灼熱のアルプス席で、真夏の風に揺れる紫紺の旗を見上げていた少年時代。
「埼玉は関東の中では出遅れている」──そんな言葉が、まだ球場のどこかに残っていた頃だ。
だが、あの夏。上尾高校が白球で描いた軌跡が、すべてを変えてしまった。
1975年、原辰徳を擁する東海大相模を倒してベスト4へ駆け上がった瞬間。
埼玉の高校野球に“誇りの灯”がともったのだ。
そしてその後、上尾の野本喜一郎監督から、浦和学院を全国区へ押し上げた森士(モリシ)監督、さらに現在の森大監督へと続いていく「魂の系譜」。
埼玉県勢の強さは、この三代にわたる継承の物語を抜きに語れない。
1. 埼玉県勢の甲子園出場校・代表の歴代一覧──「伏兵」から「強豪県」へ
戦後の埼玉県勢は、関東の中でも目立たない存在だった。だが1970年代の上尾の台頭を境に流れが変わると、1990年代以降は浦和学院、花咲徳栄といった私立勢が台頭し、一気に“全国区”の強さを手にしていく。
2. 1970年代・埼玉高校野球の夜明け──上尾高校・野本喜一郎監督の革命
埼玉が“伏兵”と呼ばれた時代、その空気を打ち破ったのが上尾高校だった。
指揮官は名将・野本喜一郎。守備、走塁、状況判断──野本野球は「勝ち方」を徹底的に教えるスタイルだった。
●1974年──上尾旋風の予兆
この年の甲子園勝利が、翌年の大旋風の前触れとなる。
●1975年──原辰徳の東海大相模を撃破
1975年、上尾は東海大相模(原辰徳)を破り、埼玉勢初の“鮮烈な躍進”となるベスト4入り。
灼熱の甲子園の芝が、彼らの汗を吸い込んだあの瞬間、県全体が変わった。

3. 1979年──仁村投手と浪商(牛島・香川)の伝説の死闘
1979年の夏。仁村徹を擁する上尾高校が挑んだ相手は、当時“絶対王者”と呼ばれた大阪・浪商だった。牛島和彦、香川伸行――全国の高校球児が憧れる怪物バッテリーであり、試合前の新聞は「浪商、盤石」「優勝候補筆頭」で埋め尽くされていた。
しかし、この試合は単なる実力差では語れない。
NHKで今も取り上げられる伝説的名勝負へと姿を変えていく。
マウンドに立った仁村徹は、“仁村三兄弟”と呼ばれた名投手一家の真ん中の子。細身の体から繰り出される切れ味鋭いストレートは新聞で「理詰めの投球」と評され、
その存在は後に『ドカベン』の「大甲子園」で登場する“下尾高校の仁選手”のモデルではないかと噂されるほどだった。
終盤まで上尾がリードし、スタンドでは「いけるぞ!」の声が揺れ続けた。しかし九回二死、浪商・牛島の放った打球は左中間スタンドへ消えた。
魂を削る同点2ラン。
それでも仁村は崩れず、延長戦へ。翌日の新聞は「上尾、浪商と名勝負」「仁村、強豪と互角」と大見出しを打った。
敗れてなお、その戦いぶりは県民にとって“勝者のような敗者”だった。
この試合は、後の浦和学院・花咲徳栄へ続く“埼玉の道”を静かに切り開いた一戦である。

4. 野本監督、浦和学院へ──1986年「鈴木健」が起こした新時代
1980年代、野本監督は浦和学院へ移り、1986年には鈴木健を擁して初出場ベスト4。
埼玉の勢力図はここで大きく塗り替わる。
上尾→浦学という指導の血脈が県全体の基礎を強くしていったのだ。

5. 野本イズム継承の旗手──森士(モリシ)が築いた“浦学黄金期”
野本監督の教え子・森士(愛称:モリシ)が浦学監督に就任すると、
守備・走塁・用具管理まで徹底した緻密な“浦学野球”が体系化され、
1990〜2000年代にかけて全国の強豪として君臨する。
センバツ上位の常連──。
いつしか「関東最強」の肩書きが自然とついていった。
6. 2013年──森士がついに掴んだ“埼玉悲願の全国制覇”
2013年春のセンバツ。
浦和学院は長年越えられなかった頂に手を伸ばし、ついに全国制覇を果たす。
決勝戦はまさに“完成された浦学野球”で、スタンドにいた誰もが息を呑んだ。
それは同時に、上尾高校の野本監督が果たせなかった夢を、
教え子が引き継いで叶えた瞬間でもあった。
校旗が舞った瞬間、埼玉高校野球の四十年の歴史が一つの頂に結びついた。
●春夏連覇を目指した夏──“カクテル光線の名勝負”仙台育英戦
だが浦学の物語は終わらない。
センバツ王者として挑んだ夏、その年の甲子園はカクテル光線が美しく照らす夜だった。
相手は仙台育英。春夏連覇が現実味を帯びた大一番である。
マウンドに立つのは2年生左腕・小島和哉。
その後ロッテへ進む逸材だが、この日は酷暑と重圧に身体を蝕まれ、
途中で熱中症の症状を見せながらも「王者の意地」だけで腕を振り続けた。
乱打戦の果て、九回裏──仙台育英のサヨナラ。
甲子園は静まり返り、カクテル光線だけが白球の軌跡を照らしていた。
試合後、限界を超えた小島を森士が抱きしめる。
あの表情は、叱責でも慰めでもなく、
ただ一人の青年の努力と覚悟を受け止める“教育者の顔”だった。
この瞬間、「森士は指導者として本物だ」と確信したファンも多かった。
采配には「迷采配」との批判もあった。
だが、彼が選手を思い、未来を思い、誇りを背負って判断した決断は、
やがて“愛された采配”へと変わっていく。
この夏の敗戦こそが、浦学というチーム、そして森士という指導者の厚みを生んだのだ。

7. 現代──森大監督へ受け継がれる三代の系譜
現在の浦和学院は、森士の息子・森大監督が率いる。
野本 → 森士 → 森大という流れは、全国的にも稀な“指導の血脈”であり、
埼玉高校野球が安定して強い理由はまさにここにある。
8. 埼玉県勢の優勝回数・成績(春・夏)
- 春:浦和学院(2013年)
- 夏:花咲徳栄(2017年)
2017年夏の花咲徳栄は圧倒的打力で頂点に立ち、
浦学とは異なる“埼玉の強さ”を全国に証明した。

9. 埼玉高校野球の魅力──「泥の匂いのする強さ」
埼玉の強さは派手さや才能だけではない。
走塁、守備、判断力、献身性──。
泥にまみれながら勝ちに近づく“粘りの文化”が根底にある。
その源流は、上尾の野本監督が作り、森士が磨き、森大が受け継いでいる。
これは埼玉という土地が育んだ、ひとつの高校野球文化なのだ。
10. FAQ
Q. 埼玉の甲子園出場校は?
歴代で約30校。現在は浦和学院・花咲徳栄が二強。
Q. 初の大躍進は?
1975年の上尾高校(ベスト4)。
Q. 浦学が強い理由は?
野本 → 森士 → 森大という指導継承の文化。
11. 情報ソース
上尾の野本が火を灯し、森士が輝かせ、森大が未来へつなぐ──。
埼玉高校野球は、指導者たちの“魂の継承”が紡ぐ一本の物語である。
灼熱の夏の匂いとともに、その物語は今年も走り続ける。


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