甲子園に広島あり――広島商を軸に辿る代表校の歴代系譜と“常連県”の真実

学校別ストーリー

灼熱の夏、アルプススタンドのコンクリートに腰を下ろしていると、ふと耳に入ってくる校名がある。
それは決して一校ではない。
けれど、不思議なことに、最後には必ず一つの県名に行き着く。

広島。
この二文字は、:contentReference[oaicite:0]{index=0}という特別な場所で、いつの時代も静かな重みを持って響いてきた。

スター軍団でもない。
旋風を巻き起こす話題校でもない。
だが、気がつけば――決勝、準決勝、あるいはその一歩手前に、必ず広島の名がある。

なぜ、広島はこれほどまでに甲子園から消えないのか。
なぜ、「また広島か」ではなく、「やっぱり広島だ」と言われるのか。

その答えは、代表校の歴代系譜、そして一本通った“軸”の存在にある。


第1章|数字が証明する“甲子園常連県・広島”

春と夏。
大会の種類は違えど、甲子園の土を踏み続けてきた県は、そう多くはない。

広島は、一時代だけ強かった県ではない。
大正、昭和、平成、令和――時代が四つ変わっても、代表校が途切れない

これは偶然ではない。
出場回数の多さは、県大会の競争力の高さであり、裾野の広さであり、野球が文化として根付いている証でもある。

一校依存ではない。
それでいて、県としての色は失われない。
この土壌こそが、広島を“常連県”たらしめてきた。


第2章|広島代表校の歴代系譜――その始まりにいた怪物

広島の甲子園史を語る上で、どうしても外せない原点がある。

それが、1930年代――呉港中学の存在だ。

1934年夏。
エースで四番。
投げては剛球、打っては豪打。

その名は、:contentReference[oaicite:1]{index=1}

決勝の相手は熊本工業。
後に“打撃の神様”と呼ばれる川上哲治がいた。

だが、その川上を三振に斬り、二安打完封。
呉港中は2-0で頂点に立つ。

藤村はこの大会だけではない。
春夏合わせて6度、甲子園の土を踏み、
1試合19奪三振という大会タイ記録も残している。

後に“初代ミスタータイガース”。
その猛虎の原点は、広島の土と甲子園にあった。


第3章|不変の軸――広島商業という名門

広島に強豪校は数あれど、
「軸はどこか」と問われれば、答えは一つしかない。

広島商業。

夏の甲子園優勝――
1924年、1929年・1930年(連覇)、1957年、1973年、1988年。
実に6度。

春の選抜でも1931年に優勝している。

時代が変わり、校風が変わり、野球が変わっても、
広島商業だけは、いつも同じ場所に立っていた。

派手さはない。
だが、最後に立っている。

それが、この学校の本質だ。


第4章|1973年――スターなき最強世代の真実

1973年。
高校野球史に残る“江川世代”のただ中で、広島商業は静かに、だが確実に力を蓄えていた。

春の選抜。
準決勝で倒したのは、怪物・江川卓を擁する作新学院。

決勝では、横浜高校のエース・永川と0-0の死闘。
延長11回、惜しくも3-1で敗れ、準優勝に終わる。

そして、夏。

江川を倒して勝ち上がってきた銚子商業を退け決勝へ進んできた相手。
それは、世代屈指の好打者・植松を擁する名門・静岡高校。

試合は2-2。
迎えた最終回。

ここで広島商業が選んだのは、力でも技でもない。
覚悟だった。

――スクイズ。

夏の甲子園史上、唯一の決勝サヨナラスクイズ

スターはいない。
だが、心は折れない。

この世代の真価は、ここから明らかになる。


第5章|真剣刃渡りと、ろうそくの教え――迫田野球が鍛えた“心”

1973年の広島商業を語るとき、技術論だけでは必ず行き詰まる。

なぜなら、あの世代は決してタレント集団ではなかったからだ。

答えは、グラウンドの外にある。
名将・迫田穆成監督が築いた、常識を超えた“修行”の日々だ。

日本刀を二本並べ、その刃の上に立つ「真剣刃渡り」
冬の寒風の中、上半身裸で続ける基礎練習。
そして、部屋を真っ暗にし、一本のろうそくに火を灯す。

その火が消えるまで――
投手はシャドーピッチングを、打者は素振りをやめない。

元正捕手の達川光男は、後年こう語っている。

「私らの最後の行は、感謝という行なんですよ。
迫田さんは言いました。
『ろうそくは身を減らして人を照らす』と」

自分を犠牲にし、役目を終える。
勝つためではない。
人として折れないための野球。

だからこそ、あのスクイズに迷いはなかった。
技ではなく、心が決断した一球だった。


第6章|昭和最後の夏――1988年、再び“9回の一点”

