の景色が変わった
改めて並べると、変化の速さに驚く。
1997年。光星学院、初出場。佐賀商に9-10x。
1999年。青森山田、30年ぶりベスト8。
2000年。光星学院、ベスト4。
たった4年である。
1969年の三沢から長い間、「あの三沢は特別だった」と語られてきた青森。
その県が、90年代末から突然のように、全国上位へ複数の学校を送り込む県になる。
いま僕らが知っている「強い青森」の輪郭は、このあたりで一気に見え始めたのだと思う。
1997年の光星学院は負けた。
だから、その時点の新聞記事だけ読めば、「初出場、惜敗」で終わる。
でも30年近くたってから見ると、違う。
9点取った。青森県勢初の本塁打を打った。名門・佐賀商を九回まで追い詰めた。
その3年後には4強。その後は夏の決勝まで何度も進んだ。
未来を知ってから昔の敗戦を見ると、試合の中に「予告編」のようなものが見えることがある。
勝った試合が歴史を変えることもある。でも負けた試合の方が、未来を先に見せていることもある。
だから僕は、このシリーズで「負けた初戦」も必ず一つ選んでいる。
まとめ|「勝てない青森」が消えていった頃
1969年、三沢準優勝。
その後20年、夏の白星なし。
1989年、弘前工が13連敗を止めた。
1997年、光星学院は夏初出場。佐賀商に9-10xで負けた。でも、最初の打者が青森県勢初の甲子園本塁打を打った。
1999年、青森山田が九州学院を3-2で破る。そのまま30年ぶりのベスト8。
翌2000年、光星学院はベスト4。
昔の青森は、「三沢だけが特別」と言われた。
でも90年代の終わり、その言葉はもう合わなくなり始めていた。
青森山田が勝ち、光星学院が勝つ。しかも一つでは終わらない。
「青森代表だから」という見方が、いつしか消えていった。
この二つの初戦は、その境目に置かれた試合だったように、僕には思える。
青森の甲子園初戦史|よくある質問
関連記事
使用した主な情報ソース
やっぱり甲子園|第81回全国高等学校野球選手権大会(1999年)
https://hsbb.jp/senshuken/y1999/
青森山田3-2九州学院、9-3東福岡、7-4日田林工、0-4樟南など、1999年大会の勝ち上がりを確認。
朝日・日刊スポーツ高校野球大会アーカイブ|青森山田7-4日田林工
https://smart.asahi.com/v/koshien/game/1999/400/8327/index.php
延長11回の勝利、松野公介が3試合連続完投勝利したことの確認に使用。
日刊スポーツ|青森県勢46校目の悲願 全国で最も遅い「1号」
https://www.nikkansports.com/baseball/column/tohoku-koshien100/news/1471971.html
1997年の光星学院・山根新の青森県勢甲子園初本塁打、光星学院の強化過程、山根の回想、本塁打球の後日談などを参照。
高校野球史 甲子園篇|佐賀県勢全試合結果
https://data-man.com/kokoyakyu/pref/saga/game/
光星学院9-10佐賀商のイニングスコア、投手、本塁打の確認に使用。
高校野球史 甲子園篇|八戸学院光星の全戦績
https://data-man.com/kokoyakyu/school/02020002/
夏の選手権出場12回、各大会の初戦・勝ち上がり、1997年が夏唯一の初戦敗退であることの確認に使用。
一県一校制以降の高校野球|1989年・弘前工5-1石川
https://ameblo.jp/yakyukozo-1/entry-12878957272.html
弘前工が1969年三沢以来20年ぶりとなる青森県勢の夏勝利を挙げ、13連敗を止めた試合経過の確認に使用。
高校野球資料館|1981年夏
https://www5c.biglobe.ne.jp/~mori95/khb/kh1981.htm
鳥取西・田子譲治、東奥義塾戦など1981年大会の背景確認に使用。