1973年から15年。
昭和最後の夏、再び広島商業が決勝の舞台に立つ。

相手は、前田、山内らを擁する福岡第一。
スター軍団と呼ばれたチームだった。

試合は、重苦しい静寂のまま進む。
0-0。

相手のスクイズを外し、好機をしのぎ、
守り、耐え、待つ。

そして9回。
もぎ取った、たった一点。

この一点を、広島商業は守り切る。

1973年と同じだ。
9回の1点が、全国制覇を決めた。

昭和の終わりに、広島商業は改めて示した。
勝つとは、派手さではないということを。


第7章|もう一つの柱――広陵という名門

広島商業が“不変の軸”なら、
もう一つ、語らねばならない存在がある。

広陵。

夏の甲子園準優勝――
1927年、1967年、2007年、2017年。

とりわけ、2007年の夏は忘れがたい。

野村祐輔―小林誠司のバッテリー。
横綱級の優勝候補として、広陵は決勝まで一気に駆け上がった。

決勝でも試合を支配していた。
終盤まで、佐賀北に野球をさせなかった。

だが――。

奇跡の逆転満塁本塁打。

甲子園という舞台が、時に残酷であることを、
この試合ほど教えてくれたものはない。

一方、春は強い。
1926年、1991年、2003年と三度の選抜制覇。

1991年。
松商学園との決勝で、終盤に3点差を追いつき、
6x-5のサヨナラ勝利。

65年前、初優勝の相手も松本商。
因縁が円環を描いた瞬間だった。


第8章|センバツの広島、もう一つの系譜

春の甲子園にも、広島は確かな足跡を残してきた。
夏の代表校とはやや異なる文脈で、春という舞台に魅せられた広島の物語がここにある。

1976年。
黒田博樹らを擁し、春の選抜を制した崇徳の優勝は、当時全国を驚かせた栄光だった。
その年の夏、春夏連覇を目指したチームは、怪物・酒井(サッシー)を擁する長崎・海星に1-0で惜敗。
だが、その敗戦もまた、甲子園史の中で語り草となっている。

そして時は流れ、2025年秋。
秋季中国地区大会で崇徳は準決勝を勝ち進み、久しぶりとなる中国大会出場を決めた。
これは33年ぶりにセンバツ出場の可能性が高まる躍進でもあり、広島の春への夢が再び膨らむ瞬間でもある。:contentReference[oaicite:0]{index=0}

春の舞台といえば、忘れてはならないのが尾道商業の足跡だ。
特に昭和30年代から40年代にかけては、“尾商ナイン”と呼ばれ、町中が歓喜した時代があった。:contentReference[oaicite:1]{index=1}

1964年の選抜では、尾道商業は全国を代表する強豪と肩を並べ、準優勝という快挙を成し遂げている。試合は接戦の連続で、準決勝では博多工を4–0で退けたものの、決勝戦では徳島海南に2–3で惜敗した。:contentReference[oaicite:2]{index=2}

この時の尾道商は、プロでも通用する技巧派投手・小川を中心に、
“戦略と粘り”で勝ち上がったと言われるチームだった。連続出場の中には、海南の強打者を抑え続けた名勝負もあり、その巧妙な投球術は当時の新聞でも大きく報じられた。:contentReference[oaicite:3]{index=3}

また、尾道商業は昭和30年代~40年代にかけて4度もの甲子園出場を果たし、
“広島に尾商あり”とまで言われた時代もあった。地元・尾道では、試合の日になると町中がテレビに釘付けになったという逸話も残っている。:contentReference[oaicite:4]{index=4}

そして今、如水館や広島新庄、広島工といった学校も継続して姿を見せ、代表校は変わっても、広島の野球は途切れないことを示している。

変わらないのは、厳しい競争と甲子園への渇望。
春の甲子園に向けて、再び広島の名が呼ばれる日を、僕たちは静かに待ち続けている。


第9章|なぜ広島は、また甲子園に戻ってくるのか

ここまで代表校の歴代を辿ってきて、
一つ、はっきりしてきたことがある。

広島は、一校に依存していない。
それでいて、軸を失っていない。

広島商業という精神の原点があり、
広陵というもう一つの柱があり、
呉港中、崇徳、尾道商業、如水館、広島新庄、広島工――
それぞれが時代ごとに役割を果たしてきた。

県大会は、常に厳しい。
勝って当たり前の学校など、一つもない。

だからこそ、代表校は鍛えられる。
だからこそ、甲子園でも簡単には崩れない。

技術ではない。
環境でもない。

「どう在るか」を受け継いできた県。
それが、広島なのだと思う。


まとめ|甲子園に広島あり――それは偶然ではない

呉港中の怪物・藤村富美男。
精神を極限まで磨き上げた広島商業。
涙と執念を知る広陵。

校名は変わる。
時代も変わる。
野球の形さえ変わっていく。

それでも、甲子園の大舞台で、
広島の代表校は不思議と落ち着いて見える。

焦らず、慌てず、逃げず。

白球と真正面から向き合う。
その姿勢だけは、百年近く、変わっていない。

だから、人は言うのだ。

――甲子園に、広島あり。


情報ソース・参考資料

  • 日本高等学校野球連盟 公式記録(春・夏甲子園大会記録)
  • 朝日新聞デジタル「バーチャル高校野球」大会アーカイブ
  • NHK甲子園特集・大会回顧番組アーカイブ
  • Full-Count(2025年11月2日配信)
    「達川光男が語る1973年広島商業“真剣刃渡り”と精神修行」
    https://full-count.jp/2025/11/02/post1857142/
  • 各校公式サイト・学校史(広島商業、広陵、崇徳ほか)

※本記事は、公開資料および当時の証言・記録をもとに構成しています。
試合描写や表現には、時代背景を踏まえた筆者の記憶・解釈を含みます。

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